今日は私たちの通う教会, CA Church, のワーシップ・パスターであり、クリスチャンミュージシャンのAndrew Marcus の新曲から考えてみたいと思います。

“Abide in Me” 「私にとどまりなさい」と言うタイトルの歌ですが、聖書のヨハネによる福音書15章4節の言葉です。早速ぜひスクリーンをオープンして、歌詞付きバージョンで聞いてみてください。(歌詞と抄訳はその下に記載しました)

歌詞(和訳は筆者の抄訳)

I am the Vine you are the branch わたしはぶどうの木であなたはその枝です
Do not forsake Me わたしを見捨ててはいけません
Come and reside with Me わたしのところに来て一緒にいてください
And I’ll show you My glory あなたにわたしの栄光を見せてあげましょう
Abide in Me わたしにとどまりなさい

I am the bread of life with Me わたしはいのちのパンです
You won’t go hungry わたしとともにいるなら空腹にはならないのです
I am the way I am the truth わたしは道であり真理です
Receive My mercy わたしのあわれみをどうか受けてください
Abide in Me わたしにとどまりなさい

Stay close don’t let go 離れないで、しっかりつかまっていてください
For the seed I plant わたしの植える種は
Brings peace that always grows 平和を生み出して育っていくから
Stay close don’t let go 離れないで、しっかりつかまっていてください
Abide in Me わたしにとどまりなさい

I am the first I am the last わたしが初めであり終わりです
I hold the middle その間あなたを支え続けます
I am the door come enter in わたしが扉です。そこから入りなさい。
To peaceful meadows そこには平安で満ちた野原が広がります
Abide in Me わたしにとどまりなさい

Stay close don’t let go 離れないで、しっかりつかまっていてください
For the seed I plant わたしの植える種は
Brings peace that always grows 平和を生み出して育っていくから
Stay close don’t let go 離れないで、しっかりつかまっていてください
Abide in Me わたしにとどまりなさい

Andrew Marcus, Abide In Me 2020

エゴー・エイミ

歌詞の中に、”I am” 「わたしは…である」というフレーズが出てきます。これはヨハネの福音書、ヨハネの黙示録から取られているものです。英語や日本語の翻訳ではすぐにわかりませんが、言語(ギリシャ語)ではユニークな言葉が使われています。それは、「エゴー・エイミ」で、「わたしは・わたしは …. である・である」のように繰り返されている単語です。また、この言葉を聞いたユダヤ人はすぐにモーセと神様の会見の場面を思い起こすでしょう。そこではモーセが神様に対して、「名前を教えてくれ」と頼むのですが、神様は、「モーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある』という者である。」(出エジプト記 3:14)


エゴー・エイミについては当ウエブサイトの過去のブログも参照ください。


イエスの自己紹介

イエスは「わたしは。。。である」と語る時、永遠の神のタイトルを使って自身のことを言い表しているのです。ヨハネの福音書を読む時、ぜひそのことを思い出してください。全天地を造られた永遠の神様が、あなたに個人的に語りかけて、ご自身の自己紹介をしているのです。

わたしがクリスチャンになる決心をして、祈ったその晩、ヨハネの福音書を読んだのですが、それまで読んでいた「物語」の本ではなく、まさしくイエスが心を開き信じたわたしに対して個人的に自己紹介してくれたのです。これほど聖書がパーソナルに語ったことはそれまで全くありませんでした。

CA Church のデイビッド師は度々こう語って励ましてくれます。
「Our life only makes sense when it is aligned with Jesus. 私たちの人生はイエスキリストに軸を合わせた時に初めて意味をなすのです。」

イエスはいつも、こちらに来てともにいてください、と語り招いています。