私は仕事上、Eメールやスタッフ専用のテキストを実に多くやり取りします。知識をタイムリーに共有することは大事と考えるからです。しかし、あんまり量が多いので、時に誰もきちんと読まなくなってしまうこともあります。そんな時、あるのビジネス専門誌で読んだ方策の一つをつ試したことがあります。それは、“ACTION REQUIRED” と表題に入れることです。最初にこれが目に止まれば、受信者が、おっ、これは読み過ごしちゃダメなんだ、と思う、というのがその狙いなんですね。

 

先日触れた聖書の箇所に、そんな「要アクション」と見出しがついているようなところがありました。今日はそこからシェアします。

 

礼拝説教で、牧師がヨハネによる福音書13章からメッセージをしました。その箇所は、イエスと弟子たちとの対話が始まるところです。”Upper Room Discourse” 「上階の部屋の対話」と言われる、イエス様と弟子達の対話を記録した箇所がヨハネによる福音書にあります。13〜16章ですね。この食事会の場所は不思議な形で用意されました(マタイ26章)。このセクションの最初の出来事はショッキングでした。皆が食卓に座ってくつろいでいると、イエス様が突然立ち上がり、何と、奴隷のする役割である足洗いを弟子達にし始めたのです。(ここでのイエス様とペテロとの対話は神学的に興味深いのですが、それはまた別の機会に触れようと思います。)

その中でも、ある箇所に特に心を奪われました。(またまた礼拝説教を聞いているうちに心が脱線してしまいました。。。)

 

ヨハネによる福音書13章14〜17節にこうあります。

「14 それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。15 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。16 まことに、まことに、あなたがたに告げます。しもべはその主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさるものではありません。17 あなたがたがこれらのことを知っているのなら、それを行うときに、あなたがたは祝福されるのです。」

 

17節に注目してください。「あなたがたがこれらのことを知っているのなら、それを行うときに、あなたがたは祝福されるのです。」二つの動詞がありますね。「知る」と「行う」です。

 

弟子たちは、イエス様が師であり主であると「知って」いました。彼に3年半付き従ってその都度イエス様の”師であり主である”方としての「行い」を見てきました。しかし、今、イエス様は、何と弟子であり信徒である自分の足を洗っているのです。「師であり主である」ことと180度正反対の行動です。目撃どころか、自分の身に起きているんです。奴隷の中でも最も卑しい奴隷がするべき足洗いを「師であり主である」イエス様がするなんて!と、弟子達はきっと気が動転したことでしょう。

 

さらに、何と恐ろしいことに、イエス様は師であり主である私がしたのだから、同じようにお互いにしなさい、と言うのです。イエス様のこれまでの教えもいろいろありますが、弟子からすれば、今回の教えは「知る」ことも驚きですが、さあそれを「行う」ことに知識がどうつながるか、大きな課題に思えたでしょう。

 

一つ忘れてはならないのは、イエス様は弟子に無理な「教育」をしてやろう、という気持ちでこのことを教えたのでは無い、ということです。イエスは単に滅私奉公の美徳を弟子に植え付けたい、というよりも、私のことをもっと根底から知ってほしい、という愛のゆえに示した行動だと私は思います。

この場面の背景は、1節に書かれています。

「世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。」

イエス様は深い愛(1節)のゆえに、究極のご自身の姿を知ってもらい、しかもそれに倣う者達になってほしいと、このことを教えたのです。ご自身が十字架の死に至るまで、やがてくる喜びのゆえに(ヘブル12章)従順に進まれたのです。イエス様を「知る」ということは、この「行い」無くしては理解できないのですから。

 

弟子達は、後にイエス様の十字架の死を目撃し、復活までの暗黒の時を体験し、復活の主に出会うという喜びを体験し、聖霊に満たされユダヤ人も、異邦人も分け隔てなく神の御国に入る、という素晴らしい救いの道を生きることが出来ました。彼らの、そして初代教会の働きが、迫害をものともしない歩みであったことを振り返ると、イエス様の究極の愛のわざを「知り」それを愛の「行い」として実践したのは一目瞭然です。

 

イースターはもう間近です。自分にとって足を洗い合う、というのは具体的に何を誰にすることなのか想わされます。しかし、それがイエス様をさらに深く知ることに繋がるのですから、イエス様からの「要アクション」にぜひ応え続けたい、と祈ります。