使徒 4:23-31

23 釈放されたふたりは、仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちが彼らに言ったことを残らず報告した。24 これを聞いた人々はみな、心を一つにして、神に向かい、声を上げて言った。

「主よ。あなたは天と地と海とその中のすべてのものを造られた方です。25 あなたは、聖霊によって、あなたのしもべであり私たちの父であるダビデの口を通して、こう言われました。

『なぜ異邦人たちは騒ぎ立ち、もろもろの民はむなしいことを計るのか。26 地の王たちは立ち上がり、指導者たちは、主とキリストに反抗して、一つに組んだ。』

27 事実、ヘロデとポンテオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民といっしょに、あなたが油をそそがれた、あなたの聖なるしもべイエスに逆らってこの都に集まり、28 あなたの御手とみこころによって、あらかじめお定めになったことを行いました。29 主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。30 御手を伸ばしていやしを行わせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行わせてください。」

 31 彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が古い動き、一同が聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。

脅かし

あなたや教会は今日迫害に脅かされているでしょうか?もちろん迫害に遭遇しているでしょう。イエスを信じることを告白することはすなわちこの世にノーと言っていることです。この世の流れや風習、他宗教や様々な教えが蔓延しています。日本や北米では信仰の故に牢屋に入れられることはすぐにはないでしょう。しかし信仰のゆえに誤解を受けたり、行動を規制されたり、法律にはむかわねばならないことがあるでしょう。パウロとヨハネは神に従い癒しを与えました。そして逮捕され牢獄に入れられたのです。弁明をする機会を与えられ、福音を伝え、釈放されたのです。今後一切キリストのことを伝えるな、と命令されたのですが、もちろんそうする気持ちはさらさらなかったでしょう。神の前に正しいことは福音を伝えることなのですから。

迫害に対しての最初の行動

これを聞いた人々はみな、心を一つにして、神に向かい、声を上げて言った。(24)

応答のまず一歩は祈りでした。全員が同時に祈ったというよりも代表の誰かが祈ったのでしょう。「アーメン」という声が皆から聞こえてきます。グループで祈る時に誰かが祈っているとその内容や心が自分の心と祈りたい言葉と一致していることがありますよね。ちょっと脱線しますが、私はグループで祈る時、自分は少々引っ込み思案なので積極的にどんどん声に出して祈るのは苦手です。大抵祈っている時は神に今祈っていることに対する預言の言葉や心に映るビジョン、あるいは思いを与えてくれるように祈ります。するとよく起きるのは、他の方がその言葉や思いを祈る(しかも上手に)のです。聖霊が導いてくれているんだ、と強く感じ、励まされます。祈りが聞かれていることを再認識出来るのです。

ここで集まったもの達がどんな風に祈ったか学んでみましょう。

心を一つにして祈ったこと

アメリカ滞在時代に通っていた教会の牧師の一人は祈りの冒頭で常に神のご性質、すなわちどんなに神が偉大であり、讃えられるべきお方か祈りました。信仰を持って間もない自分にとってそのことは心に留まりました。また当時、祈り方の一つにACTSというのがある、と教わりました。Adoration(賛辞), Confession(告白), Thanksgiving(感謝), Supplication(願い) という単語の頭文字をくっつけたものです。今も自分の祈りはその流れを使うことが往々にしてあります。

この箇所も最初に祈られた事柄は神の主権を讃えることでした。(24-28)神には絶対的な主権があります。詩篇にも多くみられるのは「全権なる神」という言葉です。これは万軍の主という言葉でも書かれています。誰にも負けない神です。その神を讃え、神にすがるのです。

彼らは全権の神に対して何を求めるのでしょうか?

彼らは二つの願いを捧げています。(29-30)

「みことばを大胆に語らせてください」

知恵や守り、あるいは当局に対して覚えよくなるように、という祈りではなく、聖霊によって御言葉を語らせてください、と祈りました

「イエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行わせてください」

しるしと不思議なわざを行うことは福音を伝えることに他なりません。

パウロとヨハネが彼らに伝えたのは、福音を伝え、神に従ったら逮捕され、もう福音を述べるなと脅された、ということでした。それに対して彼らが祈り求めたのは、まさに何がなんでも福音を伝え続け、忠実なイエスの証人にならせてくださいということでした。なおさら彼らは福音を伝えたい、伝えねば、と祈りました。

神はどう答えられたでしょうか?(31)

「一同が聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした」

地が揺れました。神のご臨在を感じたことでしょう。そして聖霊が彼らを満たしました。祈りは聞かれ、彼らは大胆に御言葉を語り出したのです。

迫害に対抗する三つのこと

この箇所から迫害に対してどうするべきかについて学ぶことができます。

1 一致した信徒達との交わり

迫害に脅かされている時、得てして怖気ついてしまい大胆さを失うことがあるでしょう。神の召命に忠実になりきれず何となく妥協してしまうことがあるかもしれません。あるいは無謀になり必要のない紛争に足を踏み入れることもあるのではないでしょうか。しかし、神に従う、一致した信仰のコミュニティー、交わりが足を踏み外さないように出来る力となります。

2 神の絶対の権威

危機に面すると敵対している相手はなんと力強く、巧妙な動きをするのか、と感じられることがあります。それに引きかえ自分たちはなんと力が無いのかとがっかりするかもしれません。様々な難しい場面では無力感を覚えるでしょう。しかし気落ちすることは無いのです。悪がはびこり、勝利を収めているようでも、キリスト教の歴史を見れば分かることは神は所々の一時的なロスは長い目で見ると福音がさらに推し進められていることを示しています。邪悪は現実に存在しますが、神はそれよりも深く力強い存在です。

3 神の御言葉、聖書に基づいた祈り

今日の教会が面する最大の危機はリーダーたち、信徒の霊性にある、とも言えます。危機に立ち向かえず怯んでしまったり、対立、紛争、批判、困難、迫害、誘惑に対しての十分な霊的な力がないことが問題となります。聖書は絶対の権威である、と言いながら危機に際して、聖書的に行動することが忘れられてしまうことが霊性の危機と言えます。聖書に根付き、御言葉によって導かれることが危機を乗り切るためには必要不可欠です。

神の励ましと神の沈黙

しばしば迫害や苦しみにあるもの達に神が働かれておられることを示し、励まされます。しかし常に神の励ましが手に取るように分かるとも限りません。「The dark night of the soul(魂の闇の夜)」という表現で表されるように、神が沈黙し、何も祈りに答えがこないこともあります。詩篇を読めばこのような神の声が聞こえずあたかも神は無慈悲に沈黙をしているように思えることがあります。敬虔なクリスチャンで、ナチスからの迫害を体験したコーリー・テン・ブームは「出口のないトンネルはありません。汽車がトンネルに入って何も見えないからといって汽車から飛び降りはしません。運転士を信頼し、トンネルから抜け出るのを待つのです。」と言いました。魂の闇の夜について、Ajith Fernando は使徒の働きのこの箇所から解説をしています。その解説を別の機会にブログで投稿します。