アルファ・フィルム・シリーズは2017年にそれまでのニッキーガンベルが講壇から語るスタイルから、二人のプレゼンター、様々なインタビュー、メディア、グラフィックなどを豊富に取り入れた形式になっています。

アルファ・ジャパンではアルファ・フィルム・シリーズの日本語吹き替え版が利用出来ます。すべてのビデオは日本語吹き替えと、英語のキャプションがついていますので、バイリンガルの状況でのご利用が可能です。

ビデオダウンロード、ストリーミングリンク、関連のリソース、グループのトレーニング用の教材はアルファ・ジャパンのウエブサイトで、登録を行うと入手することが出来ます。※フロントページのリンクではアクセス出来ませんのでご留意ください。


アルファ・ウイークエンドは、本来週末にレトリートに赴いて、3つのビデオを通して「聖霊」について学び、祈る時です。聖霊シリーズのイントロ(日本語キャプション版)とアルファ・ジャパンによる聖霊シリーズの3つのビデオを以下のリンクから観てください。


レトリートの紹介ビデオはこちらのリンクです。別ウインドウが開きます。(アルファ・ジャパンウエブサイトに出ていませんでしたので、オリジナルの英語版に当方でキャプションをつけ掲載します)


第八話 「聖霊とは」のストリーミングのリンクはこちらです。別ウインドウでVimeoプレーヤーが開きます。


第九話 「聖霊の働きとは」のストリーミングのリンクはこちらです。別ウインドウでVimeoプレーヤーが開きます。


第十話 「聖霊に満たされるには」のストリーミングのリンクはこちらです。別ウインドウでVimeoプレーヤーが開きます。

https://player.vimeo.com/video/390707678

「聖霊」はどことなく分かりにくい存在です。神学的な解説を読めば読むほど分かりにくくなるかもしれませんね。アルファの説明は具体的な内容や体験談があり、とても分かりやすいと思います。個人的には、Henry Ossawa Tanner の描いたBanjo Lesson の絵が聖霊を表現しているように思えます。素晴らしい絵だと思います。聖霊が私に寄り添い、私を励まして、育んでくれる、そんなイメージがこの絵にはあると思います。「パワー、力」と聞くとどこかオーバーな、強い態度で臨むものをイメージしがちですが、聖霊は常に寄り添い、助けてくれる、そんなお方だと私には思えます。アルファのビデオを見てあなたはどうお感じに・お考えになったでしょうか。

“The Banjo Lesson” Henry Ossawa Tanner

以下は私のこれまでのアルファ・フィルム・シリーズ利用の経験からの追加資料や、日本語 BibleStudyのサイトにある聖霊に関する投稿です。お役に立てば幸いです。


日本語 Bible Study サイト上の参照ブログ:

AFS08 聖霊 序章
とびら 聖霊の実
とびら 三位一体の神
想うこと Holy Spirit 逆バベルの塔!


イントロ:パラクレートス

マザーテレサはこう言いました。「社会の一番の問題は飢餓ではありません。寂しさです。」

しかし、驚くべきことは、私たちが聖霊と、イエス様と交わりを持つ時、私たちは決して一人ぼっちじゃないんです。イエスはいつも私たちと共にいるからです。

ヨハネによる福音書15章26節です。イエスは言います、「助言者が来ると、私が父から送るのですが、彼は真理の霊で、父から来るのです。彼が私のことを証しするのです。」

イエスは聖霊を助言者、と表現します。イエスの言葉は、ギリシャ語で、「パラクレートス」です。その単語は文字通りでいくと、「横にくるよう呼ばれた者」という意味です。別の翻訳では、弁明者、裁判官の前であなたの横に立ち弁明する者のようです。励ますもの、とも訳されます。あなたに寄り添い励ますのです。慰めぬし、助けぬし、とも言われます。字義通りでいくと、寄り添って立つように呼ばれた者、と言う意味なんです。


#8:聖霊とはだれか

天地創造におられたお方:
聖書には、聖霊はとりとめのない力ではなく、人格を持つお方だと書かれています。いてもいなくてもいい存在ではなく、重要で中核にいる方です。最近になって現れたのではなく、創造の最初からおられるお方です。創られしものすべては聖霊を通して創造されたのです。「はじめに神がおられた。地は空虚で形もなく、暗く、神の御霊が水の上を漂っていた。そして神は光よあれ、とおっしゃった。そして日があり、夜が来た。」創世記1章

ある特定の時に特定の目的のために聖霊が降った

べツァルエル (出エジプト記 31:1-5)
ギデオン (士師記 6:14-15, 34)
サムソン(士師記 15:14)
イザヤ (イザヤ書61:1-3)

新しいものをもたらすお方
旧約聖書で物理的におこったことがしばしば新約聖書では霊的に起こりました。ベツァルエルが神殿のために工芸やデザインの技術を与えられましたが、聖霊は私たちの人生につねに新しいことをもたらしてくれます。態度を改めたり、新しい願いをもったり、礼拝が新鮮になったり、新しい歌を歌うようになるのです。仕事場で何をしていようとも、神の御霊があなたに技術、能力、創造性で満たしたいと願っているのです。

ギデオンのように、自分には力が無い、不十分だ、力量が及ばない、と思う者を神は用いるのです。神の御霊がサムソンに体の力を与えて縄目を解くことが出来たように、聖霊は悪習慣、依存症、など霊的に人を虜にしてしまうものを断ち切り、自由を得させてくれます。

「助言者、助けぬし、賜物を与える方、道を示す方」、と呼ばれる聖霊は私たちの心を柔らかくしてくれます。石で出来た心を取り除き、柔らかい肉の心を与えてくれます。悪習慣を断ち切れるように助けてくれる聖霊は、人を愛したい、助けを求める人、貧しい人、心破れた人、虜になっている人を助けたい、と願う心を与えてくれるのです。

聖霊はあなたを用いてくれるのです。


#9聖霊の働き

新しいいのち(ヨハネ3:3-8)をもたらす
「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」するとニコデモが尋ねた。「「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。」イエスは答て言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」(ヨハネ3:3-8)

聖霊によって神様の子供となる
ローマ書 8:14-15
「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。」

神様との関係を深めてくれる
聖霊は、私たちのアイデンティティーを造り替えてくれるだけでなく、天の父なる神様との関係を何よりも緊密な関係にしてくれるます。イエスが持ったような、神様との密接な関係を持つことが出来るのです。

ローマ書 8:15
「私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。」

聖霊が神様に似せてくれる
神様の御前に時間を費やしていると、聖霊が私たちを造り変え、イエス様にもっと似るようになります。

「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。
これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」 (コリント第二 3:18)

「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 柔和、自制です。」(ガラテヤ 5:22-23)

私たちの内にある聖霊が、神様との関係を深めて行くのを助けてくれます。私達は、イエス様との一つの霊によって、神様に近づくことが出来るのです。イエス様の十字架の死によって、神様と私たちの間にあった壁が取り除かれ、聖霊によって、私たちは今、神様に近づくことが出来ます。

一致をもたらす
エペソ人への手紙4章にこうあります。「平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。」

聖霊の賜物を与えてくれる
全てのクリスチャンの中に聖霊は宿っています。それぞれ異なる賜物が聖霊から与えられています。

コリント第一 12:4-11
「賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、ある人には奇蹟を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。しかし同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。」

私たちに力を与えてくれる
イエス様は、「あなたがたは力を受ける」と言いました。「そして私の証人となる」と。 (使徒のはたらき 1:8)

招かれる
聖書の始まり、創世記一章に聖霊はおられました。そして、聖書の最後、黙示録にもいらっしゃいます。

黙示録 22:17
「御霊も花嫁も言う。「来てください。」」これを聞く者は、「来てください」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。」

#10:聖霊に満たされる

聖霊に満たされなさい
聖霊、の同義語は何か、と尋ねられたら、愛という言葉を選びます。愛こそが私たちの人生の目的です。全てのクリスチャンには聖霊が宿っています。しかし、クリスチャン全てが聖霊に満たされているとは限りません。

「聖霊に満たされなさい。」【エペソ5:18】

このギリシャ語の時制は現在進行形です。つまり、常に満たされ続けなさい。繰り返し、繰り返し、何度も、という意味です。

5種類の対応
1 聖霊に満たされたいと心から願っている人(使徒のはたらき2:2-4)
2 聖霊を受け入れる準備のある人(使徒のはたらき 8:14-23)
3 聖霊について反抗的な態度をとる人(使徒のはたらき 8:1,8:3, 9:1-2)
4 聖霊に関して無知な人(使徒のはたらき 19:1-6)
5 聖霊はあり得ないという人(使徒のはたらき 10:44-47)

聖霊に満たされるとどんな事が起き得るか?
物理的な現象が起きる(人それぞれ)
目に見える出来事がよりも、心に何が起きているかが重要
聖霊を通して、神様の愛を体験する

神様への愛を表現する:異言について
私たちは神様への愛を表現を自由に出来るようになる
異言はその一つ
私たちが聖霊に満たされると、応答として神様を礼拝する
新しい愛の言葉
クリスチャン全てが異言を話すのではない
クリスチャンとしての唯一のしるしが異言というわけではない
異言が聖霊に満たされていることのしるしではない

3つの障壁
1 疑い 「受けたいと願ってもどうせもらえないさ。」

2 恐れ 「確かに受けるんだと信じます。でも、本当に欲しいかな。なんかひどい目にあったりするんじゃないかな?」

3 不適正 「自分はふさわしくない。私がどんな生き方してるかなんて知らないでしょう?」とか「わたしはまだ未熟です。クリスチャンとして日が浅いんです。善い人になら神がお与えになるのは分かりますが、あるいは円熟したクリスチャンに与えるのは理解できますが、わたしなんて。」

イエスの応答
「わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。」

「あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」

祈り
手を広げ、神に語ります。主よ、いまこの時、私は聖霊を受けたいと願います。
さあ今。聖霊よ、来てください。