*** アルファ・フィルム・シリーズ日本語版について***


アルファ・フィルム・シリーズはアルファ・ジャパンのウエブサイトから日本語吹き替え版(英語字幕付き)がダウンロードできます!ビデオ、シェアリング用のビデオのリンク、などアルファ開催に必要なリソースはアルファ・ジャパンのウエブサイトでアルファコース主催の登録をすることでアクセスが出来ます。ぜひお試しください。

アルファ・ジャパン

英語版の同様のリソースは以下のウエブサイトからコース主催を登録するとアクセス出来ます。
アルファ・カナダ
アルファ・UK

なお、日本語BibleStudyによる日本語キャプション版についてはこれまで通り、黒田実まで直接ご連絡ください。minoru@nihongobiblestudy.com

キャプション版をリクエストする

パンデミックの中、皆様のイエス・キリストとの歩みが強められますように。また心を騒がせている方々がアルファコースに集い、共にイエス・キリストにあって心を躍らせる者に造り変えられますように。


アルファコースには様々な種類のコース設定がありますが、当ブログでは2015年から始まったアルファ・フィルム・シリーズを紹介していきます。


始めに:

アルファ・コースの良いところは、集まった者たちが、食事やスナックを共に取りながら、くつろいだ環境の中で親睦を深め、トーク(ビデオやライブ)を聞き、少人数のグループでディスカッションタイムを持つ、というインタラクティブなところです。ぜひ、お近くのアルファ・コースを見つけて参加されることをお勧めします。 (みのる)


 

第一話「人生ってこれだけ?」

【ニッキー】人生で取り組む質問とは?

私たちの日常生活はめまぐるしく、ありとあらゆる質問攻めを受けているようです。何を着ようかとか、天気はどうかな、とか、今日はどんな予定があって、それをどうやってやりくりしようか、とかです。その上さらに、もっと重要で大きな質問がありますね。

なぜ私たちは生きているのか?

私の人生の目的はなんだろうか?

人生って、今のこれだけなの?

もっと人生には何かあるんじゃないの?

 

これらは人生に関わる大きな質問ですが、普段は忙しくてこういった質問に取り組んでいる余裕がないかもしれません。人生の意味とか、信仰については、人それぞれの考え方がありますが、アルファ・コースでは、そういう人生の大きな意味を模索し探求できるのです。心を開いて、正直に話し合える、そういう場所なんです。

アルファ・フィルム・シリーズは二人のホスト役、ジェンマとトービーがエピソードの内容の進行役を務めます。毎回多彩なゲストが登場して「証し。。自分と神様との出会いを紹介すること」や「トピックの説明」をしてくれます。街頭インタビューもあります。 ニッキーがエピソードにおいての教えを取りまとめます。

 

【街頭インタビュー】人生の大きな質問は、どこから答えを見つけますか?

「グーグルだね」

「絶対グーグルね。」

「ウイキぺディアさ。」

「インターネットだな。いろいろな答えをスクロールしてみて、組み合わせて答えを編み出すさ。」

「賢い友達からかな。」

「俺には人生の大きな質問っていうのはないね。だって難しすぎるからな。」

「瞑想したり、読書したりかしら。」

「人生の大きな質問があったら家族に聞くわ。」

「困ってることは今ないけど、でもあったら、母さんか、父さん。に大体は聞いてみるわ。」

「図書館で大体の情報は手に入るわよ。いろんなセクションがあるし。周りの人はあてにならないわ。」

「鍵は自分自身にあるよ。自分で解決しないと。」

「困ったらまずあたしのカレに聞くわ。でもそれでもっと混乱させられちゃうかも。」

 

【トービー】アルファコースは信仰がないと参加出来ない?

僕の友人が、初めてアルファに来た時に何と、車の中で30分じっと待って、入っていく人たちの様子をうかがうと、中に入る人たちがどうやら普通っぽいと分かって、それでやっとじゃあ行ってみようか、ってことにしたんだって。 あなたも心の中で、自分だけが信じていない人で、クリスチャンでもなく、教会にもいかず、これじゃコースはだめかな、なんて思っていませんか? アルファはそんなあなたにピッタリなんですよ。アルファコースはクリスチャンではなく、教会通いしていない人向けに造られているからです。見ず知らずの人たちと、人生や信仰について意見を交わすなんて、ちょっと変だなって思うかもしれませんが、アルファのいいところはコース中に新しい友達が出来るということです。

 

【ニッキー】どうしても埋められない何か

私はずっとキリスト教など興味さらさらでした。実際、アルファのようなところには絶対行かなかったことでしょうね。家もキリスト教ではありませんでした。父はユダヤ人でしたが、ユダヤ教を信奉しているわけではありませんでした。人間ごときに神など知り得ないという教えを信じていたようです。つまり不可知論者でした。母も特に教会に行くこともなく、私はキリスト教には全く興味がありませんでした。

まず第一に、宗教はきっと退屈なんだろうと思ったんです。教会、キリスト教、宗教などはとりもなおさず、
地味で味気なく、何か罪悪感を植え付ける種のような気がして、とにかく毛嫌いしてました。それに、私には宗教を信じる人たちは間違ってる、と思ってました。私は自分できちんと考え抜いた結果、そして知的に探究した結果、自分の頭脳で考え行動することが唯一大事だ、と思いあがっていたんでしょうが、自分自身は論理的決定論者と認めたんです。

クリスチャン、と名乗る人たちと議論を交わすのが楽しかった。大学時代は、あいつは議論好きの無神論者というあだ名がつきました。 キリスト教は、自分の人生とは関りが無い、と思ったんです。大体2000年も前に2000マイルも離れたところにいた人が、今日の自分に何の関りがあり得ようか、と考えたんです。時代遅れで、現在の自分とはなんら関係がない、と思っていました。

でも、それと同時に、その頃の自分を振り返ってみると、自分には何か欠けていたんだな、と思えます。当時は人生を満喫していたとは思えないからです。次は何かな、こんどは何、と絶えず、満足できなかったように思えます。在学中は、試験を終えたら人生満喫できるんだろうと考えましたが、試験が終わって3週間もたてば、いや、人生にはもっと何かある、と考え始める始末です。学校を卒業すれば、今度こそ人生の意義がわかる、と考えましたが、卒業後3週間ほどで、人生にはまだまだもっと何かあるはずだ、と思ったんです。

そうか、彼女が出来れば、人生は満喫出来る、なんて考えました。一体どうやったかはよく覚えていませんが、ガールフレンドが出来ました。でも、3週間もすると、人生にはもっと何かあるはずだ、って思う始末でした。

そうです。私の人生には埋められなかった何か欠けていたんです。だから、常にもっと何かを、と願い求めていたんです。

「皆んな誰もがお金持ちで有名になり、欲しいと願うものが何でも手に入ったらいいのに。そうすれば、そういうものが解決を与えてくれるのでは無い、って分かるのにね。」 ジム・ケリー(俳優)

 

【トービーとジェンマ】お金じゃ人生は満たされない。

有名人になったり、お金持ちになることを夢見る人がいますね。人間関係からや、仕事、お金とかから幸せを見出そうとする人もいます。でも、心のどこかで引っかかるんです。 そういうもの以上に人生には他に何かあるんじゃ無いの、って。大抵、人生って自分の思った通りにいかないよね。上手くいっていても、いやまだまだ、と途方もない夢を見るんだ。決して満足できないんだ。いつも何か足りない、って思えるんだ。

「お酒と麻薬が問題じゃないんだ。人生の現実が私には問題なんです。麻薬とお酒は人生のむなしさを埋める解決法なんです。」 ラッセル・ブランド(コメディアン)

 

イエスは、「私は命のパンです」と言います。つまり、人の心の奥底にある満たされないものを満たす方だ、と言った。つまりイエスのみが、霊的な飢え渇きを満たすことができる、と言うんだ。

ロックバンド・クイーンのメインボーカルであるのフレディー・マーキュリーは莫大な富を築きました。多くのファンが出来ました。しかし彼の死の直前に撮ったインタビューでこう認めました。彼はどうしようもないほど寂しかったと。

「世界中の全てを手に入れても一番孤独であることがある。これほど辛い孤独は他に無い。成功したことで世界中からチヤホヤされ、大金持ちになった、でも裏腹に、私たちが何よりも必要なことを持つことが出来なかった。愛情に満ちて続いてゆく人間関係をね。」 フレディー・マーキュリー(ミュージシャン)

 

イエスは、「私が道であり、真実であり、いのちである」と言う。本当に愛情に満ちている、と言える関係はたった一つだけだと思うんだ。それは神様との関係だ。そして、イエス様は、私がその関係への道なんだ、と言っている。

 

【街頭インタビュー】幸せをもたらす物ってなんですか?

「多分お金?」

「音楽ね。それと、アイスクリーム。あとチーズかしら。」

「寝ることかな。」

「友達とパブに行ったり、本を読むこと。」

「犬よ。」

「お酒。」

「ガールフレンド。」

「普通に愛情を感じること。」

「洋服だね。それから女友達。」

「人生には他に何かあるかって?よく分かんないわ。」

「人生には、学ばないといけないことが幾つかあるけどね。」

「正直、まだ考え中ね。」

「俺は人生は満喫しているよ。」

「全く降参です。人生に他にまだ何かあるのかなんて、わかりません。」

 

【トービー】イエス・キリストを通して見えるものは?

17歳の頃だったけど、ある日レストランでハンバーガーを友達と食べてたんだ。窓の外を眺めて、外に見える店のことをああだこうだと話してたんだけど、その時ハッとしたんだ。僕には外の店の看板の字が読めないって、気づいたんだ。目を凝らしたり、こすったりしてもだめだった。それで友達のメガネを借りたら、なんと途端に、すべてくっきり見えるようになった。色も、日陰も、文字も。何でもクリアに見えて逆にびっくりした。もちろんそれまでも目は見えてたけど、これほどくっきりじゃなかった。

イエスがもたらす違いはそんな風に表現出来るんじゃないかな。イエス、というレンズを通して神様を見るんだ。その上、イエスというレンズを通すと、この世界が全く違って見える。

 

【ニッキー】イエス・キリストは真実である。

イエスは、「私は真実である、」と言います。クリスチャンに対して、こんな風に言う人もいるのではないでしょうか。 「君は人生の意義を見出したんだね。よかったね。でも、僕は違う。」って。でも考えてもみて下さい。それは筋の通った発言ではありません。なぜならもしキリスト教が真実ならば、全ての人にとって最重要なことになるのですから。もし真実でないなら、クリスチャンにとってはそれは悪い知らせとなります。私たちは妄想を抱いていることを意味するからです。

 

ナルニア国物語で著名ですが、C・Sルイスという作家がいます。彼は20世紀最高の知識人でしょう。彼はこう言いました。

「もしキリスト教が誤りであるなら、それ自体は取るに足らないものであろう。しかし、もし真実であるなら、無限大に重要なものである。 絶対にありえないのは、キリスト教には重要な点もある、という中途半端な考えである。」C・S ルイス(作家・哲学者)

 

【ニッキー】聖書は証拠に基づいて理解できる?

私は、弁護士の多い家系に生まれました。そのせいか、私もご多分にもれず、何事もその原書、源を辿るのが常です。それまで、証拠とされてい事をあまり気に留めていませんでした。しかし、証拠とされることが多大にある、と驚かされました。イエス様の生涯、死、そして復活に関してです。この書物を読んで、新約聖書を読み進んで、こう結論しました。これは本当なんだ、と。

私が弁護士時代に最後に裁判に出たのは、最も著名で名判事のベニング卿が裁判官を務めた上告裁判でした。 そのベニング判事のことですが、判事は常日頃、自分の持っている書籍の中で、聖書ほど重要な本はない、と仰っていたそうです。聖書に関して、自分で証拠を検分し、たいそう入念に調べ、最終的に辿り着いた結論は、聖書は真実である、ということだったそうです。

オックスフォード大学の歴史学教授は、聖書ほど試されてきた本はない、と言います。近代科学の先駆者達の多くが信仰を持っていたとは知りませんでした。デカルト、ニュートン、ケプラー、ガリレオ、ロック、コペルニクス、ファラデー、ケルビーニ、パスツールなどの科学者たちは皆信仰を持っていました。

 

【フランシス・コリンズ博士】 科学者の私と、イエス・キリストとの出会い。

(フランシス・コリンズ博士:ヒトゲノムの研究者。現代科学において最重要な研究の一つである、何千万という染色体のマッピングに取り組む。)

私の育った家は信仰はあんまり話題になりませんでした。父は演劇の教授で、母は脚本家でした。カレッジでの寮生活時代には、友人たちと深夜宗教について話し合うことがあった程度でした。ですから、信仰とは価値あるものだと考える理由は特にありませんでした。 直接関わることもありませんでしたし、自分の生活に取り入れようとは思ってもいませんでした。

私はそれまで、宗教心がある、ということは感情の体験であって、科学者の私は、感情など信用しませんでした。 宗教と聞くと、子供の頃に親たちから一方的に植え付けられたものだと考えたりしたので、自分はそんな育ち方でなくてよかった、と思いました。

私は人間の体の仕組みについて学ぶのがとても好きです。いろいろな組み合わせがあるところがです。だから、遺伝学を専攻しました。 ところが、分からないものですね。私は医学部へと進んでしまってました。医学は臨床の世界です。患者の病床で時間を過ごすのです。分子とか臓器系を机の上で学ぶことではなかった。生身の人間相手にすることだったのです。

ある日、昼過ぎでしたが、一人の患者さん、彼女は素敵なおばあちゃん、の担当となりました。彼女は大変重い心臓病を患っていました。病床で診察していると、ひどく苦しみ始めました。その症状は幸いなんとかおさまりました。彼女は私に、「私は信仰のおかげで、こんな事態の時に乗り切れるのよ。」と私に伝えました。さらに、
医者達は大して助けにならないけれど、信仰は助けになる、とまで言うのです。

そうやって自分の信仰について打ち明けると、じっと私の方を向いて、ただただ黙って聞いていた私をまじまじと、見るのです。なんか不思議そうに見ているのです。そして、こう尋ねました。「先生、あなたは一体何を信じているの?」

私はこう認めざるを得ませんでした。彼女から受けた質問で分かったのは、自分は、人間として向き合わねばならない大事な問いかけに、盲目的に答えを出してしまっていた、のではないか、と。 私が問わねばならない質問とは、神は存在するのか?という問いかけです。自分が証拠を吟味するまでもなくその答えを出してしまっていた、ということに気づいたのです。

まったく科学者の自分らしくありません。科学者たる者、まず証拠を吟味せねばなりません。そしてそれを基に結論を導き出すべきなのですが、私はそのプロセスを踏んでなかったんです。

私は信仰の問いかけについていろいろ悩み、質問も多かったので、近所に住む牧師に相談しました。すると彼は、私の力になってくれました。彼は私に、CSルイスの「キリスト教の真髄」という本をくれました。著者のルイス氏はルイスは、高い知性で有名なオックスフォードで学び、切磋琢磨されました。、私と似た様な道を歩んでいたように想いました。

ページを読み進むにつれて、私は初めて、理性的に信じることもあるんだ、とわかりました。私たちの身の回りの現象から見えてくる点が数々あります。例えば宇宙です。宇宙には始まりがあり、物質とエネルギーが常に活動し続けて、適正なバランスを保っているんです。そのバランスが、ある特定の割合の時にのみ、生命が存在できる、というような点からです。数学は私のお気に入りなんですが、不思議にも数学が万物を描写する役に立つんです。まるで万物の創造主は数学論者だったのかしら、と思わされます。

そうやって私はイエスキリストに出会ったんです。私はキリストが、歴史的にその存在が確立されている、とは知りませんでした。キリストはその言行ともども伝説だと思ってました。でも彼について読み進めると、確かに歴史的に存在した方なんですね。言行について、死からの蘇りについても証拠は山積みされています。

私が患者の病床でケアにあたっていた日、それが私の信仰の歩みのスタートになったんです。無理やりスタートさせられたような信仰の旅路ですが、それこそ私には必要だったんです。 きっと自分の無神論を確固たるものにするのでは、と思ってましたが。驚くことに、私を回心へと導いたんです。

 

【ジェンマ】イエスを知るということは?

それは、ある人物を本当に知ることと、その人についてのことを知っている、という事の違いですね。私は夫のフィルと知り合って3年になります。 もし仮に、彼に会う前に「超カッコいい奴・フィル」という彼のホームページを見つけてたとしたら、きっと私は興味を持ったことでしょうね。そのページに行くと、彼の素晴らしい能力の紹介が載ってて、ピカピカした性格について書かれてて、優しい心、すごい知性や、料理の腕前について書かれていたりするとすると、私は、あら、本当にすごい人なんだわ、なんて思うかもね。

でも、これは全部頭の中での知識よ。 光栄にも、彼と結婚しています。だから、私は事実、彼が素晴らしい人だと知っているの。それは関係を持つ体験から来る知識です。これは心の知識とも言えます。

 

【トービー】心で知る真理

イエス様が私は真理である、と言ったけど、それは、知的な真理について語ったんじゃない。彼が語っているのは体験から分かる真理についてなんだ。頭でわかる知識、と個人的に知ることには大きな違いがある。頭と心の違いだね。だから、誰かが、イエスキリストは真理だ、という時、それは、証拠が多いから分かっている、というだけじゃなくて蘇りのイエスキリストと個人的な関係を持っている、という意味を持っている。という意味なんだね。

「私が道であり、真理であり、いのちです。・・・ 私が来たのは、あなた方がいのちを、満ち満ちたいのちを得るためである。」 イエスキリスト

イエスは、私たちが人生を充実して送るのを妨げるものを取り除こうと、この世に来たんだ。

 

【ニッキー】 罪からの解放

私は買い物は大嫌いです。うんざりです。アレルギー反応が出ます。でも時に、妻のピッパに言い負かされて
買い物に付き合うんです。クリスマスの後でしたがセールがあったんで、彼女は私を連れ出しました。お店に入り、このとっても素敵なセーターを買いました。私の他のセーター全てとマッチする色ですが。その店を出て、次の店で今度は彼女のプレゼントを、って。それで、この店ですが、身の毛もよだつような、ひどく混み合ったお店でした。信じられないくらいでした。ピッパですら、もういいわ、行きましょうって感じでした。

それで出たんです。すると、店から外に出ようとしたとたんにゲートの警報が鳴ったんです。警備員達がすぐさま現れました。みんな店に足止めされました。店から出ようとした者たちは全て足止めされ、同時に、店に入ろうとしていた者達もゲートのところで止められました。

妻と私はちょうどハサミ打ちです。ゲートを出ようとしていたのは6人でしたが、店に来ていた客たちから遠ざけられました。それでその6人のうちの誰が犯人か突き止めようとしたんですね。

まず一人をゲートを通し、無事通過。二人目も通過し問題なし。3人目、4人目と進み、誰も警報が鳴りませんでした。

とうとう、ピッパと私だけがそこに残されました。私は、何てこった。私は万引き犯と結婚してたなんて!と思いました。警報が鳴ったのはピッパに違いない、って思っていたのです。

次に彼女がゲートを通りました。でも警報は鳴らなかったんです。

私は、ああどうしよう。きっと誰かが私のカバンに何か忍び込ませんたんだ、と思いました。捕まって、刑務所行きになるのか、と思いました。周りの人達は、この万引き犯がいよいよ御用になるな、と見物していました。

私がゲートを通ると、やはり警報が鳴りました。そして、脇に連れていかれ、所持品検査検査されました。

そこには、このセーターが入ってたんです。最初の店で買ったセーターです。でもその店で値札をはずしてくれていなかったので、値札が警報に反応したんです。私は、その間ずっとすごく罪悪感にさいなまれていました。もちろん実際の罪を犯したからではありませんが。

時には私は本当に罪の意識を感じます。それは、私は正しいこと、良いことをしなかったからです。そこで、ここに素晴らしい知らせがあります。それは、神様はあなたを愛している、私を愛している、という知らせです。

神様はこの世に、一人子イエス・キリストとしてやって来ました。それはあなた、そして私のために命を投げ出すためでした。そして十字架につき、あなたの罪、私の罪の数々、すべての悪い行いを自分に受けたのです。私のすべての過ち、言葉の上でも行動でも、それらを取り去ったのです。私たちが罪赦されるために、十字架の上で死なれたのです。

赦し、とは、CSルイス氏曰く、私たちの人生の記録が一切綺麗にぬぐい去られたようなものだ、と言います。その赦しを受けると、私たちはいのちを見出すんです。イエス様は豊かないのちをあなたに、私に与えたいと願っているのです。そのいのちは満ち満ちた、最高のものなのです。

 

【冒険家 ベア・グリルス】 生きるということ

生まれてこれまで、俺は何とか自分の力で生きなきゃ、と頑張って来たと思う。それはまるで俺と友達だけいればいいや、というもんだった。俺は無敵だ、と思ってた。 でも本当のところ、人は誰一人として無敵な奴なんていないんだ。この人生、ってやつを自分だけでやろうとは思わない。

心のどこかにある光を追い求める気持ちがある。それは、人からどう思われるか、っていう恐れをしのぐ強さがあるのさ。

よく聞かれるけど、「それって信仰が生きるための杖で、それにすがっている、ていうこと?」ってね。ああ、そうかもな。でも杖ってどんな役割をするんだい。しっかりと足を地に据えて、力を与えてくれるよね。そういう意味なら、もちろん俺はそれもアリ、って言える。

しかも、信仰って、そんなもんじゃないくらいすごいんだ。 信仰は背骨のようなもんだ。しっかりと胸を張って立って、山奥で過ごしたり、ジャングルに生活するような大変な時にとても力になってくれるんだ。嵐をしのいだり、人生の嵐をね。信仰が必要だ。

キリスト教の真髄は、俺はキリストに知られている。彼は俺を知っている、ということだ。代価を払って私を買い取ってくれた。そして光という恵みをくれるんだ。俺たちがどんなしくじりをしていても、彼は愛し続けてくれる、と信仰がいう。何度倒れても。イエスが俺を助けあげてくれるんだ。もちろんそんな招きがあったら受けるさ。応じない理由はないんじゃないか?

【ニッキー】 まとめ

キリスト教は退屈で、嘘で、自分には関係ない、と思っていました。でもイエスキリストについて読んだ時に、そんな考えとは正反対だ、と思ったんです。イエスは私が道である、と言います。神様へ通じる道、人生の意味をもたらす方なんです。彼はまた、私は真理である、と言います。彼はいのちです。彼を通してこそ、神様と真の関係を結び、真の人生を成就できるのです。

 

【トービーとジェンマ】アルファコースは冒険の旅

アルファコースではあなたは、自分らしくしいればいいんだ。何でも自分の感じるまま語っていいんだ。疑問はとことん追求して見ることだ。複雑すぎる質問も、簡単んすぎる質問もない。あなたの物の見方は、他の人の考え同様大事だから。このアルファ・コースは旅よ。一緒に旅に出かけましょう。それは、人生の問いかけを探求する冒険の旅です。信仰とか生きる意味とかを探りましょう。

ちょっと考えて見て。あなたが70歳まで生きるとすれば、合計で20年と3か月睡眠を取るんですよ。10年と5か月テレビを見て、5年と9か月は何かしら乗り物に乗っているです。7年と6か月は食べたり飲んだりして、残りの57万時間が生きるために費やされます。その中から、24時間ほどを使って、人生の最も大きな質問を尋ねようではありませんか。 ようこそ、アルファへ!