*** アルファ・フィルム・シリーズ日本語版について***
アルファ・フィルム・シリーズはアルファ・ジャパンのウエブサイトから日本語吹き替え版(英語字幕付き)がダウンロードできます!ビデオ、シェアリング用のビデオのリンク、などアルファ開催に必要なリソースはアルファ・ジャパンのウエブサイトでアルファコース主催の登録をすることでアクセスが出来ます。ぜひお試しください。
アルファ・ジャパン
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アルファ・カナダ
アルファ・UK
なお、日本語BibleStudyによる日本語キャプション版についてはこれまで通り、黒田実まで直接ご連絡ください。minoru@nihongobiblestudy.com
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パンデミックの中、皆様のイエス・キリストとの歩みが強められますように。また心を騒がせている方々がアルファコースに集い、共にイエス・キリストにあって心を躍らせる者に造り変えられますように。
祈りはどうやってするの?どうして祈るの?
【トービー】
子供のころから祈りは苦手だった。祈りに囲まれてそだったんだけどね。学校の集会ではお祈りがありみんな暗記したお祈りをした。でも、正直、いったい何を祈っているのかさっぱり分からなかった。
家族はいつでも何でも祈っていた。レゴがなくなると祈り、パーキングが開いていますように、とか食前に。でも、朝ごはんの時は別だった。どうしてかは分からなかったけど。たぶん神様って朝寝坊、なんて思ってた。
祈らなきゃ、と思って祈った時というと困った時だった。助けてぇー。って。
【トービーとジェンマ】
祈りって世界共通の本能みたいなものよね。みんな誰でもいつかどこかで祈ったことがあるわ。
イエスが弟子たちに祈る時は、って言った。もし、じゃなくて時は、って。ってことは、みんな祈るんだってことだよね。考えてみると神がいて、関係を持てるように創造したなら、話しかける、ってことは一番自然なことじゃないかな。
そうね。人間関係って、コミュニケーションがないとだめよ。上手にコミュニケーションできれば関係もどんどん良くなっていくわ。
【質問:お祈りする?】
「毎日。」
「週イチかな。」
「はい。たくさん。」「ううん。」
「昔はよく祈ったけど、今はね。」
「正直、祈んないわ。」
「瞑想する。」
「自分なりに。」「すっごく怖かったり、なんかすっごく欲しかったり、そしたら祈るの。
「助けてくれ、って。神様と語るために。」
「希望を持てるように。特に何っていうわけじゃなくても。」
「毎日祈るさ。一日が上手くいってなくてもな。ひどくない日でもさ。」
「祈り続けてる。疑問や疑いがあるけど。気づくと、よく祈ってるんだ。」
【ニッキー】
クリスチャンになる前のことですが、それは高校を卒業し、大学進学準備の年でした。まだ17歳でした。私はグレイハウンドバスの乗り放題クーポンでアメリカを一人旅していました。
でも、旅行中にバックパックを盗まれ、服や、財布から何もかも失いました。手元に持っていたので助かったのはバスチケットとパスポートだけでした。
仕方なく、フロリダのキーウエストでヒッピーたちとキャンプで10日間過ごし、それからは毎晩500マイルバスで移動しました。バスを寝床がわりに使いました。10時間バスで寝て、500マイル離れた街に着くと、昼間はその街を歩いて過ごしました。
独りぼっちでとても寂しかった。それでとうとう、「誰か知り合いに会いたい!」って祈ったんです。神様なんて信じていなかったのにね。
翌朝、アリゾナ州フェニックスの田舎町からバスに乗りました。すると知り合いを見かけました。アンディーという昔のスクールメートでした。それで私は、「なんてこった。信じられない」って言ったんです。
今でもアンディーとは親友です。私に会うたびに、「なんてこった。信じられない!」って言われちゃいますけどね。お金を貸してくれたんですが、どうやら私はお金を全部靴下に使ったようです。
その出来事はどうってことなく単なる偶然と片付けたのでした。でも、その後40年間、私にとって祈りは何にもまして大事なものになったんです。すごい祈り上手、っていうことではないのです。だって祈るのは時に難しいと感じますから。というのも、祈り始めると雑念が湧いてきて、注意力散漫になります。忙し過ぎて、祈る時間がとれない、ということもあります。でも、祈ることは大好きです。どうしてでしょうか。
なぜなら、祈りは皆さんの人生の上で最も重要な行動だからです。事実、あなたが創造された目的が祈りだとも言えます。神様と関係を持つために造られたのですから。神様との関係というのはどうやって保つでしょうか?祈りによってです。愛している人がいれば一緒にいて、話しをし、関係をより密接にしていきたいでしょう。神様との関係も同様にして密接になってゆくのです。
使徒パウロは聖書にこう書きました。「彼を通して」、イエスのことですね、「ユダヤ人も、異邦人も、」すなわち当時でいう全世界ですね、「御父とつながりを持てるのです。」「同じ御霊によって。」聖霊によってですね。
すると、クリスチャンの祈りは御父に対してであると分かります。クリスチャンになる前は、神様って聞くと、独裁政権の独裁裁判官みたいで、全宇宙の警察みたいなもので、いつも私を捕まえようとしている、そんな風に考えていました。私は人から、「僕は神を信じない」と言われることがありますが、聞いてみるとまさにそんな風な神様のことを言っていて、そんな神様を信じていない、っていうんです。
私だって、そんな風な神様は信じてませんよ。私の信じているのはイエスが描写する神様なんです。イエスは、天にいます父なる神様に対して祈るようにと言いました。イエスは神様に対して、アラム語の単語を使って、「アバ」と呼びかけるように。現在も中東では子供たちがその呼び名を使っています。それは、「父ちゃん、パパ、」という、父親に対して、最も親愛を表す呼び名です。そしてクリスチャンの祈りもそのようなものです。あなたを愛している御父に対してなのです。
【アレックス・ダグラスの証し】
僕のかあさんはMS−多発性硬化症があって、年配になってから生まれた僕を育ててくれた。いつもMSに悩まされていたんだ。それ以外では、本当に両親はベストだと思う。僕のためになんでもしてくれる。でも、僕はベストではなかった。今はベストになったよ。最高にいいよ。でも十代のころは嘘はつくわ、学校は落第状態だった。暴力はふるったり、あからさまにギャングになって麻薬売ったりとかはしなかったけど、人に隠れたところでワルだったんだ。僕はえらく悪賢かった。人に迷惑ばっかりかけた。でもだれも僕のせいだと分からないようにだったけど。それで、ずいぶん長い間誰にもバレないで過ごしていた。
ある日、映画から帰って来た時家に帰ってきたら、両親が食卓のところで僕を待ってたんだ。親父が、「アレックス、話があるんだ」、って。ピンと来た。バレたってね。僕は両親の銀行口座から金を盗んでいたんだ。それで二階の自分の部屋に逃げ込んだ。自分が嫌でたまらなかった。なんでこんな風になったんだ、とかじゃなくて、単に、今この瞬間、おれはクズ野郎だ、って思ったんだ。悪ガキだ、って。
それで、部屋のドアにバリケードをはって、ベッドやら引き出しやらなんでもかんでもベッドの上に積み上げて、このバリケードの反対側に座り込んでいた。シクシク泣いていた。するとおやじが階段を上がる音がして、ノックが聞こえた。僕はだまってた。おやじはノックをやめた。僕はドアに向かおうと思った。その時のおやじの言葉を僕は一生忘れない。おやじは、
「とうさんもかあさんも、お前のことを愛している、ってわかってほしいんだ。」
「ただ父さんたちにはどうしたのかわけが分からないだけなんだ。」
「父さんと母さんが何をして上げられなかったのか、それが分からないんだ。」
「どうかドアを開けてくれ。お前をただハグしてやりたいだけなんだ。」
って言うんだ。
それから何年かして、なんでその時のことを思いついたのか分からないけど、分かったんだ。それって、神様のことを表す一番リアルな例だよな、って。今までの中で何よりも。戻ってきてほしい、憐れみをかけたい、というね。僕のおやじは最高さ。
【トービーとジェンマ】
イエスは天にいる御父に祈りなさい、って言ったね。この愛に満ちた御父は全宇宙の創造主なんだ。
宇宙はとてつもなく広いわ。地球から9千3百万マイル(1億5千5百キロ)にある太陽は、地球が96万個入るほど大きいの。太陽は銀河系にある3千億の星のうちの一つなんだって知っている?私たちのいる銀河系は全宇宙にある千億の銀河系の一つよ。地球上の砂浜の砂一粒に対して100万もの星がある計算になるの。創世記の中で、「神は星々も造られた。」とさらりと書き記してあるわ。全宇宙の星についてそんな感じでね。私たちはその全宇宙の創造主に祈るの。神様は超越していて、時に縛られない方ね。でも同時に私たちと共にいる方よ。
祈りは父に対してするんだ。すべてを造り、守っている方にだね。それは、御子を通してなんだ。御子イエスの十字架の死によって罪によって出来た遮るもの、壁は取り除かれて、神様に語りかけることが自由に出来るようになったんだ。御子イエスを通して、父なる神様に祈れるんだ。
【ある兵士のストーリー】
アメリカ南北戦争で連邦軍側で戦っていたある若い兵士の父と兄が戦死してしまった。実家に帰って妹と老いた母を助け、農場の作物の春の種まきをしたかった。ワシントンDCに行き、大統領から戦場離脱許可を受けようとした。ワシントンに着くと、すぐにホワイトハウスの正門へと向かった。そして、大統領に謁見を願った。門番役の若い役人は、君は大統領には会えないよ。忙しすぎて無理だね。引き返して、しっかり戦って来るんだね、といった。
その若い兵士はホワイトハウスを立ち去り、どうやってこの悪い知らせを家族に伝えたらいいかと途方に暮れていた。近くの公園のベンチに腰を下ろしていると一人の子供がやって来て、なんでそんなに悲しそうにしているの?どうしたの?と尋ねた。兵士はその子を見て、胸の内をその子に打ち明けた。その子に、父と兄が戦死したので、自分が家族の中の最後の男になって、どうしても農場に戻ってでも、そうすることを許してくれるのは大統領だけなんだ、と語った。その子はただ単に、じゃあ僕と一緒に来て、と言った。
子供は、兵士の手を引いて、ホワイトハウスの裏口へと連れて行った。裏口を抜け、近衛兵を通り過ぎ、将軍たちを通り過ぎ政府高官たちを通り過ぎ大統領執務室に来た。その子はドアをノックもせずにドアを開け、中に入っていった。そして机の向こう側には戦線の模様を検討している国務省長官といるのは大統領のアブラハム・リンカーンだった。大統領は顔を上げると、ああ、タッドか。どうしたんだい?と言った。その子は答えて言った。お父さん、この人がお話があるんだって。
【ニッキー】
「我らが父よ」イエス様は私たちを招いて彼が御父と持っている関係を私たちとも分かち合おうというのです。天の父に祈るのはイエスを通してだけでなく、聖霊によって祈るのです。
ローマ書の8:26で、パウロはこう言います。
「同じように、御霊が弱い私たちを助けてくださいます。どのように祈ったら良いか分からないのですが、御霊ご自身が私たちのためにとりなしてくださいます。(新約聖書ローマ人への手紙8章26節)」
人によっては、どこから始めたらいいのか、どう祈ったらいいのかわかんないや、というかも知れませんね。でも、イエス様を人生にお招きしたなら、イエス様は聖霊としていらっしゃいます。あなたの中に生きています。ですから祈る時は、その御霊が祈りを助けてくれるのです。神様と語れるようにです。祈りには益があります。
イエス様はこう言いました。
「祈る時は奥まったところに行き、戸を閉め、隠れたところにおられる父に祈りなさい。すると、隠れたところで行ったことを知られる父は、あなたに報いてくださるのです。(新約聖書マタイによる福音書6章6節」
【トービーとジェンマ】
では、祈りの報い、とはどんなものかしら。一つは、平安ね。目まぐるしい日常の中では、心配事も山のようにあるわね。人間関係とか、仕事、家族、健康とか、細かい事色々ね。ある母親の事を聞いた事がある。娘にテキストをしたんだって。「心配しなくていいわ。詳細は後で」って。生活をする上で、そんな風になっちゃうのはよくあるわよね。一つの悩みの種から次の悩みの種へって。そうだね。パウロはピリピ人への手紙で、「何事にも思い煩わないで、すべての事において祈りと願いによってあなた方の願い事を神に知っていただきなさい」と書いた。言い換えれば、心配になったら、祈れってことさ。すると結果は、すごい事になる、て言うんだ。神の平安が、すべての思いを超えてあなたの心と思いをキリスト・イエスの内に守る、というんだ。でも、平安、っていうのは問題がなくなる、とか頑張らなくて良い、っていうことじゃないわね。そんな色々起きている真っ只中で静けさ、というか心の中にあるってことよ。大海原の流れみたいなの。表面には波が立つでしょう、でも水面下では静かなの。祈りによって神様のもとに来ると、そんな平安をくれるの。
別の報いというと、新しい物の見方、かな。生活が忙しいと祈る時間を見つけるのが大変だよね。なんか祈るのって時間の無駄、みたいに。でも、僕の経験では、時間を見つけて祈ると、そして、特に神に感謝を捧げると人生の悩みの種が、なんかそんなに大きいとは思えなくなるんだ。生活の上で取り組んでいることはそれまでと変わらないけど祈りを通して、色々な問題をどう見るかっていうのがかわるんだ。だから立ち向えるようになる。
祈りは私たちを変えるだけではないわ。状況も変えるわ。祈りの力よ。
【ホセ・エンリケ・ゴンザレスの証し(チリ炭鉱事故からの救出】
普段と変わらない日だった。俺たちは炭鉱に入っていった。急ぎの仕事も何もなかった。それで工具を作業場に持って行って作業を終え、待避所に向かったんだ。俺たちの頭上で爆発音が聞こえたのは2時頃だった。待避所に4時間缶詰になった。土やホコリまみれになっていた。それから俺たちはどうやって待避所から出て、この炭鉱から脱出するか話し合った。けど、抜け穴はどこにもないって気付いたんだ。神様しか可能性はない、キリストしかないってわかった。だから祈らなきゃならなかった。俺たちはミーティングをして、役割分担をしたんだ。残された食料がどれくらいあるか確認するのもその一つだった。文字通り食物は2日か3日で尽きる計算だった。普通に食べたらね。分担した役割から、みんな俺に言うんだ。
お前はクリスチャンだろう。お祈りを導いてくれよ、って。そこでした最初の祈りは、こんな感じだった。「主よ、俺たちはそれほど素晴らしい奴らじゃない。どうか憐れんでください。若い奴らを、俺たちの家族をどうか見守って欲しいんだ。」俺たちは今のこの状況を全部伝えた。俺たちは祈った、
「俺たちじゃ何にもできない。神様、あなたしか俺たちにはないんだ。」
「他に誰にも助けを求める相手がいないんだ。あなただけが俺たちの祈りを聞いてくれるってわかっているから。」
毎日正午に祈りの時を持つようになった。祈ると、みんなの中に変化が見られるようになった。態度や、友情、一致団結の気持ち、神の霊が共にいてくれたんだ。これほどまでに神の前にへりくだった者たちは、この33人の仲間以外に見たことがなかった。
まず24時間断食した。それが48時間になった。72時間が断食の限界だった。そうしないと食物の備蓄がもたなかったからだ。食べる時はほんの少しだけ、でもそれは大事だった。そうやって16日間生き延びた。食物は無くなってきた。
17日目に神の恩寵で俺たちは上の奴らに発見された。重機が動いている音がする、って気づき始めた。俺たちの居場所を特定しようとあちこち調べてるんだって、分かった。
そして17日間の祈りの後、奇跡が起きた。探知機が生き埋めの人間達を見つけた。短いメモが届いた。みんな生存しているという証だった。
「みんなにキスを贈るよ!もうすぐ会えるんだ!」
「大統領によろしくな!」
「俺のかあちゃんによろしく伝えてよ。」
俺たちは毎日祈った。神様に地上のみんなが俺たちを見つけられるように導いてくれって。落盤事故から65日目に3日に渡るドリル作業の結果3つの救助計画のうち、プランBによって炭鉱夫達に救助が届いた。
22人がイエス様を受け入れたことを知ってほしい。俺は、それはとても大事なことだと思う。さあ脱出、という時になってみんなを呼び集めて、「主に感謝するまでは誰もここを離れちゃいけない。」って言った。
(ニュース中継)最後の炭鉱夫が引き上げられています。さあ待ちに待った時です。救助がこれで完了しました。喜びとお祝いの声が一斉に轟いています。2ヶ月以上にわたり、地下600メートル以上の場所に閉じ込められていましたが、33名全員が救出されたのです。
【ニッキー】
祈りが聞かれたかどうかで神様の存在を証明することは出来ません。でも、私は、祈ると、事が起きることを知っています。偶然さ、と言ってこれらを無視することは可能ですが、ウイリアム・テンプル、カンタベリー前大司教がこう言いました。「私が祈りを捧げると偶然が起きます。でも、祈らないと偶然が起きないんです」、と。
私が助けになるな、と思うことは、祈りの手帳、日記をつけることだと思います。今私がしているのは、聖書の中に祈りを書き留めているんです。一年この聖書を使いますが、聖書に祈りをその年の分を書き留めるんです。ある聖書の箇所に戻ってくると、自分がどんな祈りをしたためたかわかります。祈りが答えられたものを消します。まだ答えられていないものについては思いを巡らせるのです。
しかし、祈りはスロットマシーンのように祈りを放り込むと、自分の期待している時に期待している答えが出るっていう風なものではないですね。祈りは神様との関係と関連していると言えます。分かりやすく描写するならば、信号機みたいなものですね。時には何かを祈り求めると青信号が出る。求めたものが与えられるんです。時には即座の答えです。またある時は赤信号です。ノー、という答えです。私の人生でも、答えがノー、だったことがありますが今になって振り返ってみると、神様の答えがノーで本当に感謝だなぁと思うことがあります。例えば、神様がノー、と言っていなかったら、私は今こうしていることがなかったでしょうから。私にとって何が一番が神様はご存知です。
しかし、時にしてあんまりはっきりしない答えのことがあります。どうしてノーなのか、って。どうしてなのかを知ることが出来ないかもしれません。それは本当に辛いものな時があります。
思い出すことがあります。何年か前に、親友のミック・ホプキンズとスカッシュをしていたんですが、彼が、すごいバックハンドを決めたところですぐに振り向いて今度はフォアハンドを打とうとした。そしたら、倒れてそのまま心臓発作で死んでしまった。その時ほど、神様に呼び求めたことはかつてなかった。6人の子供がいて、下の子はまだ6歳でした。上の子は18歳でした。子供達一人一人に辛い知らせを伝えねばなりませんでした。今日に至るまでこれほど辛いことはなかった。翌朝5時に起きてまあ、眠れなかったからですが神様に叫び求めていました。神よ、なんでこんなことが起きたのかわからない。でもあなたを信頼し続けます。祈りをやめはしない、って祈ったんです。
コーリー・テン・ブームはこう描写しました。
「列車がトンネルに入り、暗くなったとしても乗車券を捨てて列車から飛び降りませんよね。そのまま座って、運転手を信頼しますね。」
その他の時は、黄信号で、それは「待て」、です。何かを祈り求めすぐにはその回答がない時、待って、信頼しないといけません。もし、5歳児が車に乗りたいよ、と言ってもだめだよ、と言いますよね。一生だめ、っていう意味じゃないですよね。大きくなるまで待ちなさい、ってことですよね。自分に今何も起きないから、と言っても将来起きないとは言えません。神様の時はパーフェクトなんです。
【質問:どんな風に祈りますか?】
「いつでも、どこでも祈る。」
「あたしはひざまずいたりして祈らないけど。」
「望みを抱くことはあるわ。それって祈りと同じでしょ?」
「神様に話したい時に祈るわ。」
「導きが必要な時に祈るかしらね。」
「日記の中にいつも、『神様』、って書いてるのよ。変よね。」
「この本は祈りの本で、いつも持ち歩いているの。」
「大抵感謝を捧げるわ。」
「家族で食事の時に祈るけど、僕はなんかね。」
「あたしは、声を出さないで静かなのがいいわ。」
「誰にでも話すように祈るかしら。」
「神様に話すときはね。頭の中で祈るけど、時には声に出したりね。」
「思いを投げる、というか考えを投げかけて、あとは出来ることをして、なんとか上手くいけばいいな、って感じ。」
「今あなたと話しているみたいに神様に話すわ。」
【ローマにて。ルイギ・ジオイア修道士】
祈りについては、3つの秘訣があるのでは、と思います。
シンプルに、
正直に
やめずに続ける、
という3つです。
シンプルに、という意味はみなさんの祈りをできる限りシンプルにする、ということです。祈りをただ一行だけにまとめる、ということです。長さは5分、10分、あるいは30分かも知れませんが。
そして祈りは正直にしましょう。よく思い間違えをするんですが、ある種の気分にならないとダメ、とか祈りの前は平安な心持ちで、とか、喜びにあふれてないとダメ、とか主に対して熱心じゃないといけないとか。現実は大抵の場合そのような心の状態ではありませんね。だいたい、何か不安があったり疲れていたり何かに苛立っていたり怒っていたりね。秘訣は、本心からそういう、否定的な感情でさえも、怒りとか欲情とかでもですね、祈りを強める燃料になることができます。祈りへと作り変えられることが可能なんです。祈りを始める時私は今の自分が経験しているのはどんな感情だろうか、と考えます。プラスの感情ならば例えば、喜びであれば、主に喜びを捧げます。あるいは、マイナスな感情であれば、例えば苛立ち、であればまたは疲労感であればそこから始めますね。主に、「主よ、私は疲れています。」と。「私は苛立っています」と伝えます。そして主にどうして苛立っているのか伝えるのです。こうやって、それらを祈りへと変えて行くのです。
そして、やめずに続けることです。いつも祈ることが可能です。私たちの周りにいる人たちのために祈ることが出来ます。主に向かって、「主よ、愛しています。」と祈ったり、「主よ、助けてください。」とかどんな状況であっても教会の中にいても、就寝前に部屋に戻っていても食前だったり散歩中でも、車を運転中でもだいたい、さあ祈ろう、と思わなくても気づいたら祈っていた、っていうことがほとんどです。習慣のようになっているからですね。
シンプルに、
正直に、
続けてください。
【トービーとジェンマ】
クリスチャンになってから、色々な祈り方をしてきたわ。何のために祈るのかって忘れないために、何かガイドになるものがあるといいわね。人によってはイエス様の教えた、主の祈りをモデルにしてるわね。僕の友人から教えてもらったんだけど、役に立つのは、たった3つの単語を覚えるだけでいいんだ。
「ありがとうございます」、
「ごめんなさい」、
「よろしくお願いします」です。
「ありがとう」は、感謝の心を育む、ということだね。神を神として讃えることだね。神の与える全てに感謝するってことさ。それで、僕はいつも恵みを数えている。僕の問題点を持ち出す前にね。
ごめんなさい、って言うのはとても大事よね。こんな祈りを聞いたことがあるわ。「今のところ順調よ。ゴシップもしなかったし、癇癪もないわ。欲張りもないし、不機嫌でもないし、自己中心でもないわ。甘えん坊さんでもないし。嬉しいわ。でも、あと少ししたら起きなきゃならないの。そしたら、とてもたくさん神様の助けが必要になるわ。」って。僕はいつもたくさん告白することがあるんだ。疑問が湧くのは、どうして自分の罪を告白するのかってことだ。だって、イエスが十字架について、僕らを全てから赦してくれたんだ。じゃあ、どうしてイエスが、僕らの罪を赦すよ、って言わなきゃいけないんだ?もう赦されてるのに。そこで、イエスは目に見える助けをくれたよね。
イエス様が十字架にかけられる前の晩のことよ。弟子たちと食事を共にしていたわ。食後に、イエス様はタオルをとって、弟子たちの足を洗い始めたの。ペテロのところに来て、彼の足を洗おうとしたら、ペテロは、「ダメです。主よ。」俺の足なんか洗っちゃダメだ。」するとイエス様は、私があなたの足を洗わないと、あなたとは無関係になるのです。」と言ったわ。そこでペテロは、「そんじゃ体全体もお願いするぜ、」って言ったんだね。イエスは、「体全体を洗う必要はありません。水浴をした者には水浴は再び必要ではないのです。足を洗うだけでいいのです。」と言った。
イエスを信じた時に体全体は清められたんだね。過去、現在、未来の全て。全てに赦しが与えられた。日常の生活の中で、言ってみれば足が汚れる、っていうことなんだ。そしたら、また振り出しに戻ってクリスチャンをやり直す必要はないんだ。日々の清めが必要なだけさ。
最後に、「お願いします」、っていうのは大事よね。イエスは集中して祈りなさい、と教えたわ。今日、日々の糧をください、と祈るように。人のために祈りなさい、自分たちのために祈りなさい、って教えてくれたの。あなたが困っていることはすでに、神様にとっては大事なことなの。いつでも、どこでも神様に祈れるのよ。一人で祈るのがいい時もあるわね。時には他の人たちと一緒に祈るのがいいこともあるわ。
【ニッキー】
人と一緒に初めて祈った時のことを覚えています。それは親友のニッキーとシラリックだったんですが、クリスチャンになって2・3週間の頃でした。休暇を一緒に過ごしていたんです。シラリックが言い出したと思うんですが、一緒にお祈りしましょうよ、って。多分2分そこらの祈りだったでしょうね。でも、無言だったり、言葉が出なかったりが多い2分間でした。祈り終わった後、私のシャツは汗でずぶ濡れでした。声に出して祈る、っていうことにとてもナーバスになっていたからなんです。けれども、それはとても素晴らしい体験でした。
長年にわたってわかったのは祈りは驚くべきものだ、っていうことなんです。神様が数多くの祈りに答えて下さったんです。神様との関係を深めるのにとても助けになりました。あなたも今日から始められます。事実、今この場から始められます。
祈りましょう。
主よ、感謝します。
あなたは天の父なる神ですから。
私を愛してくれています。
あなたは、私が、もっとあなたのことを深く知ることを望んでおられます。
祈り求めることを通して。
ですから、祈れるよう助けてください。
イエス様の御名によって祈ります。
アーメン。
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