クリスマス待降節

クリスマスの時期が来ると多くの教会ではコンサートや歌劇・演劇が行われるでしょう。子どもたちが衣装を着てクリスマスの劇をしたりします。ルカの最初の2章にイエスの生誕にまつわる記事が書かれていますが、そこには多くの登場人物が出てきます。彼らのストーリーはどれもユニークで、どれひとつとってもクリスマスの曲になったり、劇の一シーンになることができるでしょう。ルカの1章、2章からの色々な言葉を取り上げてみました。待降節は現在から見れば後ろ向きの待降節ですが、ぜひ想像力を働かせながら当時の神のストーリーが目の前に繰り広げられている様子を想ってはいかがでしょう。

ピリピ書から学ぶ

毎年11月になると次の年の抱負をまとめ始めます。今年も想いを巡らせていました。祈祷会で他の人が祈っている途中でピリピ書の聖句が浮かんで来ました。雑念ではなく、祈りの流れと内容に沿って聖句が浮かぶことが多いです。そしてこの聖句はその後も頭に残っていました。そして繰り返し読み、その箇所をまとめてみようと思いました。それがこの投稿の画像にあるホワイトボードへのメモです。(ピリピ 4:4-7)ここから来年の抱負を取りまとめています。そして、2026年はピリピ書に飛び込んでみることにしました。このウエブサイトで毎月ピリピ書を読み進めていきます。

使徒|05 エルサレムでの癒しの証し 3:1-10

ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。すると、生まれつき足のなえた人が運ばれて来た。この男は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。 男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。(使徒 3:1-5)

聖霊|05 聖霊の賜物

聖霊の賜物は私たちの信仰生活における神の臨在からの力によってのみ可能となる神からの具体的な能力や力量のことを指します。賜物は神から与えられるもので自分で築き上げるものではありません。聖霊の働きが一人一人の信者において、つまり全て信ずるものたちに、明らかにされるものです。

使徒 | 04 初代教会の「ひたすら」 2:41-47

救われた人々は、「じゃ、またあとで」と集会を後にしてさよならした訳ではありませんでした。彼らは信仰の告白である洗礼を受け、「弟子」として共に集いました。教会の誕生とも言えるでしょう。イエスの生涯、十字架、復活、そして昇天の目撃者であり証人のペテロを中心とした弟子達に加えられたのです。

口語訳聖書は42節を「そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。」と訳しています。 「ひたすら」とある通り、熱心に専心していたことが四つ書かれています。

聖霊|04 聖霊の声を聞き分けるには

何か大きな意思決定をするとき、自分が正しい選択肢を選びたいと願うのは当然のことです。信仰の歩みにおいて神の導きに従うことほど「正しい」生き方はないからです。「義」という概念は「義なる神との正しい関係」にいつも行き着くからです。

聖霊|03 聖霊とイエス

イエスが預言の通り十字架にかかり、復活し、昇天し栄光についたのでイエスの霊が信じるもの全てに与えられています。私たちのストーリーはイエスの十字架に基づいています。そしてそれは聖霊と切っても切れない関係です。私たちのストーリーも聖霊に繋がっているのです。