ピリピ|05 福音にふさわしく生きる 1:27-2:4

前回パウロが自分の境遇を福音の前進に照らし合わせて語ったのに対し、27節からの今回のセクションではパウロはピリピにいる信徒の現状をひいて語ります。ズバリ、「キリストの福音にふさわしく生活すること」こそがピリピ信徒たちの唯一の鍵だと言うのです。「ただ一つ」という言葉は「何があろうと」とか「とりわけ」いう意味です。この箇所でパウロが強調しているのは「一致」です。今回の箇所、そして次の二つのセクション(2:5-11, 2:12-18)でもキリストに倣うものとして、そしてイスラエルを反面教師として取り上げ、一致を促します。

使徒|10 誠実と偽り4:36-5:11

4章の最後に出てくるバルナバの献金と5章に出てくるアナニヤと妻サッピラの献金が今回のストーリーです。バルナバが光、そしてアナニヤ夫婦が闇とでも言えるような記事です。そしてこの記事の最後の締めくくりの言葉には「非常な恐れが生じた」とあります。

今回の箇所で神は公の方法で罪に対してその裁きを見せます。常にこれほどまでに大ぴらに対応されるとは限りませんが、これは今回の記事の時代がいかに教会にとって大事な時であったかを表すものです。

ピリピ |04 確信しています 1:18b-26

今回の箇所はキリストの十字架・復活・昇天の後の世界に生きているクリスチャンの立ち位置を示しています。クリスチャンにとってキリストの再臨、永遠のいのち、天国、というのは信仰によって聖霊が確信を与えているものです。息を引き取る時が人生の最後ではなく、新たないのちへとつながる希望を持っています。しかし、この世においてはこれから次の瞬間に何が起きるのかすらわからないのです。”Already, but not yet” すでに実現しているが完全ではない、という表現がぴったりです。

使徒|09 革命的なシェアリング 4:32-35

今回の箇所ではさらに具体的にシェアリングについて書かれています。初代は初代、当時と現代は違う、というように考えるべきでしょうか?あるいは古き良き時代のやり方に戻るべきでしょうか? 教会は、共有する=共産主義的に進んでいくべきでしょうか?

生きている主の綴るストーリー

イースターおめでとうございます。キリストの十字架の死と復活を共に味わい、祝うことができることを感謝します。大っぴらに礼拝の出来ないような場所にいらっしゃる方もいるでしょう。主の恵みをお祈りします。
クリスチャンライフは、ドラマや本のように一話完結というわけではなく、疑問や謎が解決しないことがほとんどではないでしょうか。でも今週それがほんの少し内容が繋がったように思えたことがありました。それをシェアします。

見つめられる

フィギュアスケートペアで日本史上初のオリンピック金メダルを獲得した木原・三浦選手たちは競技中もインタビューでも、オフでも、よくお互いの顔を見合っています。気づいたらお互いに顔を見合っているそうです。世界最高の結果が出るのは信頼とか絆、という言葉で表現されています。仲がいいお二人ですからお互いに見つめあってもそれはますます信頼を深めているのでしょう。でも見つめているのが神様だとしたらどうでしょうか?居心地悪いでしょうか?

ピリピ|03 福音の前進 1:12-18a

今回の箇所では「喜び」について垣間見ることが出来ます。喜びとは、すべて順風満帆だから嬉しい、という気持ちではありません。福音を人生の中心に据えて神がどんな苦境を通してでもその福音を伝えて広げてくださるという揺るがない平安を与えるのが神の喜びです。

使徒|08 脅かしに対して心を一つに祈る 4:23-31

あなたや教会は今日迫害に脅かされているでしょうか?もちろん迫害に遭遇しているでしょう。イエスを信じることを告白することはすなわちこの世にノーと言っていることです。この世の流れや風習、他宗教や様々な教えが蔓延しています。日本や北米では信仰の故に牢屋に入れられることはすぐにはないでしょう。しかし信仰のゆえに誤解を受けたり、行動を規制されたり、法律にはむかわねばならないことがあるでしょう

キリストはさらに身をかがめ

Christ is Lower Still: この曲が多くの人の心に訴えるのは私たちの胸の内、心、体、たましい、私たちのすべてが癒しを願い求めているからです。聖書の中のキリストが歌われている曲です。

この曲を聴きながら思い浮かんだいくつかの聖句を引用します。