借りた祈り(番外編)

昨今、身の回りで起こることを網羅して祈るのは大変です。箇条書きにしたらそれこそ本が出来てしまうぐらいではないでしょうか。するとどうしても祈りを励まされるよりも、膨大なニーズに目が行ってしまい心が騒ぐだけで終わることがあります。極端に「神様よろしく!」みたいにちょっと投げやりな祈りになったりもします。

ルカ #73 24:1-12

この箇所に登場する女たち、マグダラのマリヤ、ヨハンナ、そしてヤコブの母マリヤは様々な感情を示します。起伏が激しいのでまるで感情がジェットコースターのように上がり下がりするかのようです。私たちもイエスに遭遇すると、特にイエスの復活に対面するとき様々な感情や感覚を体験します。

固唾(かたず)をのんで何を待ち望むのか?

私たちには神の全てを解き明かすことも、神の動きを理解したり、神を型にはめることなで出来ません。そういうことを見極めようと目を凝らし、固唾を呑んで待つのではないのです。私たちが信仰によって神に目を向けるときには何を望んでいるのでしょうか?今日の箇所からわかるのは、私たちは神のあわれみを乞い願い、いつあわれみが与えられるか待ち望んでいるのです。

ルカ #71 23:27-43

イエスに従う者たちの共通の嘆きや悲しみと同時に、イエスを嘲笑い、悪口を言うものたちの姿、そして民衆が傍観している姿が記されています。イエスと共に十字架につけられた犯罪者二人が正反対の態度を示したのがこの世の姿を表しています。