借りた祈り:三位一体を讃える
聖書の語る神とは、3人であられ一人の神と言う意味で「三位一体の神」と呼ばれていま 続きはこちら
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自分自身の真心を持ってそれを祈ると言う方法で、私は「借りた祈り」と名付ける事にしました。
このことばを意識的に信じると決心して、あとは神様に任せると言う企画を建てて見ませんか? そうする事によって
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいま 続きはこちら
福音を喜んで受け入れる事は、子供たちの方が得意なようですね。主イエスは、いくつになった大人でもその心を見習うようにと言っておられます。
だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
主イエスのことば程あって、この聖句もまた心の重みを取り去ってくれるものではないでしょうか?
人は自分の心と言葉を管理する事は簡単ではありません。それでも、愛する主イエスの御前に喜ばれるものである事を願うなら、聖霊が助けてくださる事は確かです。
主イエスに従って歩んできても、試練の嵐が吹き荒れる事はあります。
神は私たち一人ひとりに携わる全ての事柄をご存知で、愛を持って最善に導こうとされます。その神を信頼 すると決意する時、心を主イエスの御前に静める事ができるのです。なぜなら、主イエスは、ご自身を信じる者には世が与える事のできない平安を与えてくださると約束されたからです。(ヨハネ14:27)
その人が神に忠実に生きる事に心を注いだ日々が「報いの冠」や「天の宝」となって与えられるのだと聖書は語っているのです。