神様が太鼓判を押して下さる道を歩めるなら、人はどんな状況であっても平安を感じながら歩む事ができるのではないでしょうか。その神様の導きにどう備えるかについてが前回のブログの課題でした。今回は、導きをどう見極めるかに触れようと思います。
聖書をパカっとあけて神様の声を聞こうとする時、稀な状況の中で神様は答えて下さる事を見てきているし、自分にも経験があります。 でも、お御籤や占いではないので、 普段からそのやり方で御心を探ろうとするのは神様に喜ばれる事ではありません。 忠実に御心を探ろうとするならば、いくつかのガイドラインがあり、神様が導いておられる道、または「次の事」を見極めるには、以下のようにいくつか注意する点があります。
- 祈り - 願う道があっても、どう進んでいいか全く分からなくても、まず導いて下さるように祈る事が重要ですね。直に分かる事かも知れないし、しばらく(時には何年も)祈りながら神様を信頼して答えを待つ必要があるかも知れません。とにかく率直に心の内を祈る事が大切です。
- 常識 - 初めに語った事ですが、願う道が「居てはいけない場所」だと明らかに分かるのであれば、神様からの導きではない判断する必要があります。
- 示し - 多くの場合、神様が「これをしなさい」とか「この道を進みなさい」と言う具体的なメッセージを色々な形で送ってくださいます。
◎ 聖書の言葉: 聖霊がなさる事は不思議です。その人に直接書かれていない筈の話や手紙でも、神の息吹がかかっている聖書の中から、読んでいる人に具体的なメッセージを送る事ができるのですから。なので、常に聖書を読む事はこう言った意味でも大切な事です。
◎ 状況の動き: 願う道が「青信号」であるなら、遅かれ早かれ状況が整ってくる事がよくあります。目の前の扉が開いて一歩進めばまた一つ扉が開く、と言う感じで。しかし時には、神が導いておられる道を妨げようとする働きも出て来るので、常に聖書と祈りが重要です。
◎ 人の言葉を通して: 別の人が言った事やアドバイス、成熟したクリスチャンや牧師先生からの聖霊の力のある言葉や書いた文書など、神様は人の言葉を使って人に語りかけられる事が多くあります。しかし、人の言葉のみで決断する事は危険なので、ここにある、他の要点も伴っている事を確認する必要があります。
◎ 超自然な形で: 頻繁ではありませんが、時には神様が不思議な形で真っ直ぐ直接その人に語られる事があります。 耳で聞こえる様に語りかけてくださったり、心の奥で響く様な声があったり、その他には幻や夢を通してでもハッキリとしたメッセージを語られます。
- 感じるもの - 進もうとしている道に関してどう感じているでしょうか? 神様が立たせて下さった志であるならば*、心配な事はあっても情熱や喜び、平安などが伴ってくるのではないでしょうか。
*ピリピ2:13
神様からの愛を喜び、愛し返す。これが誰にも共通の「居るべき場所」で、イエス様を土台にした人生*なのだと確信しています。 そうする時、「導いて欲しい。 従って生きていきたい。」と願うのも自然な副産物ですね。 そして仮に、精一杯の誠意の末、間違った道を進んでしまうような事があったとしても、神様は必ずそれを正してくださるお方なので、安心できますね。
「人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。」 箴言16:9