非日常のすすめ
先日、教会のスタッフは祈りのリトリートを持ちました。リトリートは日常から脱出してリフレッシュするためのプチ旅行みたいなものです。旅行とは違い、目的は観光ではなく静かな時間を持ちます。クリスチャン的なリトリートであれば、聖書をじっくり読んだり、自然に囲まれてゆっくりとしたり、祈りの時間をいつもよりゆっくりと、じっくりと味わう時です。
先日、教会のスタッフは祈りのリトリートを持ちました。リトリートは日常から脱出してリフレッシュするためのプチ旅行みたいなものです。旅行とは違い、目的は観光ではなく静かな時間を持ちます。クリスチャン的なリトリートであれば、聖書をじっくり読んだり、自然に囲まれてゆっくりとしたり、祈りの時間をいつもよりゆっくりと、じっくりと味わう時です。
パウロはギヤチェンジをします。今回の箇所で彼はピリピの信徒へ、ひいては今日のクリスチャンたちに警鐘を鳴らしています。3章1節は新しいセクションへの移行と共に、「喜びなさい」と命じます。
神の子イエスさまは、父なる神さまと一つであられます。それなので、イエスさまも神さまです。そして、せいれいさまとは、私たちの心をたすけてくださるお方で、この方も神さまです。父なる神さまと神の子イエスさまとせいれいさまは三人で一つの神さまです。このふしぎな事を「さんみいったい」とよびます。
教会の賛美チームのある練習の時にあった出来事を考えていたら、ずっと昔に聴いて、教会でも賛美した Mercy Me の “Word of God Speak” という曲を思い出しました。それを今日は掲載します。
イエスの癒しのストーリーは素晴らしいです。今日も神は癒されます。でも、今この時を生きる私たちには一つのテンションがあります。
今回の箇所をスラスラと読んでしまうと、旅行の予定しか頭に入らず、パウロの本心を理解し損ねます。ここでパウロが語っているのは単に今後のテモテ、パウロ、そしてエパフロデトのピリぺへの旅程だけではありません。1章から彼が語り続けている「福音にふさわしく生きる」というテーマが底辺を流れています。この箇所では福音にふさわしく生きている、模範とも言えるテモテとエパフロデトのことを語っているのです。
「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。」ヨハネ1:4
「この方」とは、イエスさまのことをいっています。イエスさまがくださるいのちとは、体のいのちだけではなくて、神さまをあいするよろこびと天国に行って神さまとずっと生きつづけるいのちのことです。そして、このすばらしいいのちは人の心をよろこびで明るくしてくれるので、「このいのちは、人の光であった。」と語っています。
スモールグループの存在意義は教会ごとにいろいろあるでしょうが、煮詰めていくと3つのCが残ると思います。それはChrist、キリスト、CommunityコミュニティーそしてCareケアです。キリストを中心とした集まりで、バイブルスタディーを通してもっとキリストの似姿に近づき、信仰を一人で生きるのではなく同胞と力を合わせ、励まし合いながら生きるコミュニティーの中で育ち、そしてお互いに祈り合い助けある、ケアをしていく、そういう親密さがスモールグループのエッセンスです。
「すべてのものは、この方によってつくられた。つくられたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」ヨハネ 1:3
先週、CAチャーチで開催していた十週間のアルファコースが終了しました。ラストの夜はセレブレーションナイトとして、「教会」についてのライブトーク、様々なエリアで活躍したボランティアたちを紹介し、ゲストの方々がアルファ体験談を自由にシェアする時間でした。アルファは終点ではありません。信仰の歩みの出発点、ゲートのようなものです。これまでは「個」であった人が、アルファでつながりを持ち、「友」や「兄弟姉妹」というリレーションシップを作りました。