語彙力テスト
先日読んだ詩篇の箇所にこう書かれています。英語で紹介します。日本語訳だと同じ「喜び」と訳されている言葉に対して、英語だと三つの違う単語が使われていました。えっ何で?と気を惹かれました。興味が湧いたのです。
先日読んだ詩篇の箇所にこう書かれています。英語で紹介します。日本語訳だと同じ「喜び」と訳されている言葉に対して、英語だと三つの違う単語が使われていました。えっ何で?と気を惹かれました。興味が湧いたのです。
主イエスのことば程あって、この聖句もまた心の重みを取り去ってくれるものではないでしょうか?
聖書を読み進めているともうよく知っている箇所で新しい教えを受けることがあります。デボーションにTim Kellerの “The Songs of Jesus” と言う詩篇からの教えと祈りを読んでいるのですがそこからハッと想わされたことをシェアします。
今日は詩篇80篇から想わされたことをシェアします。詩篇は歌・詩ですから当然ですが、様々な讃美歌、聖歌、ワーシップソングなどのインスピレーションとなったり、文字通り歌詞が詩篇から取られているものも多くあります。教会によっては礼拝において詩篇をそのまま歌うところもあります。
人は自分の心と言葉を管理する事は簡単ではありません。それでも、愛する主イエスの御前に喜ばれるものである事を願うなら、聖霊が助けてくださる事は確かです。
主イエスに従って歩んできても、試練の嵐が吹き荒れる事はあります。
神は私たち一人ひとりに携わる全ての事柄をご存知で、愛を持って最善に導こうとされます。その神を信頼 すると決意する時、心を主イエスの御前に静める事ができるのです。なぜなら、主イエスは、ご自身を信じる者には世が与える事のできない平安を与えてくださると約束されたからです。(ヨハネ14:27)
ステージに立って演奏したり賛美するものにとって陥りやすいわながあります。自分が他の人より上手なのになんでもっと認められないのかという気持ちになってしまう。人の演奏や歌い方に対して批判的な思いが礼拝の中で出てしまう。それが目に見えない形でどんどん信仰心に穴をあけ、心を蝕んでゆくのです。どうしたらいいのでしょうか?
その人が神に忠実に生きる事に心を注いだ日々が「報いの冠」や「天の宝」となって与えられるのだと聖書は語っているのです。
「さあ祈りましょう」という言葉は教会では良く聞くものです。するとあなたはどうしますか?目をつぶって、静かに手を組んで、じっと神経を祈りの言葉に集中させますね。私もたいていそうします。でも、体を動かし、動作をとりながらする祈りもあります。
今回の箇所を読む時、おそらく、「?」と言う気持ちになるでしょう。イエスは一体何について語り、何について預言しているのか困惑させられるでしょう。パズルを解かねばならないような気持ちになります。都を囲む軍隊、吼えたける荒波、人の子が雲に乗ってやってくる、神の御国の到来などなどです。現代の私たちはどう理解して、何をするべきでしょうか?