借りた祈り|召命
父なる神様、あなたが私の人生を司ってくださっていることを感謝します。どうか、私があなたの用意してくださっている道から逸れないように、日々私の心を導いていてください。主イエス様、いつの日か私があなたの御前に立つ日、私があなたからのこの世での召命を果たしたとして、「よくやった」と声をかけてくださる事を私は切に願います。
父なる神様、あなたが私の人生を司ってくださっていることを感謝します。どうか、私があなたの用意してくださっている道から逸れないように、日々私の心を導いていてください。主イエス様、いつの日か私があなたの御前に立つ日、私があなたからのこの世での召命を果たしたとして、「よくやった」と声をかけてくださる事を私は切に願います。
この世は私たちを欺きます。私たちが頼りにするのは結局自分自身だけで、自分の心に従い、感情や気持ちが自分の人生が上手くいっているかどうかのバロメーターだと嘘を教えます。ソーシャルメディアを見るとこの嘘がもっと深く刻み込まれていきます。自分には常に何か足りない。人より劣っている。もっと…が必要だ。他の人は素晴らしい人生を送っているのに。と嘘を吹き込みます。
以前の投稿にある高校生Z君が学校では人気者なのに孤独に感じていた、という証しを洗礼式の時にしていたことをシェアしました。現代はテクノロジーがありとあらゆるところで生活に入り込んでいます。ソーシャルメディアやメッセージアプリなどで現代人はこれまでになく人と繋がっているように見えます。しかし、実際は孤独感や疎外感、あるいは人に受け入れられたいということからくる強い承認要求とそれが満たされなかったらどうしよう、と不安に悩むのが現代の深い闇ではないでしょうか。
長く一つの職場にいるとそんな「少しづつ」のインクリメンタリズムを目の当たりすることができます。教会のフードサポートもその一つですが、今日はユースへのアウトリーチのここ数年の流れをご紹介します。もちろんこの流れはそれよりもずっと以前から種が撒かれていたのが今になって実をならせ始めているのでしょう。神に感謝します。
クリスチャンはよくこんな経験をします。それは、ある時突然それまでは気づいていなかった人や状況にハッと気付くことです。まるで目は開いていたのに見えていなかったことがあったかのようです。
「「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。」。。「でも!」って言いたくなりませんか?
2019年に Eugene Peterson の Living the Resurrection から三つの投稿をしました。今月20日のイースター、キリストの復活を祝う時に備え、その本と、当時の投稿を再度見直して、今回の投稿にしています。
Eugene Petersonは復活は自分が手にとって加工したり再生することが出来ないものだと言います。自分の勝手なものに作り変えることは出来ないのです。日本人は結構海外や異質なものに触れるとそれを日本風に作り替えて、似て非なるものにするのですが、それがまた、「和風」なので日本人にあったものになります。しかし復活は「和風」や「自己流」にして自分なりに取り込むことは出来ないのです。
この自己流を否む復活を三つの側面から考え、そして復活を体験する、生きる助けになるよう願っています。
このことばを意識的に信じると決心して、あとは神様に任せると言う企画を建てて見ませんか? そうする事によって
待降節をどうお過ごしですか?キリストの生誕を待つこの時期ですが、現代クリスチャンにはキリストの再臨を待ち望むことを想わされる時期でもあります。