クリスマス待降節

クリスマスの時期が来ると多くの教会ではコンサートや歌劇・演劇が行われるでしょう。子どもたちが衣装を着てクリスマスの劇をしたりします。ルカの最初の2章にイエスの生誕にまつわる記事が書かれていますが、そこには多くの登場人物が出てきます。彼らのストーリーはどれもユニークで、どれひとつとってもクリスマスの曲になったり、劇の一シーンになることができるでしょう。ルカの1章、2章からの色々な言葉を取り上げてみました。待降節は現在から見れば後ろ向きの待降節ですが、ぜひ想像力を働かせながら当時の神のストーリーが目の前に繰り広げられている様子を想ってはいかがでしょう。

ピリピ書から学ぶ

毎年11月になると次の年の抱負をまとめ始めます。今年も想いを巡らせていました。祈祷会で他の人が祈っている途中でピリピ書の聖句が浮かんで来ました。雑念ではなく、祈りの流れと内容に沿って聖句が浮かぶことが多いです。そしてこの聖句はその後も頭に残っていました。そして繰り返し読み、その箇所をまとめてみようと思いました。それがこの投稿の画像にあるホワイトボードへのメモです。(ピリピ 4:4-7)ここから来年の抱負を取りまとめています。そして、2026年はピリピ書に飛び込んでみることにしました。このウエブサイトで毎月ピリピ書を読み進めていきます。

You say …

この世は私たちを欺きます。私たちが頼りにするのは結局自分自身だけで、自分の心に従い、感情や気持ちが自分の人生が上手くいっているかどうかのバロメーターだと嘘を教えます。ソーシャルメディアを見るとこの嘘がもっと深く刻み込まれていきます。自分には常に何か足りない。人より劣っている。もっと…が必要だ。他の人は素晴らしい人生を送っているのに。と嘘を吹き込みます。

固唾(かたず)をのんで何を待ち望むのか?

私たちには神の全てを解き明かすことも、神の動きを理解したり、神を型にはめることなで出来ません。そういうことを見極めようと目を凝らし、固唾を呑んで待つのではないのです。私たちが信仰によって神に目を向けるときには何を望んでいるのでしょうか?今日の箇所からわかるのは、私たちは神のあわれみを乞い願い、いつあわれみが与えられるか待ち望んでいるのです。