使徒|07 逮捕されたペテロとヨハネ 4:1-22
神は人の歴史にあって働かれます。その人生において、神に従い、聖霊に導かれる信仰の姿が使徒の働きの書にはっきりと見られるのです。
神は人の歴史にあって働かれます。その人生において、神に従い、聖霊に導かれる信仰の姿が使徒の働きの書にはっきりと見られるのです。
当時のペテロとヨハネが関わっていた民はユダヤの民たちです。宮でのいやしを目撃したものたちが彼らについて回っていました。宮のソロモンの回廊でペテロは彼らに語りかけます。そこは、イエスがユダヤ人たちに語った場所でもあります。(ヨハネ 10:22)ペテロはその時のことを思い出していたしょうか?
ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。すると、生まれつき足のなえた人が運ばれて来た。この男は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。 男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。(使徒 3:1-5)
救われた人々は、「じゃ、またあとで」と集会を後にしてさよならした訳ではありませんでした。彼らは信仰の告白である洗礼を受け、「弟子」として共に集いました。教会の誕生とも言えるでしょう。イエスの生涯、十字架、復活、そして昇天の目撃者であり証人のペテロを中心とした弟子達に加えられたのです。
口語訳聖書は42節を「そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。」と訳しています。 「ひたすら」とある通り、熱心に専心していたことが四つ書かれています。
ペテロは11人の弟子達と共に群衆の前に立ち、福音を語りました。聖書の最初の伝導メッセージと考えられています。
イエスが昇天したのち、弟子たちは共に集まって祈っていました。
二十世紀の哲学者、Alasdair MacIntyre は自分がどんなストーリーの一部なのかまず分からないと自分の使命も分からず、行動も取れないと著書で語ります。弟子たちの証人としての新たなストーリーが始まります。そしてそれは、私ちのストーリーでもあるのです。
ルカは福音書に引き続き、「使徒のはたらき」を記録しました。言ってみれば前編・後編に当たります。各書の出だしがそれをよく表しています。テオピロ、という人物が宛名のようですが、聖書研究家たちはこれは暗号のようなもので実在の人物ではないようです。テオピロというギリシャ語の意味は「神を愛するもの」であり、ルカは神を信じ愛する者たち一般に書き送ったとも考えられます。
普通は最終回は物語の終わりです。しかしルカの福音書の最終回は新たなストーリーの始まりです。キーワードは「証人」です。
今回の箇所はぜひ想像力を働かして読んで下さい。二人の弟子がエルサレムからエマオという村の自宅に歩いて帰っています。11キロの道のりですから大体3時間程度かかる距離です。話は当然イエスの十字架の出来事になったようです。