ローマ人への手紙 6:11
ですから、あなたがたの古い罪の性質も、罪に対して死んだもの、反応しなくなったものとみなしなさい。そして、その代わりに、私たちの主イエス・キリストに結ばれ、神に対して生きる者、神の御声に敏感に応答する者となりなさい。(リビングバイブル)
このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。(口語訳)
このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。(新共同訳)
つい最近新しい靴を買いました。どうやら足首が痛いのが靴のせいかもしれない、ということではき心地のいい、足をしっかりサポートしてくれる靴を見つけて買ったのです。でも、今まで履いている靴はまだ履けるのでそちらを履いたままでいたら、家内から、「なんで新しいのを履かないの?」と聞かれて、「まだ履けるし」と答えたんですが、せっかく足のために買ったんだから新しいのに取り替えるのがいいわ、ということで渋々新しいはき心地の良い、足をしっかりサポートしてくれる靴に履き替えました。
そしてその朝出勤する時に思ったんです。クリスチャンライフの中でも自分は似たようなことをしてるんじゃないかって。イエス様に救われて豊かないのちを歩めるようにしてもらっておきながら、「ああ、まだ昔の生活が気持ちがいいんで」なんて後戻りしてることがあるじゃないか、と思いました。やっぱりデフォルトは昔の生活なのかもしれません。だから、パウロもローマにいるクリスチャン達に、「みなしなさい」「認めなさい」「考えなさい」英語で行くと Count yourselves, consider yourselves … と語っています。自分が誰で、何者かをよく思い出してそのように生きよう!と勧めているのです。
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
(2コリント5:17)