私の母親は今年80歳になりました。保育園の保母さんから始め、園長役を長く勤め、退職した後も保育園でお手伝いしたほど福祉と子供にエネルギーを注いだ人生です。父は3年前に亡くなりました。わたしの弟の家族が良く面倒を見たり、楽しい時間を過ごしてくれています。私はというと、母は東京、私はカナダなんです。8000キロの距離は遠いです。
最近その母が検査で糖尿だと判明し、血糖コントロールと食餌療法のために教育入院となりました。食べるのが好きな母としては大変だろうな、と思いました。先日は外出が許可されて回転ずしに行ったそうで、楽しそうな写真が送られてきました。
入院の前に聖書の詩篇のことばを母に送りました。こう書いてあります。口語訳聖書を使いました。
詩篇68:19
「日々にわれらの荷を負われる主はほむべきかな。神はわれらの救いである。」
この聖書の箇所は我々の主なる神は私たちと近くにおられる、と励ましてくれています。しかも私たちの重荷を負って下さいます。別の翻訳では私たちを背負って下さる、ともあります。私たちが神様を近くに感じようと感じまいと、毎日主は私たちの重荷を負って下さる、と聖書が教えてくれるのです。それが励ましになってくれたら、と思ってこのみ言葉を母に送りました。
聖書にはこのように、神様が私たちの生活の細かいところまで気にかけてくださっていると、具体的に書かれているところが多くあります。神様は人生を上手く生きるためのハウツー本でも、哲学でもありませんし、世界を組み立ててあとはご自分で勝手にどうぞ、というような方でもありません。人生に個人的に関わって下さる主なのです。
天からふった「マナ」の記事があります。
旧約聖書の出エジプト記16章で、モーセがこのマナを通して神様がイスラエルの民を養って下さった、という記事を書いています。民はこの時エジプトから脱出したものの、荒野をさまよって苦労していたからです。
出エジプト16:4
「主はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする。民は外に出て、毎日、一日分を集めなければならない。」
マナは毎日集めるのです。その日に必要な分をその日に得るのです。神様が養って下さるのです。神様の言葉を無視して、必要以上に取りすぎると腐ってしまったのです。毎日マナを集め、それによって養われることで、さらに神様への信仰も培われていったのです。
イエス様がこのマナについて解説している箇所があります。ご自身がこのマナなんだ、と言うのです!
新約聖書ヨハネ6章には大変興味深い記事があります。イエス様、弟子達、そして群衆のやり取りです。かいつまんで言うと、こうです。イエス様と弟子が言わばミッション・トリップに出かけていました。自分達の本拠地から離れて、あまり望ましくない地域に行きそこでミッションワークをしていたのです。当時のイエス様たちの本拠地であったカペナウムから船でガリラヤ湖を渡った「あちら側」に出向いていたのです。異邦人の、神を信じない、当時のユダヤ人からすれば避けるべき場所だったのではないでしょうか。そのミッション先でイエス様は集まっていた群衆5000人に食事を奇跡的な方法でお与えになったのです。その晩、弟子たちがカペナウムに船で引き返しましたが、イエス様は別行動をとられていました。すると嵐が起こり、高波に船は危険にさらされました。そこに、何とイエス様が海の上を歩いて現れたのです。弟子たちは恐れ、驚き、おののきました。イエス様が船に乗り込むと無事に船がカペナウムについたのです。翌日、対岸からイエス様を追って群衆が押し寄せてきました。奇跡を見せられ、不思議な方法で食事まで振舞ってもらったからでしょうか。聖書は群衆とイエス様の対話をこう記しています。
ヨハネ 16:31-35
(群衆がイエスに言った)私たちの父祖たちは荒野でマナを食べました。『彼は彼らに天からパンを与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。モーセはあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。しかし、わたしの父は、あなたがたに天からまことのパンをお与えになります。というのは、神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです。」 そこで彼らはイエスに言った。「主よ。いつもそのパンを私たちにお与えください。」イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。
イエス様はいのちのパンなんです。イエス様は、神様は文字通り私たちと同一化してくださいました。イエス様が人となり、私達の死という苦しみを取り去ってくれたばかりか、罪の報酬としてのさばきからも解放して下さったのです。(ティム・ケラー師 The Songs of Jesus )
あなたは天からのマナを受けていますか。イエス様に「今日の糧をください」と叫んで下さい。イエス様は必ず答えて下さいます。この世の富、物質、人間関係は私たちを喜ばせ、楽しませ、心を満たす、と約束し誘いかけてきますが、私達の心を充足と平安で満たすことはありません。常にまだ足りない、もっと、もっと、と心を騒がせ続けるだけに終わります。いのちのパンである、とおっしゃるイエス様のところにいくと、決して飢えることなく、渇くことがないのです。
詩篇68篇19節(新改訳聖書)
ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。