今年はブラザーローレンスからインスピレーションを受けて信仰生活を進めています。彼との会話や手紙が ”The Practice of the Presence of God” (神の臨在を生きる)という本にまとめられています。その会話の一つにこう書いてあります。

「自分たちの目にみえるこの世の事も、目に見えない永遠につながる霊的なことにおいても、全て神に委ねなさい、そして神の意志を成就出来ることで満足感を得られるよう求めるべきです。We ought to give ourselves up to God with regard both to things temporal and spiritual and seek our satisfaction only in the fulfilling of His will. (第一の会話 1st Cconversation)」

毎朝ブラザーローレンスの祈った祈りを自分なりの言葉に変えて祈ってきています。こんな感じの祈りです。日毎に短かったり長かったりします。「神様。あなたは私と共にいます。私が気づいていようといまいと、今日あなたは私を導いてあなたの意思を示してくれようとしています。全てのことはあなたからと信じ、あなたの力を求め、全力で取り組みます。私の愛情も努力も全てをお受けください。」

私の職場での日課ですが、毎朝決まった手順で、いつもの段取りで準備をします。レストランや食堂であれば仕込みとかお店のオープン前の準備があるようにです。

先日のことです。いつものように朝教会に着くとそこにはホームレスの男性が一人で何かを喋りながらドアのところに座っていました。「おーい。そこの人。ちょっと助けてくれ。」と彼は声をかけてきました。

今年の目標は神の臨在を常に生きる、ということでしたが、その瞬間はそんなことはまるっきり忘れて、「ありゃりゃ。朝の忙しい時なのに。」と心につぶやきました。中断や割り込みは全て自分の日課の邪魔だ、と反射的に捉えるのですね。しかしその瞬間、朝の祈りを思い出したのです。ああ、これは神様が割り込んできたんだ、とひらめいたのです。イエスがここにおられるんだ、と悟りました。そもそも朝イチでそう祈ってたんですけどね。

私の態度は自分のスケジュールを侵害されたという心から、この人の面倒を見るんだ、という気持ちに変えられたのです。

彼に名前を聞き、お茶をしながらいつもはどんな暮らしをしているとか、話をしたのです。他のスタッフとコーディネートして地域のホームレスにアウトリーチしている方にフォローをお願いすることになりました。

ペテロの言葉を想いました。(ペテロ第一 1:13)

「ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現れのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。」

新改訳では「引き締め」と訳されている言葉は帯を絞めるという意味があるそうです。昔の服装はガウンのようになっていましたが、それをたくしあげて走れるように、行動しやすくするように裾を帯の下に絞めるということでした。時代劇でよく着物をたくしあげて走る姿を思い出します。 心の状態をこのアクションのために準備するのです。朝の祈りが心の帯を引き締めるのです。