10 小さい事に忠実な人は、大きいことにも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。11 ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。12 また、あなたがたが他人のものに忠実でなかったら、だれがあなたがたに、あなたがたのものを持たせるでしょう。13 しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」

14 さて、金の好きなパリサイ人たちが、一部始終を聞いて、イエスをあざ笑っていた。15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、人の前で自分を正しいとする者です。しかし神は、あなたがたの心をご存じです。人間の間であがめられるものは、神の前で憎まれ、きらわれます。16 律法と預言者はヨハネまでです。それ以来、神の国の福音は宣べ伝えられ、だれもかれも、無理にでも、これに入ろうとしています。17 しかし律法の一部が落ちるよりも、天地の滅びるほうがやさしいのです。18 だれでも妻を離別してほかの女と結婚する者は、姦淫を犯す者であり、また、夫から離別された女と結婚する者も、姦淫を犯す者です。

ルカ 16:10-18

忠実に管理することを任されるということ (10-18)

当時一人の奴隷に対して複数の主人がいることもありました。使徒の働きにもそれを表す記述があります。「私たちが祈り場に行く途中、占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った。この女は占いをして、主人たちに多くの利益を得させている者であった。(使徒16:19)」イエスが13節で「しもべは二人の主人に仕えることはできません。」と語っているのは、主人が二人いてはいけない、というのではなく、奴隷は一人にしか忠実でいられない、と説いているのです。そしてその例えを用いて、私たちに「神」と「富」の両方の主人に同じように仕えることはできない、と言っているのです。

私たちの教会のメンズグループで人生を最大限に生きることはどういうことか、というテーマのバイブルスタディーをしました。その一環で自分の周りの人や物を、「一時的なもの」「永遠のもの」の二つに分けるというアクティビティーをしました。2種類のポストイットを作って貼っていく、という物でした。すると自分が大切にしているもので、それがないと生活できない、なんて考えているものに、「一時的」のラベルが貼られていきました。「永遠」というラベルは周りにいる大切な人たちに貼られました。まあ、妻には貼ろうとしても嫌がられましたが。(笑)

ある時牧師が礼拝のメッセージで、病院や自宅で死に瀕している人たちのもとで祈ったり訪問したりした経験を話していました。どんなに会社や事業で成功している人たちであっても、もう最後の息を引き取ろうという時には必ず家族や友人、親しい人たちを呼んでほしい、と願ったそうです。

確かに物事も生活上では必要でしょう。周りの友人や近しい人たちはそれ以上に私たちにとって大事です。そしてイエスは「神」は最も大事だと語っています。

NTライトはこうまとめています。

「鍵となるのはこのセクションの最初の文章です。忠実、ということにつきます。お金は所有物ではないのです。信頼され預けられているものです。神は物事を人々にお預けになるのです。そして神の栄光のため、そして神を信じる者達が繁栄できるように預けているのです。自分達の栄誉や名声のためにあるのではないのです。さらにこの箇所から読み取れるのは、お金が指し示すのはお金以上のものがある、ということです。将来私たちに与えられる真の富がある、と指し示しています。それが具体的に何かというのは想像するのも難しいですが、お金がもたらすことのできない、私たちの所有することが出来るものなのです。今この時、私たちが忠実であることを学ぶことで与えられるものです。
”The key to it all is in the opening verses: it’s about faithfulness. Money is not a possession, it’s a trust: God entrusts property to people and expects it to be used to his glory and the welfare of his children, not for private glory or glamour. Money also, according to this passage, points beyond itself, to the true riches which await us in the life to come. What they are, we can hardly guess; but there are ‘true riches’ which really will belong to us, in a way that money doesn’t, if we learn faithfulness here and now.”」

Luke for Everyone, N. T. Wright

忠実でありつづける、ということを前提に読み進めるとこの箇所は良く理解できます。神に忠実に仕える、ということはうわべだけのものではありません。お金・富に専心することでもありません。全てはイエスに忠実に従うことから始まるのです。イエスはお金、人、物事に心を奪われるならそれは直ちに人々の心にそれらの人や物を手に入れてコントロールしようとする思いを起こさせてしまい、神が私たちにお与えになった生きる目的、すなわち神の子供達として神のみを崇めて生きていくことを忘れてしまう、そうイエスは警告しているのです。