イースターおめでとうございます!教会や信徒の集いにおいて、世界中の現代の信者達が、過去に生きた信者達と声をひとつにして「イエスは復活された。確かに復活された。」と宣言しているのです。

イエスキリストってどんなお方?と考える時、有名なピリピ人の手紙の2章を思い出します。

「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。」

ピリピ 2:6-12

そしてパウロはこのキリストの姿を指し示しながら、こう勧めています。

「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」

同 2:3-5

キリストが仕える者の姿をとっているようにあなたもそうなりなさい。そう語っているのです。

この箇所を読むときいつもイエスが弟子達の足を洗った場面を思い出します。

12 イエスは、彼らの足を洗い終わり、上着を着けて、再び席に着いて、彼らに言われた。「わたしがあなたがたに何をしたか、わかりますか。13 あなたがたはわたしを先生とも主とも呼んでいます。あなたがたがそう言うのはよい。わたしはそのような者だからです。14 それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。15 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。

ヨハネ 13:12-15

この絵は私たちの教会のミッションチームのオフィスに飾ってあります。教会のある方を通してこの絵の由来を聞きました。難民として逃れ、迫害を受け、今はカナダに移住してきた方のお兄さんがこれを描いたそうです。その方はキリストを信じ信仰を通して私たちの教会と関わりを持つようになりました。彼のお兄さんはアートに秀でています。彼はクリスチャンを認めず、違う宗教を信じています。そのお兄さんに彼は聖書に出てくるイエスの姿を絵に描いてくれないか、とお願いしたところこの絵を描いてくれたそうです。そのお兄さんにとっては、復活のイエスでもなく、栄光をまとった姿でもなく、この弟子達の足を洗う姿がイエスだと福音書から読み取ったそうです。