先日アンディースタンレーのリーダーシップに関するポッドキャストを聞いていたら、興味深い発言を耳にしました。アンディースタンレーはゲストのハビタット・フォー・ヒューマニティー取締役のジョナサンレックフォードとインタビュー形式で、リーダーの持つべき美徳7箇条について話していました。その一つが”Generosity” 「寛容」についてだったのです。

Generosityは今気になっている言葉の一つです。寛容、気前がいいこと、惜しみないこと、などと訳せるでしょうか。それで大変興味深く聞き耳を立てました。リーダーは太っ腹じゃないとだめ、あるいは自分を犠牲にして大義に忠実である、ということでしょうか?

想像力たくましく飛び込む

ジョナサン・レックフォードは、神学者のStanley Hauerwas の言葉を引用しました。それは、「寛容は、他の人たちの体験や人生に想像力たくましく飛び込んで行ける力のことだと考えなさい。You think of generosity as the  capacity to participate imaginatively in the experience, the life, of  others.」

なんのこっちゃ、と思いませんか? この一言だけではわからない、と思いました。また、その対談ではあまりはっきりと解き明かされなかったので、引用元の文献をチェックしてみました。

スタンレー・ハウエルワス
Stanley Hauerwas

スタンレーハウエルワスは神学者で、この文章は、「”The Character of Virtue: A letter to a Godson” 人徳について:名付け子への手紙」からの章からのものでした。

人々の体験や人生に想像力豊かに飛び込む、ということにたどり着くには、まず神であるイエスキリストが人となって現れた、というところからスタートし、キリストに自分のアイデンティティーをおいていることが必要だ、とハウエルワスは説きます。

ハウエルワスは寛容を、使徒パウロがコリントの教会に書いた手紙の中の、イエス・キリストの生涯・十字架をとって説明しました。コリント第二の手紙にこう書かれています。

「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」

コリント第二 8:9


このパウロの言葉は、ピリピ書の言葉と重ならないでしょうか?

「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われました。」

ピリピ 2:6-8

当然の如く寛容

クリスチャンはこのイエスキリストの弟子なんです。だから当然のごとく寛容なんです。イエスはその人生を私たちに分かち合ってくださいます。そして、びっくりするのはイエスは私たちの人としての人生を共有してくれるのです。

寛容を気前が良い、惜しみない、とだけ理解するとこれは一方向だけのことですが、イエスの寛容は両方向です。ですから、ハウエルワスは「参加する」という言葉を使って寛容を表したのです。差し出す、だけでなく、受け取るのもまた寛容なのですから。気配りや思いやりで捧げる寛容のみならず、人の生活を自分の生活の中に招き入れて、受けること、これも大事なのです。他人を自分の身内や友人たちのように近い存在として受け入れることになるのです。

今年はコロナウイルスのため出来ませんが私たちの教会は地域の諸教会と協力して冬期ホームレスシェルターを受け入れてきました。ボランティアをして思うのは、確かに私たちは食事のお世話や寝る場所を提供し、そういう意味では教会もボランティアたちも気前よくしています。でももっと意義深かったのは、食事時などを通してホームレスの方達と話をする時間を共有していた時でした。彼らからどんな話が飛び出してくるか分かりませんが、時間と場所を共有して過ごす、というのは何とも楽しく、またドキドキ・ワクワクする時だったと思い出してました。

今のパンデミックの中、あなたがどこにお住まいで、どんな状況だか分かりません。でも、キリストの寛容がどんなに短い限られた時間でも、オンラインであろうと、あなたの他の人たちとの関わりの中に豊かに現れますように。


参考:アンディー・スタンレー リーダーシップポッドキャストhttps://andystanley.com/podcast/