イエスキリストの誕生を祝う待降節に入ってきました。今年のCAチャーチのクリスマスイブ礼拝での曲目も決まりました。礼拝の最初の曲はその年の礼拝のトーンを設定しますね。今年はMatt Redman の “God the Son” が選ばれました。歌詞と私の若干の解説と共にご紹介します。
God the Son,
Remaining what He was,
Became what He was not
Flesh and blood
Heart and breath and bones
Just like one of us
ピリピ2章を思い起こさせます。神であるお方なのに私たちと同じく人となったのです。
「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われました。(ピリピ 2:6-8)
Son of God
Son of man
O come let us adore Him
So holy His name
So humble His crown
O come let us adore Him now
神の御子であり人の子であるイエスを拝するのです。讃美歌では “O come let us adore Him”は「いそぎ行きて拝まずや」ですね。イエスの名は聖いのです。しかしイエスのかぶった冠はイバラの冠でした。
From everlasting
Born here into time
Grace and truth arrived
Completely human
But still completely God
Still perfectly divine
永遠なる方、創造主なるイエスが時間の枠に生まれたのです。完全なる神、完全なる人でした。ヨハネ1章の言葉を思い出します。真理は人に罪人だと宣告します。しかし恵みは罪の赦しを宣言します。この両方がイエスにおいて成就していまるのです。
「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。(ヨハネ 1:14)」
So love came down
From power and majesty
Took on our frailty
Eternal One
Invisible now seen
Incarnate deity
God the Son
「愛」と聞くとセンチメンタルな気持ちのことを考えるでしょう。しかし神の愛は想像を超える力と荘厳さに基づいています。そしてその愛の伝わり方はなんと私たちのようにか弱い体をもった、肉の体を持った神の御子を通してなのです。第一ヨハネの言葉を思い出します。
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物として御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(ヨハネ第一 4:9-10)」
O come let us adore Him
O come let us adore Him
O come let us adore Him
Christ the Lord
またイエスを誉めたたえ、礼拝するのは自分ひとりぼっちではありません。コミュニティーで賛美するのです。さあ来て共に主イエスを拝そうではありませんか!