私たちの毎日の生活はとてもゆったりしているとは言えません。ひっきりなしにソーシャルメディアからの情報の通知が入り、仕事も家庭も、なんでも今すぐやらないといけないとこばかりに思えます。イエスと静かな時間を過ごす黙想の時間も、他のカレンダーのイベントや、携帯にかかってくる電話やメールで中断されたりします。そんな状態を神様に伝え、イエスの臨在に浸ることが出来るように祈ってみませんか?ヘンリ・ナウエンのデボーションから今日は彼のそんな祈りを紹介します。

ヘンリ・ナウエンは1932年オランダ出身で、カトリック教会司祭職、ハーバード大学教授を務めた後、カナダのトロントへ移住し、ラルシュ共同体(知的障がいを持つ人と持たない人が共に生きる国際的なコミュニティー)での奉仕に務め、1996年に心臓発作で亡くなりました。(ウイキペディアなどから)
現在までに多数の著書が日本語にも訳され出版されています。
今日の「想うこと」では、毎朝送られてくるデボーションを私の拙訳をつけてお伝えします。
このデボーションは9月30日に発行されたもので、ちょうどその頃私の教会では5つのビジョンと題して5回の説教シリーズをしていたところでした。その一つが、「臨在」でした。「イエスが今私と共にいます」ということが個人にとって、教会にとって何を意味して、何をするように導かれるべきか、ということを牧師が語りました。サム牧師はヨハネの15章から、イエスにつながっていることとは、というテーマでその点を掘り下げてくれました。音楽牧師のアンドリューも自作の「Abide In Me」を賛美し(当ウエブサイトの投稿もご覧ください)とても恵まれた礼拝を体験しました。それが心に残っていたのか、今回のヘンリ・ナウエンのデボーションにより深く感銘を受けたのです。早速フェースブックに投稿しました。
さて、数日後のスタッフ祈り会でのことです。一人のスタッフが、彼の奥様のママ友のご主人が、急性のガンで亡くなったことについてシェアしていました。亡くなった男性はまだ若く、奥様と小さな子供達がおり、皆深く悲しんでいる、ということでした。どうやらこのガンは発見が遅れ、見つかった時にはもう数週間の余命だったということです。そのスタッフも彼の奥様も彼らの深い悲しみに心を動揺させていたそうです。
彼は、このフェースブックに載っけられた、ヘンリ・ナウエンの祈りを読み、彼も彼の奥様も慰めを与えられた、というのです。まさしくイエスの臨在が彼らを励まし、眼をイエスに向けることが出来てきたからに他ならないと想わされました。
「ああ主よ、
人生ははかなく過ぎ去ります。数年前にはそのことで頭がいっぱいになっていた出来事も今はうつろいゆく記憶となってしまいました。数ヶ月前なら生きるか死ぬかというような争い事も不毛な戦いであり、エネルギーを注ぐ価値のないものになりました。つい数週間前までは夜も眠れないほど心の葛藤があったのに、今では過去の不思議な感情であるだけです。数日前には読んでいると、私の胸が躍るようだった本も、今は取るに足らないものになりました。私が頭を巡らせて考えていたことも、その力を失い、他のことで頭はいっぱいになっています。どうしてこのようにいつも今すぐ直ちに、緊急に、といった気持ちにとらわれてしまうのでしょうか。なぜ、あなた(イエス)は永遠なるお方で、あなたの御国はとこしえまで続くと、そしてあなたにとって一千年は一日のようであると、私には分からないのでしょうか。主よ、あなたの臨在の中に私を導き入れて下さい。そしてあなたの永遠の、時間にとらわれない、いつまでも続く愛を味わえますように。あなたは私をその愛に招いてくださり、不安に感じたり、恐れたり、気が散り散りなったり、心配をしたり、そういう私の時間に縛られたことから解放してくださったのですから。主よ、あなたからの生き方を教えて下さい。そして勇気を持って行動に移せるように助けて下さい。アーメン。」
“O Lord,
https://henrinouwen.org/resources/daily-meditation/page/18/
Life passes by swiftly. Events that a few years ago kept me totally preoccupied have now become vague memories; conflicts that a few months ago seemed so crucial in my life now seem futile and hardly worth the energy; inner turmoil that robbed me of my sleep only a few weeks ago has now become a strange emotion of the past; books that filled me with amazement a few days ago now do not seem as important; thoughts that kept my mind captive only a few hours ago have now lost their power and have been replaced by others. . . . Why am I continuously trapped in this sense of urgency and emergency? Why do I not see that you are eternal, that your kingdom lasts forever, and that for you a thousand years are like one day? O Lord, let me enter into your presence and there taste the eternal, timeless, everlasting love with which you invite me to let go of my time-bound anxieties, fears, preoccupations, and worries. . . . Lord, teach me your ways and give me the courage to follow them.
Amen.”