お知らせ
このブログシリーズは、リージェントカレッジのリフレームコース及び、CA Church で開催された文化と信仰のコースを基にして作成した日本語でのバイブルスタディーを基盤にしています。リージェントカレッジのリフレームコースの本編の紹介、ストリーミング及びダウンロード出来るビデオコースはこのリンクからアクセスしてください。
はじめに
- わたしは一体何者で、どんなアイデンティティーを持っているんだろう?
- 人生の意味は何なんだろう?
- この世はどのように理解したらいいんだろう?
これらの大事な質問は人生を歩む上で必ず遭遇するものです。それらにどう答えるか、どこから答えを探し求めるかによってあなたの人生は大きく左右されます。
私たちは、神様のストーリーに身をおき、そこから人生について考え、生きていくべきです。前回のキリストの復活から、私たちに神様が約束している「新天地」が確約されていることを見てきました。天国に辿り着くまで耐え忍ぶのではなく、この世でいのち、しかも満ち満ちたいのちを生きる事が出来るのです。
神学者のアリスター・マッケンタイアーの言葉もこの点をついています。
“I can only answer the question ‘What am I to do?’ if I can answer the prior question ‘Of what story or stories do I find myself a part?’”
Alistair MacIntyre アリスター・マッケンタイアー
「まず自分がどんなストーリーに属しているのか、という前提問題が解決しなければ、自分は今何をしたら良いか、という問いには答えられない。」
今回の学びを通して、神様の宣教の召しを受けた私たちは、神のストーリーが展開していくのを傍観するのではなく、そのストーリーの中に飛び込むように招かれていると知るのです。そしてストーリーの参加者となるのです。自分の果たすべき役割、目的がはっきりとするのです。
これは、観劇に来た聴衆が役者になって舞台に立つようなことかもしれません。CSルイスのナルニヤ物語の一つにこんなシーンがあります。朝びらき丸という船の絵を見ていた主人公が突然ナルニヤの世界に引き入れられる、というシーンです。
ビデオ [映画 ナルニヤ王国物語:朝開き丸東の海へ]
しかし、実際にはすでに私たちは「人生」というストーリーを歩んでいるわけですが、どこに神のストーリーの入り口があるでしょうか?どうやってストーリーに入るのでしょうか?
神のストーリーは外側から見て何とか自分が頑張って達成しようとして達成出来るものではありません。そんな頑張りは結局失望と混乱に至ってしまいます。聖書は、神のストーリーを生きるのには聖霊とその働きが欠かせないと語ります。
鍵となるのは聖霊です。聖霊によって私たちは新しいいのちを与えられ、私たちは新しく造り変えられているのです。そして、教会を通して聖霊は一人一人を導いているのです。聖霊が与えられたシーンから今回の学びを進めていきましょう。
使徒のはたらき 2章1~13節
1 五旬節の日になって、みなが一つの所に集まっていた。
2 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るゆな響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
3 また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。
4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、
6 この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。
7 彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。
8 それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。
9 私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、
10 フルデヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、
11 ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」
12 人々はみな、驚き惑って、互いに「いったいこれはどうしたことか」と言った。
13 しかし、ほかに「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ」と言ってあざける者たちもいた。
ビデオ [証し メアリーラム]
ビデオ [David Wood師メッセージ]
「朝開き丸東の海へ」のシーンに出てくる主人公たちのように、絵の前で眺めている人生から、実際にストーリーに入ってストーリーを経験する事、それがイエスを信じるもの一人一人に望まれている事なのです。 傍観者から壮大な冒険の参加者となる事がイエスを信じる者のテーマです。そしてそうやって集められたものが教会となっていったのです。2017年のCA Church日曜礼拝でメッセージでデビッド師は使徒の働きの2章から説教をしました。少し長いですが、今回の学びのポイントがつかみやすと思いますので、ぜひ聞いてみませんか。
神の6幕からなるストーリー
神の壮大なストーリーは大きく言って次の六幕に分ける事が出来るでしょう。
- 第一幕:天地創造
- 第二幕:人類堕落
- 第三幕:イスラエル
- 第四幕:イエス・キリスト
- 第五幕:教会
- 第六幕:イエスの再臨
使徒のはたらき(第五幕)至るまでの流れ
第一幕:天地創造
- 「神がはじめに天と地を想像された」(創世記1章)そこから始まる神様の自己紹介とも言える天地創造のわざ、そして人類の創造が紐解かれて行きます。
第二幕:人類堕落
- 人類がその創造主、神様に反逆したのです。「罪が入った」と聖書は語ります。
- 今日も、自分たちは自分たちだけで大丈夫、神様はいりませんよ、あしからず、という姿勢は相変わらずです。神様から離れた人生においては、今自分が何をしているのか分からなくなり、混乱をきたします。
第三幕:イスラエル
- 創世記12章から始まるイスラエルのストーリーでは、罪によって混乱した世に、アブラハムを通して神様が導きを与えるのです。そして、彼に2つの約束が与えられます。この2つの約束は旧約聖書全体の底流を流れる重要な約束です。
- 「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福されます。創世記12:2-3」
- 唯一の神、ヤーウエイに世界の民を導き、神様の現実を指し、そして神において新しい生き方があることを指し示す、という役割をになったのです。しかし、イスラエルの歴史を見ると、この世に神の道を示すのではなく、この世の道、様々な異教に引き込まれ、偶像礼拝を繰り返してしまったのです。結果、神の裁きとしてイスラエルは約束の地から追い出され、捕囚の民として散らされて行ったのでした。
第四幕:イエス・キリスト
- 神様がアブラハムにした約束を果たすには、 神様が特別な方法で、仲介に入る必要があったのです。それは、神様自身が、人間のこころに働きかけねばならなかったのです。なぜなら、人々は自力では達成出来ない事だったのです。
- イスラエルは神様からの約束の光を独り占めしようとしましたが、真のイスラエル人であるイエス・キリストはは世の光でした。イエスはアブラハムに与えられた約束を果たすために来られたのです。第四幕は、神様が人類をその罪から救い出し、人々を神に呼び戻す、というのがテーマです。
第五幕:聖霊降臨(ペンテコステ):神のストーリーの新しい幕開け
- 聖霊が降臨したことによって、神のストーリーの新しい幕開けとなりました。あなたは、観客の椅子から引き剥がされ、それまで見ていた画面の中に引き込まれ、あっという間に神のストーリー・第五幕の参加者になったのです。
- 神のストーリーの中で演じること(人生を生きること)には、それまでの幕の神のストーリーをよく知っておくことが欠かせません。
神様から導かれ、召されているあなたは、イエス様に従って生きるには、神の御言葉を良く学んで、神様のストーリーに浸っている事が不可欠なのです。
聖霊の降臨:何が起きたか?
1 背景:
イエスが連行され、処刑された時は、弟子達は逃げて、散り散りになリました。イエスの復活、そして昇天の後、弟子達は再度集まっていました。
「彼らは町に入ると、泊まっている屋上の間に上がった。この人々は、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。そのころ、百二十名ほどの兄弟たちが集まっていた」使徒のはたらき1:13-15a
イエスを否んだ弟子ペテロも復活のイエスによりリーダーとして回復してもらっていました。そしてリーダーペテロのもと、心を合わせ、祈りに専念していたのです。
この時期は、五旬節と呼ばれ、エルサレムに大変多くの敬虔な信者が集まり、お祭りが祝われていました。この祭りは集うものたちにとても大きな喜びを与えるものでした。神様が民を奴隷の地から解放してくれた過越の祭りの五十日後に行われるのが五旬節の祭りです。神様が民を縄目から、奴隷の身から解放してくださり、約束の地へと導く歴史的なストーリーのお祝いの祭りでした。
2 大きな音が響き渡った(2節):
「風のような響き」はヘブライ語では「ルアック」という単語で、「聖霊」も同じ言葉で表されています。
3 炎を見、聖霊に満たされた(3-4節):
炎は神様の聖なる臨在を表す言葉として使われます。そして、その炎は一人一人の上にとどまって聖霊が一人ひとりに与えられた、と書かれています。これは、使徒のはたらき1章8節にある、イエスからの命令、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」の成就なのです。イエスの証人となるのが信徒一人一人の召しであり導きで、聖霊が今与えられたのでした。この聖霊が私達を集め、その集まりが教会と呼ばれるようになったのです。そして、私たちの内に宿る聖霊は神が常にともに臨在しているのみならず、私たちを内側から変えてくださいます。
4 異言(4節):
「他国の言葉で話し始めた」と書いてあります。この記事を読むと、正反対の事態に陥った過去の出来事を思い出します。それは創世記11章に書かれているバベルの塔の記事です。そこには元々一つの言葉であった民が、神に近づこうと塔を立てたため、神が言葉を混乱させ、民は散り散りになった、と書かれています。この使徒のはたらきの場面は、様々な言葉で語っていたものたちが、呼び戻されて、自国の言葉でありながら、唯一のメッセージを混乱する事なく聞き、語る事が出来たのです。それは自分の国の言葉で、全てに勝る名前、すなわち、イエスキリストの名を耳にし、新しい神の民が形成されました。
自分にとってどんな意味をもつか
上下に働く動きと内外に働く動きの2つの動きに私たちはとらえられていると考えられます。
1 上下の動き
- イエスの昇天 (上方)
- 聖霊の降臨(下方)
- イエスの昇天を見た弟子たちが聖霊の降臨を経験したように、私たちのストーリーもイエスが送る聖霊の降臨を受けるのです。
2 内向きと外向きの動き
- 外にいた傍観者の立場から、教会での人生とその宣教とに引き込まれ、超自然の共同体、教会の一員となった
- その目的は、「私の父が私を遣わしたように、私はあなたがたを遣わします。」とイエスが語るように、外に向けて宣教を行っていく事なのです。
これらの2つの動きに対してどんな呼応があるでしょうか?ある人々は「酒ののみすぎさ」といい、この不思議な光景を目にしても心を向けませんでした。
私たちは、次に続いたペテロの説教を聞き、「では、私はどうしたらいいのでしょうか?(37節)」と言った者達のように、自分に起きたことに対して、どうするべきか心を向ける姿勢を取りたいですね。
そして、イエスが語る通りに神のストーリーに飛び込むのです。イエスキリストにおいて、彼が送ってくれた聖霊に導かれる人生以外に充実した人生は送れないからです。映画館で安楽椅子に座り、ポップコーンを頬張りながら見ている傍観者は人生のアドベンチャーを、イエスの与えるいのちを喜び生きる事が出来ません。安楽椅子から立ち上がり、絵の枠を通り超えて冒険の世界へ飛び込む事、それが、あなたが本来創造された、贖われたいのちに満ちることなのです。
ビデオ [証 メアリー・ラム(後半)]
ディスカッション:
- 聖霊はどのようにクリスチャンとして生きる上で大切でしょうか?
- 雲のように集う証し人(へブル11章)とありますが、誰か信仰の先駆者・先輩たちで特に感銘を受けたり、励まされている人がいますか?
- 神様は今聖霊によってあなたの人生にどのように語り、働きかけていますか?