エゴー*エイミ

「わたしです」の一言が、最高で600人のローマ兵達をドミノ倒しにした可能性が推測されています。その訳は、その言葉の原語(ヘブル語)の背景にある神の名前が一般のイスラエルの民に知られていたからなのです。その出来事は、イエスキリストが十字架に掛けられる前夜、「ゲッセマネ」と言う名の園で起きたました。これは、ヨハネの福音書 18:1-6に記録されています。ユダヤ指導者たちから送られてきた「一隊の(600人)」兵士達が、イエスを裏切る行動の只中にあったユダと言う名の弟子に連れられて、イエスを捕らえに武装してやってきたのだと書かれています。 一人の男性と十一人の弟子達を相手に600人で武器を持って...彼らは何を恐れていたのでしょうか?

イスラエル人の間で「神の名前」として知られている名前がいくつかありますが、その中で「わたしはある」と言う名、原語では「エゴー*エイミ」と発音される名前があります。これは神御自身が、イスラエルの民に向かって名のられた名前です*。 この言葉には、万物の創り主である神が御自身の創られた被造物とは反対に、自らの力で存在しておられると言う意味が込められています。神は何か別の存在の力によって存在し始めた訳でなく、始めも終わりも無く自ら永遠に存在されている偉大な方なのです。その意味が、この「わたしはある」に込められています。この神の名はこのゲッセマネでの出来事よりもっと遥か以前からイスラエルの間で敬われていて、容易く口にする事を誰もが恐れていたものです。暗いゲッセマネの園でイエスを探す兵士達と向き合った時、イエスは威厳を失う事なく、「エゴー*エイミ」(わたしです)と言う言葉を発して、御自身が神であられると再び宣言されたのでした。

*出エジプト記3:14

イエスを捕らえに来た600人のローマ兵達は普段からイスラエルのあらゆる地方に派遣されていて、この時点ではエルサレム周辺にいた一隊だったと考えられます。それまでの三年間、イエスはイスラエルを巡り歩いて宣教の旅をし、神の御国を宣べ伝え、奇跡(「しるし」とヨハネ伝では記されています)を行いました。おそらくその兵士たちもイエスについて、ある程度見たり聞いたりしてきていたのではないかと想像できます。彼らはイエスが只者ではないと気づいていたのではないでしょうか。ですから、「もしかしたら本当に神なのでは」と言う恐れを抱えつつゲッセマネに向かっていたのでは...? それならば、イエスの口から出た「エゴー*エイミ」の言葉は実に彼らに衝撃を与え、恐れおののかせたとしても不思議ではありません。ヨハネの福音書には彼らが後ずさりして地に倒れたと語られています。まさしくこれは「ドミノ倒し」を連想させます。

イエスキリストの生涯を語る四つの福音書の中で、ヨハネの福音書が一番多くイエスが語られた言葉を記録しています。「エゴー*エイミ」を意味するフレーズもこの書のテーマの様に度々でてきます。これからの「ヨハネの福音書」の勉強でこのフレーズを意味する箇所に注目しながら進んで行きます。ヨハネ伝を学び理解する時、誰もが「わたしはある」と言う神の名を自称するイエスの主張と向き合う事になるのではないでしょうか。

「ヨハネ伝を前に-「わたしはある」という名」への6件のフィードバック

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