イメチェン、という言葉がありますが、ちょっと髪形を変えたり、服装の選択を変えて違った印象を与えることを指すようです。イメージをチェンジする、が和製英語のイメージチェンジとなり、短縮されてイメチェンとなった、ようです。
イメージには「印象」というニュアンスと、外観・外見の描写という意味もあります。
聖書の最初の本、創世記1章27節に、こう書かれています。
「 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」
神様が私たちをご自身の似姿に創造された、というのです。神様のイメージを身に着けて生きるのが人間の本来の姿である、と聖書は教えているのです。
すでに私たちには神様の「イメージ」があり、私たちが生きることは、何か「良い子」や「清い子」にイメチェンしないといけない、ということを意味するのではありません。神のイメージを掲げて生きるということが何を具体的に意味するのか、というのが大事になります。一言で言うなら、イエスキリストにおいてのみ、人間が「神の似姿」を持って生きる人生という意味が与えられます。 「イメージ・ベアラー(image bearer)=神の似姿を掲げる者」として生きる、ということはイエスにあって理解でき、人生を豊かなものにするのです。 イメチェンでは不可能ですし、うわべのチェンジは危険です。これについては別の「想うこと」でもう少し別の角度からシェアしようと思っています。
バイブル・ティーチャーのラビ・ザカライアス師は、聖書のイエス・キリストのエピソードから、こんな風に、人間が神の似姿に造られたことについて語っています。英語の原稿と日本語意訳を参考まで掲載します。
https://www.youtube.com/watch?v=yDRWttzYjG4
We are made in the image of God
私たちは神の似姿に創造された
Ravi Zachrias ラビ・ザカライアス
“This first thing I want to remind you of this, is that we are told according to the Scriptures, prior to the resurrection story, that God is the author of human essence. God is the author, in the essential nature of our humanity. We didn’t come into being by accident. We just didn’t suddenly appear unconcieved or without any purpose in mind, but that God Himself is the designer and brought us into existence.
みなさんにまず思い出していただきたいは、次のことです。イエスの復活の出来事以前の問題として、聖書によると神は人間の本質の造り主である、ということです。神が私たち人間の本質を創造した作者なのです。私たちは何か偶然によって存在を始めたのではありません。神様の考えや目的なしに突然現れたのではありません。
The Psalmist says, ‘When I see the heavens, the work of your hands, the sun and moon and the stars which you have made. What is there in man that you are mindful of him, or the son of man that you visit him?’ (Ps. 8:3-4)
詩篇記者はこう言います。「わたしは、あなたの指のわざなる天を見、あなたが設けられた月と星とを見て思います。人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。」詩篇8篇3~4節
This fact of our creation is a vital source in enabling us to understand what it means to be human. It’s a vital source, giving us the generality of our essence, created in the image of God.
わたしたちが創造されたという事実が、人間の存在意味を理解することが出来るようになるための不可欠な源なのです。神の似姿に創られた、という人間の本質の普遍性を与える重要な源になっています。
Some of you have probably heard me mention the simple conversation between Jesus and the one who was questioning him, trying to pit him against Caesar. And he looked at Jesus and he said, ‘Is it alright to pay taxes to Caesar?’ (Mark 12:14-17)
イエスをローマ皇帝にけしかけようと策略してイエスに意地悪な質問をした人物がいますが、そのやりとりについての私の話を聞いたことがあるでしょうね。その男はイエスに向かってこう言うんです。「カエサルに税を払うのは良いことでしょうか?」(マルコによる福音書12章:14~17節)
The one question I wish so desperately Jesus had answered differently—then on April 15 you could be godly and rebellious at the same time. Jesus, so brilliant in his response, he says,’Give me a coin.’ And he took the coin and he says, ‘Whose image do you see on this?’ The man says, ‘Caesar.’ Jesus says, ‘Give to Caesar that which is Caesar’s, and give to God that which is God’s.’
この質問だけはイエス様に違う答えをしてもらいたかったと切に願います。そうすれば青色申告の日に、反抗的でありながら敬虔さを同時にもっていられたんですが。(笑)イエスの回答は素晴らしいです。こう語ります。「硬貨をみせて。」そしてそれを手に取り、言います。「これには何の姿がついていますか?」質問をした男が、「カエサルです」と答えます。するとイエスは「カエサルのものはカエサルに与え、神のものは神に返しなさい。」と言いました。
The disingenuousness of the questioner is noticed in the fact that he did not come back with a second question. He should have said, ‘What belongs to God?’ And Jesus would have said, ‘Whose image is on you?’ Give to Caesar that which belongs to Caesar; give to God that which belongs to God. God’s image is on you.”
質問者が不誠実に質問をしたことは、イエスの回答になにも応答しなかったことで明白です。その男はこう続けるべきだったんです。「じゃあ、神のものって何ですか?」と。 そうすればイエスはこう答えたのではないでしょうか。「あなたには誰の姿がついていますか?カエザルのものはカエザルに、しかし、神のものは神にかえすがよい。あなたには神様の姿がかかげられているのです。」