「イマジネーション」
想像力と訳されることばです。空想SF小説(言い方が古いでしょうか?)のファンで、子供のころはよくイマジネーションを働かせていたと思います。 最近読んだ本や出来事から、自分にこのイマジネーションが欠けて来てたんだ、と思わされることがありました。
“The challenge facing Christianity today is not a lack of motivation or resources, but a failure of imagination.”
「キリスト教が今日対峙している課題は、やる気や資源が足らないということではなく、イマジネーションに障害があることです。」 Skye Jethani
Skye Jethani 氏の、”The Devine Commodity: Discovering a Faith Beyond Consumer Christianity.” 「神聖なる商品:消費者化したキリスト教を超えて信仰を発見すること」の第1章に出てくるフレーズです。1
氏は続けて、”Our ability to live Christianity and be the church corporately has failed because we do not believe it is possible.” “Wanting to obey Christ but lacking his imagination, we reinterpret the mission of the church through the only framework comprehendible to us – the one we’ve inherited from our consumer culture.” 「キリスト教を生きることも、集団として教会として存在することは上手く行えていません。なぜなら、そう出来るんだ、と信じていないからです。」「キリストに従いたいと願っていても、イマジネーションが欠けているので、本来の教会の使命を、自分たちが理解しうる枠組みをを通したものとしてしか解釈出来ないのです。つまり、消費者文化から受け継いでいるものを使命としてとらえてしまっているのです。」
Skye氏の本は主にアメリカにおけるエバンジェリカリズムに焦点をあてていると思います。本の流れは、文化によってクリスチャン達は自分達が気づかないうちに影響を受けていて、福音を、神を自分の都合の良い形にパッケージ化してしまっている、そして「商品化」されたバージョンの福音が現代文化に受けやすい方法で広められている、というものです。
さらに、Skye氏はオズワルド・チェンバース師の”My Utmost for His Highest (邦題「いと高き方のもとに」いのちのことば社)” 2月10日のコラムを引用しつつ、こう書いています。
Oswald Chambers understood this danger. He knew that if “your imagination of God is starved then when you come up against difficulties, you have no power, you can only endure in darkness.” オズワルド・チェンバース師はこの危険をわきまえていました。彼には、もし「あなたが神様に対するイマジネーションに枯渇してしまうと、苦境にたった時に無力であり、暗闇の中で耐え忍ぶのがせいぜいになってしまう」ということが分かっていたのです。2
先日のことです。勤務先に向かう途中で、このイマジネーションのことを思い出しました。自分のイマジネーションは小さく、神様も同様に小さい神様として考えがちな自分の弱さを考え、どうかイマジネーションを広げられますように、と祈ったんです。なんといっても神様はすごく大きい方ですから。頭の理解が、イマジネーションによって心に届いて、魂で神様の偉大さを分かりたいと願いました。
その晩は教会で祈り会がありました。私はその会の賛美チームのメンバーでした。
リハーサルの一時間ほど前のことです。教会のベースメントがその日の大嵐のせいで浸水してしまったのです。気が動転しました。スタッフや仲間たち総出で雨水をかき出し、文字通りバケツリレーをしました。
他の(もっとこういうことに長けた)スタッフと仲間たちが引き続き浸水を食い止めて、片付けを続けている間に、賛美チームはリハーサルを始めました。よく知っている曲目で、心を神様に向ける助けになるはずなのに、自分は心を騒がせていて、集中力を失っていました。他の奏者の音、歌い手の声が全然頭に入って来ませんでした。
浸水騒動からずっと、私のフォーカスは神様に向いていませんでした。どんなにか偉大な神様のことを忘れて、「暗闇で耐え忍んで」いたんです。 自分の無力さ、これから起こる様々な手続き、連携、行事のやりくりとか、それがごちゃごちゃと頭と心を支配していました。
リハーサルが終わり、リーダーがチームと祈りました。 リーダーは、「神様は偉大で、どんな困難でも必ず切り抜けさせてくれる。」と祈っていました。その最中に思い出しました。イマジネーション不足だと。 自分の非を認め、悔い改め、神様に再びフォーカスをし、賛美を通して偉大な神を讃えよう、と会に臨みました。
浸水被害が奇跡的になくなったりはしませんでした。後片付けは決してスムーズに進んでいませんでした。あてにしていた業者も現れませんでした。(後で知りましたが、他にもっと甚大な被害をもたらした浸水があちこちで起きていました。) しかし、心には、神様が取り扱ってくれている、励ましてくれているという平安がありました。 まだこの取り扱いは現在進行形ですが、神様の導きに大胆に従っていけばいい、神は大きく、神は善き方である、と元気づけられました。
私は音楽家であり、バイブルティーチャーであるマイケル・カードさんのファンです。彼のルカによる福音書をたどるバイブルスタディーのビデオを使ってスモールグループで勉強会をしたことがあります。
その中で、ローマにあるコロシアムや様々な福音書にまつわる史跡を見る時、歴史や聖書の記述を読むとき、彼はイマジネーションが必要だ、と次のように語ります。
“The imagination is the bridge between the heart and the mind. We can look at something like this, and we know the facts. But we have to do something with those facts. That’s when I mean we engage with our imaginations. That’s what I am trying to do with Scripture- so many wonderful details in Scripture.” 3
イマジネーションが心と頭の架け橋なのです。こういったものを(史跡)を見て、事実が分かります。でも見るだけではなく、得た事実に対して何かしなければならないのです。そのときこそイマジネーションが必要なんです。聖書を読むときに私はいつもイマジネーションを使うように心がけています。聖書にはすばらしい数々の事実、詳細が書かれているのですから。
1. Skye Jethani, “The Divine Commodity – Discovering A Faith Beyond Consumer Christianity” (Zondervan)
2. Oswald Chambers, “February 10,” in My Utmost for His Highest (Grand Rapids, Michigan.: Discovery House, 1998)
3. Michael Card, “That You May Be Certain – the Gospel of Luke” (Day of Discovery)
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