お知らせ
このブログシリーズは、リージェントカレッジのリフレームコース及び、CA Church で開催された文化と信仰のコースを基にして作成した日本語でのバイブルスタディーを基盤にしています。リージェントカレッジのリフレームコースの本編の紹介、ストリーミング及びダウンロード出来るビデオコースはこのリンクからアクセスしてください。
イントロ
神様は初めに天と地を創造されました。それは、まぐれで造られた世界ではなく、秩序ある、シャロームをもたらすいのちに満ちた創造でした。人は神の似姿に造られ、王として、祭司としてこの地の被造物を治めるように召されています。 ところが、アダムとエバによってこの世界に罪が入り、現実は破れたものとなりました。 神様はこの世を見放したのでしょうか? いいへ、今も引き続き神は贖いのわざを行っています。天地を混沌・虚無から贖いのわざで秩序と繁栄に創造された神様は、今もこの世をキリストによって贖われたもの一人一人を導いて、共に贖いのわざを進めるように、使命・召し、この世に関わっておられます。
たしかに毎日の信仰生活のうえで、神様のみわざを垣間見ることが出来ます。しかし、罪の現実もまた深く根ざしていることが感じられます。まるで、周りの文化すべてが壊れており、歯車がかみあっていないようです。自分に出来ることはどんなにも限られているか、とがっかりさせられることもあります。どうしたらこのようなめちゃめちゃな世界にあって、神様に忠実でい続けることが出来るのでしょうか?
リフレームコースから
リッチ・ディーンのストーリー(前半)
世俗の仕事に就くことは、すなわち信仰を捨て、魂を売ることになるのでしょうか?
イスラエルのストーリーは私達のストーリーでもある
神様は真実なる方であることをイスラエルの民に示されました。このストーリーはとりもなおさず、私たちクリスチャンのストーリーなんです。
イスラエルのストーリーは、神様が混沌としめちゃくちゃな世の中をどのように造り変えているかを示してくれます。このストーリーによって、私たちも、イスラエルのように様々な世のストーリーに心を奪われて、気が散っている状態にあっても、神様から信仰を与えられ、信仰によってこの世を渡っていけるように導かれているのです。イスラエルのストーリーは私たちのストーリーです。
このストーリーの中で、私たちは自分のアイデンティティーをわきまえることができます。そして、神様とは誰か、神様のわざはなにか、そして創造の目的は何か、ということについて私たちは理解を深めるのです。
旧約聖書のイスラエルのストーリーを見ていきましょう。神様はどのように壊れた世を贖っていったのでしょうか?旧約聖書を3つの時期に区切って見てゆきます。ちょっと駆け足ですね。
- アブラハムからダビデ
- ダビデから捕囚
- 捕囚からイエス様
この中で、次の3つの点に注意を払います。
神様は
- 普通の人々に呼びかけ、神様を信頼するように導きます。すべては神様の選びから始まるのです。
- 人々がくじけてしまい、神様の言うとおりにしなくても、神様のストーリーは続いて行きます。人類(私たち)の失敗で神様のストーリーが脱線することはないのです。
- イエス・キリストにおいて神様のストーリーが完成する。 全てはイエス・キリストにおいて成就するのです。
創世記1~11章
このセクションの概要は次のとおりです。
- 天地創造
- 人類の役割
- 罪と堕落
- 神の裁き、洪水、ノア
- 神の恩寵、あわれみ、虹、神の約束
創世記12章
- アブラハムの召し
真理1:神様は普通の人々を召し出し、神様を信頼し、従うように導かれる
創世記12:1-3「主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福されます。」
創世記12:1-3
この聖書の箇所におけるキーワードは、「祝福」「子孫」「大いなる国民」です。この神様の約束、「アブラハムを通して神の祝福が全地に渡る」という契約の言葉が旧約聖書全体の流れの根底にあると言えます。次に旧約聖書を読まれる際、ぜひこのことを考えてみてください。歴史の中で、神様のストーリーは常にこの約束が流れています。
「契約」 covenant について
神の「一方的な選び」によってなされたものです。契約の主導権は神にあります。創造神と「ギブアンドテイク」の関係は結べはしません。この世の創造物は全て神のものなのですから、人から神に「ギブ」できるものなんてありませ ん。神の一方的な持ち出し損です。にもかかわらず「神は選んだ」というのが、契約神学の基調にあるものです。
出エジプトそしてモーセのストーリー
- エジプト脱出~約束の地カナンへの荒野の旅~シナイ契約(十戒・石版)
アブラハムには個人への契約でしたが、シナイ契約は神の民との契約でした。これはイスラエルの民が神様の贖いのわざの担い手としてシャロームをもたらす働きをするためでした。 創造主はイスラエルの民に被造物を贖う王として、祭司としての役割を確認したのです。
今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものだからであるから。 あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。これが、イスラエル人にあなたの語るべきことばである。」 モーセは行って、民の長老たちを呼び寄せ、主が命じられたこれらのことばをみな、彼らの前に述べた。 すると民はみな口をそろえて答えた。「私たちは主が仰せられたことを、みな行います。」それでモーセは民のことばを主に持って帰った。
出エジプト19:6
ヨシュア
- アブラハムへの約束成就
- カナンへ到達
- リーダーであったヨシヤの死
- 異教・周辺文化への同調が始まってしまった
士師記
この書を一言で表すとするなら、身勝手な生き方、とでも言えるでしょうか。罪・征服・悲しみのサイクルが士師記に見られます。しかし、「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。(士師記21:25)
しかし、そこには、「神はその民に忠実であられた」と分かります。リーダーたちが不従順でも、神様に頼り求める時、神様はいつもその導きを与えてくださいました。
サミュエル書
- 士師から王制へ
- ハンナの祈り
- サムエルが預言者となる
- サウロ(ハンサム・外見)が王となるが神を捨ててしまう
- ダビデ(人には見過ごされる)が神の選んだ王となる
- 神殿作りの願いがダビデ に芽生える
- 神殿の建設はソロモンへと受け継がれた(以下の聖書の箇所)
この時期は旧約聖書における一つのピークと言えます
王が自分の家に住み、主が周囲のすべての敵から守って、彼に安息を与えられたとき、 王は預言者ナタンに言った。「ご覧ください。この私が杉材の家に住んでいるのに、神の箱は天幕の中にとどまっています。」 すると、ナタンは王に言った。「さあ、あなたの心にあることをみな行いなさい。主があなたとともにおられるのですから。」 その夜のことである。次のような主のことばがナタンにあった。
第二サミュエル 7章
「行って、わたしのしもべダビデに言え。主はこう仰せられる。あなたはわたしのために、わたしの住む家を建てようとしているのか。 わたしは、エジプトからイスラエル人を導き上った日以来、今日まで、家に住んだことはなく、天幕、すなわち幕屋にいて、歩んできた。 わたしがイスラエル人のすべてと歩んできたどんな所ででも、わたしが、民イスラエルを牧せよと命じたイスラエル部族の一つにでも、『なぜ、あなたがたはわたしのために杉材の家を建てなかったのか』と、一度でも、言ったことがあっただろうか。 今、わたしのしもべダビデにこう言え。万軍の主はこう仰せられる。わたしはあなたを、羊の群れを追う牧場からとり、わたしの民イスラエルの君主とした。 そして、あなたがどこに行っても、あなたとともにおり、あなたの前であなたのすべての敵を断ち滅ぼした。わたしは地上の大いなる者の名に等しい大いなる名をあなたに与える。 わたしが、わたしの民イスラエルのために一つの場所を定め、民を住みつかせ、民がその所に住むなら、もはや民は恐れおののくことはない。不正な者たちも、初めのころのように重ねて民を苦しめることはない。 それは、わたしが、わたしの民イスラエルの上にさばきつかさを任命したころのことである。わたしはあなたをすべての敵から守って、安息を与える。さらに主はあなたに告げる。『主はあなたのために一つの家を造る。』 あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。 彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。 わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。 しかし、わたしは、あなたの前からサウルを取り除いて、わたしの恵みをサウルから取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。 あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」 ナタンはこれらすべてのことばと、これらすべての幻とを、そのままダビデに告げた。
ダビデ王は行って主の前に座し、そして言った。「神、主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、あなたはここまで私を導いてくださったのですか。 神、主よ。この私はあなたの御目には取るに足らない者でしたのに、あなたは、このしもべの家にも、はるか先のことまで告げてくださいました。神、主よ。これが人の定めでしょうか。 神、主よ。このダビデは、このうえ、あなたに何をつけ加えて申し上げることができましょう。あなたはこのしもべをよくご存じです。 あなたは、ご自分の約束のために、あなたのみこころのままに、この大いなることのすべてを行い、このしもべにそれを知らせてくださいました。
それゆえ、神、主よ。あなたは大いなる方です。私たちの耳に入るすべてについて、あなたのような方はほかになく、あなたのほかに神はありません。 また、地上のどの国民があなたの民のよう、イスラエルのようでしょうか。神ご自身が来られて、この民を贖い、これをご自身の民とし、これにご自身の名を置 かれました。あなたは、ご自身の国のために、あなたの民の前で、大いなる恐るべきことを行い、この民をあなたのためにエジプトから、そして国々とその神々 から贖ってくださいました。 こうして、あなたの民イスラエルをとこしえまでもあなたの民として立てられました。主よ。あなたは彼らの神となられました。 どうか、神、主よ。あなたが、このしもべとその家について約束されたことを、とこしえまでも守り、あなたの約束どおりに行ってください。 あなたの御名がとこしえまでもあがめられ、『万軍の主はイスラエルの神』と言われますように。あなたのしもべダビデの家が御前に堅く立つことができますように。 イスラエルの神、万軍の主よ。あなたは、このしもべの耳にはっきり、『わたしが、あなたのために家を建てる』と言われました。それゆえ、このしもべは、この祈りをあなたに祈る勇気を得たのです。
今、神、主よ。あなたこそ神であられます。あなたのおことばはまことです。あなたは、このしもべに、この良いことを約束してくださいました。 今、どうぞあなたのしもべの家を祝福して、とこしえに御前に続くようにしてください。神、主よ。あなたが、約束されました。あなたの祝福によって、あなたのしもべの家はとこしえに祝福されるのです。」
ダビデの姦淫・殺人~子孫の度重なる罪~ダビデの悔い改め
真理2:神様はその民が神を裏切ろうとも神のストーリーを推進する
神様のシャロームを回復する道のりは私たちの失敗によって脱線することは究極的にはない。
ダビデは「神の心にかなう」者と言われ、今日もイスラエルにおいて最高の王とされています。しかし、その治世は揺るぎないどころか、彼の犯した罪(姦淫、殺人、謀略)そしてその罪の結果、自分の息子が謀反をおこし、最後はこの息子も失うことになりました。
ソロモン
「ソロモンの栄華」という言葉が知れ渡るほど、ソロモンは神からの祝福を得ていました。すべては神様からの賜物でした。
8 ソロモンは神に言った。「あなたは私の父ダビデに大いなる恵みを施されましたが、今度は父に代わって私を王とされました。9 そこで今、神、主よ。私の父ダビデになさったあなたの約束を堅く守ってください。あなたは、地のちりのようにおびただしい民の上に、私を王とされたからです。10 今、知恵と知識を私に下さい。そうすれば、私はこの民の前に出はいりいたします。さもなければ、だれに、この大いなる、あなたの民をさばくことができましょうか。」11 神はソロモンに仰せられた。「そのようなことがあなたの心にあり、あなたが富をも、財宝をも、誉れをも、あなたを憎む者たちのいのちをも求めず、さらに長寿をも求めず、むしろ、わたしがあなたを立ててわたしの民の王とした、その民をさばくことができるようにと、自分のために知恵と知識を求めたので、12 その知恵と知識とはあなたのものとなった。そのうえ、わたしはあなたの前の、また後の王たちにもないほどの富と財宝と誉れとをあなたに与えよう。」
歴代誌第二 1:8-12
- 神の祝福に満ちていたがやがて神への従順を失っていった
- 少しづつ方向を誤り、神から与えられていたシャローム(平安)を失っていった。
- 異国の女性を妻にした(政略結婚・神への信頼の欠如)
- 軍馬、馬車の購入(軍事力に頼る)
- 重い課税 (神の祝福で必要は満ちていたにも関わらず)
王国の分裂崩壊
- 北王国ーイスラエル (200年存続)
- 南王国ーユダ(350年存続)
- 度重なる捕囚ー主の民が異国の地で奴隷としての生活を強いられた(バビロン、そしてアッシリア)
大きな約束のあったストーリーにいたはずの民だったが、悲劇的なそして残酷な運命に遭ってしまった。 これでおしまい、でしょうか?
真理3: 神様はイエス様においてそのストーリーを栄光に満ちたクライマックスとして成就される。
旧約聖書には往々にしてイエス・キリストの「型」あるいは先駆けのように思える箇所が多く出てきます。次のようなポイントが見受けられます。
- ダビデ契約(個人)ー ダビデ王の流れを引く王イエス
- シナイ契約(部族、民)-真のイスラエル人としてのイエス
- アブラハム契約(全ての民)- アブラハムの子孫 イエス
- ノア契約(すべての被造物)- 贖い主イエス
まとめ:私たちのストーリーはイスラエルのストーリーと重ねあわされる
今日の聖書の箇所(すごいスピードで通り過ぎましたが)において、次の3つの真理を見てきました。
3つの真理
- 神様は普通の人々を召し出し、神様を信頼し、従うように導かれる
- 神様はその民が神を裏切ろうともご自身のストーリーを推進する
- 神様はイエス様においてそのストーリーを栄光に満ちたクライマックスとして成就される。
では、このイスラエルのストーリー、そしてそこに見られる真理を私たちはどう扱えば、どうすればいいのでしょうか?この真理に対して私たちにがどう応答するべきでしょうか?
神様は普通の人々を召し出し、神様を信頼し、従うように導かれる。
→ 神様が「進め」と言えばその通りに進みます。なぜなら、神様はそのストーリーの中で神様が信頼に値するお方である、と示しているからです。私たちの置かれた状況、環境、仕事、家庭、コミュニティー、それらがどんなものでも、私たちは、神様の声を聞き、示される方向に進むのです。
神様はその民が神を裏切ろうとも神のストーリーを推進する。
→信頼し進みたい、と願い求めても時に失敗し、神様を裏切ってしまうこともあります。そこで神様のストーリーは終わるのではなく、その中でもストーリーは続いて行きます。なぜなら、神様は私たちの失敗よりも遥かに偉大な方ですから。私たちに与えられている役割は、神様の前に正直に失敗を認め、あわれみの中に回復させてもらい、また主と共に歩むのです。
神様はイエス様においてそのストーリーを栄光に満ちたクライマックスとして成就される。
→今この目で見える世界は限られています。しかし、私たちが確信しているのは、イエス・キリストは今も生きておられ、彼は素晴らしい、栄光に満ちた結末を確約される救い主である、ということです。それは、イエスの生涯・十字架の死・復活・昇天によって示されています。
これが私たちのストーリーです。こんな素晴らしいストーリーの中にいるのです。ほかにもっと良いストーリーがあるでしょうか! どんなストーリーがあなたの人生の枠組みをしていますか? ぜひリフレームしてください。
リフレームコースから
リッチ・ディーンのストーリー(後半)
考えてみませんか?投稿お待ちしてます
1.人はクリスチャンの弁護士、なんてありえない。といったりします。弁護士になるにはクリスチャンでいられない、というのがその根底の考えのようです。世の中には到底贖いの対象にならないような、クリスチャンが関わることが不可能な仕事や環境があるでしょうか?
2.今、あなたの生活の中に誰かあなたが媒体となって、神様の祝福をもたらすことのできる相手(個人・グループ)がいるでしょうか?思い浮かべてみてください。その方(達)を励まして、祝福をもたらしてあげてみませんか?