読む前の要点:

  • イエスキリストの名前を初めて耳にした時はいつでしたか? どんな印象でしたか?
  • イエスキリストの存在は人類の歴史にどう関わりがあると思いますか?

人の子 その1

「とびら② 父と子と聖霊」では、お一人であられる神が父なる神、御子、聖霊と言う三つの異なった存在でもあられる、と言う複雑な内容のものでした。中でも、一般的に大きく疑問を持たれるのが、たとえ天の父なる神と聖霊は神であると理解できても、人間として生きたイエスキリストが神であるという信仰の根拠はどこにあるのかと言う事です。今回と次回の章でこの疑問を見ていきます。

イエスキリストは空想の人物であり、人の理想に合わせて作り上げられた人物が神とされていると考えている人は少なくない様です。しかし、実際はそれは無知な考えに値しまいます。この章ではまず、イエスが空想の人物ではなく、実際に歴史上で存在していた方であったという証明する事柄を学びます。

古代歴史家たちの証言

聖書の中の記録の他に、古代の歴史家たちの第三者の視線からの記録もあります。ローマ帝国の歴史家たちで、コルネリウス タキトゥスによるイエスの十字架刑の記録、スエトニウスによるイエスの弟子たちの記録、フラヴィウス ヨセフスによる十字架刑や聖書の福音書に登場するイエスを取り巻いた人達(兄弟のヤコブ、バプテスマのヨハネ、ヘロデ王、パリサイ人、)の記録が残されています。

教会がある。

塔や屋根の上に十字架がある建物があると、普通は教会だと認識されます。建物の外観がそのようでなくとも、教会は世界中の至る所にあります。たとえ信仰を迫害する国に住んでいても、信仰を持っている人達の集まりがあれば、それを教会と呼びます。「教会」という集まりはそもそもいつから、どのように始まったのでしょうか? 聖書を読むと(新約聖書:「使徒の働き」)イエスが天に上がられた後、弟子たちが迫害を受け、あらゆる場所に散らされましたが、それぞれの土地で引き続き人々にイエスキリストの事を伝えていった事が分かります。それが、各地で信徒の集まりとして育って行き、教会と言うものに発展していきます。「教会史」と言う正式な文学はこの「使徒の働き」の話がスタートラインになり、現在に至るまで繋がっている訳です。

歴史が分かれた。

イエスキリストが生まれた年を西暦紀元1年(紀元元年)と定められています。(西暦0年はありません。)勿論、現にその時代に「今年が西暦紀元1年」と人々が意識したわけではありません。ローマ法王、グレゴリウス13世が1500年代に時を坂登った「西暦紀元」を定められました。この法王は、聖書が記録したイエスの死からの復活を正しく記念する為、修道僧たちの月や季節の研究を元にして、一年という期間が、教会暦と季節や夏至や冬至がぴったり合う様に長年を通して調節された暦を制定されました。

一人の人物の生涯が歴史上にそれ程のインパクトを与えた訳ですから、イエスキリストが歴史上に確かに実存された事がここでも証明されています。 そして彼がこの世を歩いた年月も、またその後も世々に渡り、多くの人々に「新しい人生」と言う大きなインパクト与えて続けています。永遠であられる方が「時間」と言う枠組みの中に足を踏み入れたのであれば不思議な事ではありません

イエスキリストは、自分を指す時、たびたび「人の子」と言う呼び名を使われました*。それを、自分が神では無く人に過ぎないと表現しているのだと論ずる人は多くいるでしょう。人間として生きたイエスキリストが実際に神でもあられるのだと立証する事柄とは何でしょう?この課題を「とびら④ 人の子 その2」で更に詳しく触れます。

*マタイ8:20、12:8、12:32、12:40、13:41.マルコ2:28、8:38、..ルカ9:58、12:8、18:8、18:31、19:10  ヨハネ3:14等}

「イエスが行われた事は他にもたくさんあるが、もしそれいちいち書きしるすなら、世界もその書かれた書物を入れる事ができない、と私は思う。」(ヨハネの福音書21:25)

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