日中に三時間続く暗闇、真っ二つに裂ける神殿の幕、地震、聖徒のよみがえり… これらはイエスが死なれる前後に起きた事柄として、四福音書の中に記録されています。これらを目の当たりにして、イエスの十字架を見張っていた百人隊長が言葉を放ちます。

「この方はまことに神の子であった」…

マタイ27:51〜54、マルコ15:39、ルカ23:47、等

急いだ訳 31節

イエスが十字架の上で死なれた状態になっていた時、ユダヤ人は受刑者たちの埋葬に急ぐ必要がありました。それは翌日が安息日と言う、仕事を許されない日と、過越の祭りの祝いの日が重なった「大いなる日」と呼ばれる日で、益々その日に埋葬することは許されなかったからです。それに加え、律法の中では、死刑になった者が木に吊るされて(十字架も当てはまる)死んだ場合はその日の日没までにその人を埋葬する事を要するものもあったのです。(*) 一方、十字架にかけられる死刑囚の多くは数日間をかけて死んでいたらしく、この日の受刑者たちが数日間生きるなら、埋葬を許されない祭りの間に死なれる可能性が非常に高かったのです。そうなると二つの律法のどちらかを破ることになるジレンマにはまってしまう事から、ユダヤ人たちは受刑者たちの死を早めるために脛を折る事をピラトに願います。酷い内容から読み辛くなるので、詳しくは語りませんが、脛をおる事は結果的に受刑者たちの死を早める方法でした。

*申命記21:22〜23

早かったイエスの死 32〜34節

しかし、イエスの死は、その様な事態が来る前に訪れていました。十字架までの時点でも既に苦しみに合われていた事も原因だったでしょう。イエスの十字架での使命が「完了した」瞬間が過ぎたので、神はこれ以上の不必要な時間を掛けられなかったのではないでしょうか? 何れにしても、こんな経緯でイエスの足は折られることにはなりませんでした。

イエスが死んでいると確認する為に、ローマ兵の一人が彼の脇腹を槍で突き刺すと言う恐ろしい事を行いました。これは普段からの習わしだったと思われます。人が死ぬ事で動かなくなった体内の血液が「血と水」(34節)分裂する状態が、受刑者が死んだと言う目安として扱われていたと考えられます。

ヨハネの証言 35節

著者ヨハネはここで一旦止まって、これらの事が確かに彼自身(「それを目撃した者」)が目撃したものであると、改めて述べています。

「子羊の骨」、突き刺された脇腹 36〜37節

足が折られなかった事は、イエスが「真の過越の羊」である事を象徴しています。過越の祭りの律法では (*)ほふられた子羊を食べ終わった後でもその骨の一つも折る事を禁じていました。ここにもまたダビデ王の預言の詩の中で「主は彼の骨をことごとく守り、その一つさえ砕かれる事はない。」(**) と語られています。ダビデは幻で見る、未来の十字架上の御子イエスが、真の子羊、「世の罪を除く子羊」(***) であられる事を預言する節であったのです。

*出エジプト12:46、民数記9:12
**詩篇34:20
***ヨハネ1:29

ヨハネは続いて、イエスの脇腹が突き刺された事も、また預言の成就につながる事だとも語っています。(*)

*ゼカリヤ12:10

借りた墓 38節

次に登場するのが「アリマタヤのヨセフ」と言う人物です。彼は最高議会(70名のユダヤ教の長老たちの集まり=「サンへドリン」と言う名で知られています。)のメンバーであり、誠実な信頼されていた人物だったのですが、イエスを憎む同僚たちを恐れて影でイエスを信じていたと記されています。(*) このヨセフはこの頃、自分の為に買っていたお墓を持っていました。それは岩をくり抜いて部屋を造るもので、その中に遺体を寝かせ、それを岩で封じるように造られていて、裕福な人でなければ買えない墓だったと想像できます。イエスの受刑の成り行きに心を裂かれたヨセフは、今度こそどんなリスクがあってもイエスを堂々と愛するとの決意で、イエスの体を引き取る事に踏み切ったのでしょう。そして、自分の為に用意していた墓をイエスに捧げると言う、彼にとって最高の捧げものをしたのです。このヨセフの行動を通して、父なる神は御子イエスの体を守ってくださったのです。そうでなければ、その頃の受刑者たちは団体で葬られる墓に入れられていたか、それならまだしも、ローマ式であれば扱いは更に酷い始末だったと言われています。

*ルカ23:50

ヨセフとニコデモ 38〜39節

もう一人、忘れてはならない人物がいます。3章に登場していた、パリサイ人のニコデモです。ヨセフと同じように、ニコデモも同僚たちを恐れて夜を図ってイエスのところに話しにきていた人です。ニコデモは、埋葬の時に体に塗る為に使われる塗り薬(没薬にアロエを混ぜたもの)を大量(30Kg)に手に入れてイエスを葬る為に使おうと持ってきたのでした。

ニコデモもヨセフも同じ心での行動だったのです。イエスが生きていた時にイエスを堂々と愛する勇気を持てなかった事を悔み、「せめて埋葬の時だけでもイエスの役に立ちたい、イエスへの愛を今度こそ堂々と神と人とに表したい」と言う願いで行動していたに違いありません。そんな心を一つにして、この二人はイエスの体を十字架から下ろし、墓へ移したのでした。しかしこの時、日没が迫っていた事から、安息日が終わったら正式にその御体に薬を塗って葬ろうと(*)、とりあえずイエスの体をそこに安置して去っていく事しかできなかったのです。

*マルコ16:1

墓の中 40〜42節

人類の救いの為に死なれた御子イエスの体は、この時静かにヨセフの墓の中で亜麻布に巻かれて寝かされていました(*)。結局のところ、イエスのそばに用意された塗り薬は使われるに及ばなくなります。しかしこの時点で見る墓の中の光景は、神の御子がよみがえられる素晴らしい朝が三日目に迫っていた陰りを見せる事はなかったのです。

*マルコ15:46

適用:

イエスキリストを信じて愛していても、私たちは時にイエスの弟子としての言動をとる事を怠ってしまう事があります。ヨセフもニコデモもそれぞれがきっとこの時点に辿り着くまで、自分が堂々とイエスの側に立つ事ができるように祈ってきていたのではないでしょうか? 私たちも悔いた心で「次こそ!」と言う気持ちを持って祈る中で、神はその都度、力を与えてくださるお方なのです。