「つまずくことのないため」1〜3節
一行はゲッセマネの園への道中。暗い夜の道を、イエスが歩きながら弟子たちに話しておられるシーンが続いています。イエスがこの夜、様々な事を弟子たちに話しておられた事柄は、すぐ間近に迫っていたご自身の逮捕と十字架刑に彼らを備える事、聖霊の降臨への心構えを促す事、彼らが教会時代の火種になる為に備えられる事などのためでした。なんの心構えもなく、これから起ころうとしている様々な事を弟子たちが経験するなら彼らの信仰は必ずつまずいてしまう。イエスはそれを知っておられました、
そして、イエスは具体的に明かされます。まずはこの先、弟子たちはユダヤ指導者たちの意思によって会堂から追放されたり命を狙われたりする事、イエスに属するものを殺す事は神に奉仕している事だと信じ込むユダヤ人たちも多く出てくるのだと言う事などです。「使徒の働き」の書の中で、イエスから「大宣教命令」(*)を受けた弟子たちが、イエスこそがキリストであるとエルサレムで語り出し、ユダヤ指導者たちから命をも狙われたり奪われたりする程の激しい迫害を受ける話を読む事ができます。それだけではありません。悲しい事実としてクリスチャンへの迫害は世々にわたって続いていて、現代でも、世界の至る所で「神への奉仕」の名の上でクリスチャンを殺すことに力を注ぐ者たちがいる事も確かです。しかしイエスは、この様な者たちが実際には父なる神をもご自身をも知らないのであると断言されています。
*マタイ 28:18-20、使徒 1:7-8
しかし、この事に心を騒がせる必要はありません。なぜなら、神に従って歩んでいる限り、どのような状況をも乗り越える力と知恵を神から与えられるからです。(*) たとえ迫害の下で命を落とすような事があっても、魂は天国であり(**)、かたきは神が取ってくださる(***)と聖書は希望を与えてくれています。
*ローマ 8:31-37
**マタイ 10:28、詩篇 23:4、黙示 21:4、Ⅱテモテ 1:7
***ローマ 12:19-21
聖霊が降られる意味 4〜7節
イエスは、ご自身がこれらの事をこれまでは話さず、この時を選んで話していたのは、今ご自身が旅立とうとしているからだと言われます。この後、必要な時に彼らが思い出す事ができるように話されたと言われます。思い出させて下さるのはこの後に降ってこられる聖霊なのだと。人間としてこの世を歩み、父なる神を表し、ご自身の神性をあらゆる印を通して示し、十字架での贖いとよみがえりを遂げようとしておられるイエスが神であられる事を人に証すのは聖霊のなさる事です(*) 。
*Ⅰコリント 12:3
肉体を持ったイエスを見聞きできるのには場所や時間にまつわる限りがあります。もしも、物理的にこの世におられたイエスの記録だけが頼りであったなら、遠い国の人たちや世代を超える人たちには、イエスは伝説や歴史にしか過ぎなくなるでしょう。しかし、聖霊がこの世に働きかけて下さる時、彼は時を超えて全ての場所に偏在して、全ての人々に(反応はそれぞれですが)イエスを知る事、信じる事ができるように働きかける事がおできになります(*)。これらの概念を視野に置くと、イエスがご自身が去る事は弟子たちにとって(またこの世にとって)益なのだと言われた事が理解できます。
*ヨハネ 14:26、15:26、16:13、Ⅱペテロ 1:21、使徒17:26〜27等
一時間ほど前、晩餐の席でイエスがこれらを話しだされた当初、弟子たちの心には動揺があり、「主よ、どこにおいでになるのですか」、「どこへいらっしゃるのか、私たちには分かりません。」と言う質問をしていましたが (*)、話が深まる中、イエスが去っていってしまうと言う知らせが彼らの心を悲しみで満たしてしまい、もう何も尋ねられない状態になっていた事が分かります。イエスもその弟子たちの心をご覧になってご自身の心も痛められながらこれらの事を話しておられたに違いありません。
*ヨハネ 13:36、14:5
罪、義、裁き 8〜11節
聖霊は人の思考や心にあらゆる形で神に関する事柄やイエスキリストの神姓の理解を与えます(*)。そして人がイエスを呼び求める時、聖霊はその人の内に宿られます。彼は「罪について、義について、裁きについて」を理解させ、人は自身の誤りを認める時点に導かれます。人間は個人の都合の良いように解釈して自身の基準を元に、それぞれの定義とそれに基づいた「罪、義、裁き」に対する世界観を抱きます(**) 。 しかし聖霊は、それらに関する真実を人の心に悟らせるのです。
*Ⅰコリント 3:16
**箴言 14:15、21:2、Ⅱテモテ 4:3等
その一方でイエスはこの夜、具体的なレベルでこの事を当時彼を拒絶したユダヤ人たちに関して語っておられました。イエスの言動を目の当たりにしながらも彼を信じなかった罪をユダヤ人の多くが認める時が迫っていました (*)。また、後にイエスがよみがえられた後、人々の見てる前で父なる神の元に引き上げられて行かれる時 (**)、人々はイエスが「義」なる方であった事を思いしめさせられます。聖書は、イエスがよみがえられた事によってこの世を支配するサタン(悪魔)が裁かれたのだと語ります。サタンが永遠に裁かれる結末が決まり、今彼は自分の時間が短い事を知って暴れていると言う話です (***)。
*使徒 2:22-37
**ローマ 1:4、使徒 2:32-33
***ヨハネ 12:31、16:11、Ⅱペテロ 2:4、黙示 20:7-15
聖霊が理解させて下さる 12〜15節
12節のイエスのことばには人間の精神力の限界と言うものを感じさせられます。聖霊が彼らの内に働くようになる日が来る前のこの時点では、彼らの理解力が弱かった事をイエスはご存知だったのです。聖霊の助けがなければ、神の真理は人の心に納まり切らないと言うことが分かります。
しかしイエスは、聖霊が降ってこられるとそれが変わり、彼らを全ての真理に導いて下さると言われます。それだけではなく、またやがて起ころうとしている事も彼らに知らせて下さるとも言っておられます。このイエスのことばは確かに成就しています。イエスがこの世を去られた後、弟子たちが福音を広げて行くことを「使徒の働き」の書の中で読む事ができます。そして新約聖書の数々の書はヨハネやペテロ、ヤコブやユダと言う弟子たちを始め、後にイエスキリストに出会ったパウロなどが書いたものが主で、それらの多くは未来に関する預言も含まれています。これは聖霊が彼らを真理へと導いてくださり、書くべき事を思い起こさせてくださったからなのです (*)。
*Ⅱテモテ 3:16
丁度イエスがこの世で父なる神の栄光を表しておられた様に、聖霊もまたイエスの栄光を表されます。聖霊は、父なる神から全ての万物への権威を与えられたイエスに関する知識(「私のものを受けて」)を、教会時代の人々に、肉眼では見えなくても、父なる神の右の座につかれた御子イエス (*) との交わりを魂を持って実感させて下さるのです。
*マルコ16:19、使徒 7:55、ヘブル 10:12、12:2
適用:
聖霊は私たちがその都度理解し、消化できる真理へと導いてくださいます。聖書に親しむ事と神に従う時、神もまた近づいて下さるのです (*)。
*ヤコブ 4:8
「ヨハネ伝の学び16章1-15節」への1件のフィードバック
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