5章エルサレムの神殿におられたイエスは、6章ではガリラヤ地方に戻っておられます。4節でその時が過越の祭りであった事が記されています。イエス一行はこの年、この行事をエルサレムで参加する事をしなかったようですが、この時が過越の祭りであった事はとても意味深い事を次回の投稿で学びます。
1節の時点でイエス一行は、カペナウムからガリラヤ湖を船で渡って東側の土地に行かれたようです。(テベリヤ湖はガリラヤ湖の西側の一部で、その向こう岸が東側)そこでも彼らは群衆と一緒でした。イエスが病人たちを癒しておられた奇跡を見たからだと、2節に書かれてあります。イエス一行が山を登って行ったと3節で語っていますが、読み進むと分かる様に、この後追い着いて来た群衆が草の多い場所に座った事から、おそらく高い丘を山と呼んだか山の上の野原のどちらかであったと思えます。イエスと弟子たちが草の上に座って群衆が追いついて来ているところからこの大きな奇跡の話が始まります。(3節、5節)
5000人のピクニック (5〜13節)
この時イエスはピリポに話しかけます。彼を試したと6節にあります。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか?」と言う質問でした。ピリポはどう思ったでしょうか?いつも頼りにしている主将が今度は自分に何かを相談して来たと、一瞬の間に大きな責任を負わされた様な感覚だったでしょうか?そして彼は考え、答えます。「めいめいが少しずつ取るにしても二百デナリのパンでは足りません」。彼はおそらく社会の現実をよく踏まえた計算高い人物だったのでしょう。イエスがピリポの反応を知りたかったと言うために彼を試したと言うよりかは、ピリポ自身が自分の信仰を振り返る事が目的だったのではないでしょうか?実際にはピリポから「主よ、あなたの力ではどんな奇跡でも可能です」と言うような理想的な信仰に溢れた言葉は返って来ませんでしたが、周りの現状をしっかり見極める事は、神の奇跡を見る手前の重大な一歩である事も確かです。
次にアンデレが一人の少年を連れて来ます。「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんな大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」(9節)アンデレも精一杯考えている様です。でもここでちょっと話を止めて、この少年に目を向けてみましょう。五千人以上いた群衆の中で、食べ物を持っていたのはこの少年だけだったのでしょうか?何か、この少年には周囲の人たちと違ったものを感じないでしょうか?彼の場合、この日イエスに付き従う事をその日の朝に決め、自分の分のお弁当を用意して出かけたと言う、一日中イエス様と共にいたいと言う計画性が表れていないでしょうか?微笑ましい事です。これを一人のクリスチャンの信仰に例えるなら、神との時間を守るため、一日の予定を工夫して聖書を読んだり祈ったりする時間(デボーションとも呼ぶ)を確保する計画性に似ているのではないでしょうか。また、このお弁当がイエスの手に渡った時、この少年はどんな気持ちだったでしょうか?持っているものをイエスの手に委ねる時、少しは不安を感じたでしょうか?「これを開け渡してしまったら今日自分は何を食べれば良いんだろう」等。こんな心境はクリスチャンにも多かれ少なかれあるものです。自分の権限やコントロールを神に委ねる事を要求される事は人生の中で常日頃の話ではないでしょうか?この少年が自分のお弁当をイエスに委ねた時、想像を絶する事態が起きた様に、自分の持っているものを神の手に委ねる時、神は私たちの想像を超えた奇跡を行う事ができるのです。*
*エペソ3:20
この後に起きた事は確かに想像を超えたものです。(10〜13節)そのお弁当に一体何が起きたのか、目に移して想像する事が困難なものです。イエスは人々を座らせるように指示します。他の福音書を読むと、(同じ様な奇跡が少なくとも二度起きている様ですが)* イエスは人々をグループに分けて座らせた様です。イエスが最初のパンをとって、感謝を捧げてから座っている人々に分け、魚をも同じ様に分けたと11節に記されていますが、これもまた他の福音書でわかる様に弟子たちが、各グループに届けて廻っています。しかしイエスがどんなに奇跡を起こす事ができても、食べ物を粗末にする理由にはなりませんでした。何と、みんなが満腹食べた後、残りのパン切れを集めると、12のかごが一杯になったと…
*マタイ14:13〜21、15:32〜39、マルコ6:31〜44、8:1〜9、ルカ9:12〜17
間違った「キリスト」の定義 (14〜15節)
「人々は、イエスのなさったしるしを見て、『まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ。』と言った。」14節
惜しい話です。この人々の言葉は間違ってはいませんでした。キリストとも呼ばれる「預言者」に関する預言は旧約の時代からずっと語られて来ていました。イザヤ2:2〜4、ヨエル3:16〜17、ゼカリヤ14:9、ルカ2:32〜33等にはキリストが偉大な王になると言う預言もあり、この時人々はその王である預言者(キリスト)が今目の前にいると確信したのです。ただ、間違っていたのは彼らの「キリスト/救い主」に関する定義でした。御子イエスが人間としてこの世を歩まれたのは、人間を自分たちの罪から救うためでした。* それは十字架を通して人類の罪の裁きを身代わりとなって受けて下さるためでした。まずはこの贖いの技が先でした。イザヤが語った「終わりの日」はこの時でもなく、又は今でもありません。(かなり近づいているでしょうが)この預言はやがてこの世に来る時代を指したものです。イエスはその時、偉大なる王として再びこの世に降りてこられます。「キリストの再臨」と呼ばれるその時が、まだこの未来に起こる事として預言されているのです。
マタイ1:21
そんな訳で彼らの悟った事は大外れではなかったのですが、この時の彼らには、自分たちがまず罪から救われなければならなかった事、その道をキリストが開かなければならなかった事など理解できていなかったのです。なので、これほどの奇跡ができるこの方がいざ王になればイスラエルをローマ帝国から救って下さるだろうし、その上、食べ物に困る事は無さそうだと考えたのかも知れません。こんな風に、彼らはズレてしまった「キリスト/救い主」の定義を抱いていたようです。なので、この時人々はイエスを無理やりにでも王に仕立てようとしたのでしょう。
水の上を歩く (16〜21節)
人々が企んでいる事を知ってイエスは一人で山の方に退かれたとあります。弟子たちが船を出してカペナウムに向かって行ったのは、イエスがそうする様に指示していたと察する事ができます。暗くなってから船を出す事は、例え数名の元漁師たちが一行の中に居たとしても、あまり心地の良い事ではなかった事でしょう。
そんな中でガリラヤ湖に嵐が来ます。船の中で弟子たちはその嵐と苦戦しながら、岸から4.5キロ程の地点でイエスが船に向かって水の上を歩いてくるのです。これは神にしかできない技です。弟子たちはそれを見て驚き、幽霊だと思って恐れます。無理もない事です。しかし、イエスが「わたした。恐れる事はない。」(20節)と呼びかけた瞬間、恐れは喜びに変わり、彼らはイエスを船の上に迎え入れます。もともと、目的のカペナウムに着くまでの距離は4.5キロよりももっとあったはずですが、(おそらく10キロ前後)イエスが船に入ってすぐにそこに着いたとも書かれてあります。さりげなく書かれていますが、これもまたイエスの技であった事でしょう。
適用
- 私たちはイエスを自分の都合に合わせた存在にしようと試みないように気をつけなければいけませんね。そうではなく、あの少年の様に自分に与えられているものをイエスの手の中に捧げて委ねる事が神に仕える事ではないでしょうか?
- 嵐のガリラヤ湖を歩かれたイエスは、私たちの状況や心に吹き荒れる「嵐」の上をも同じ様に歩いて現れて下さる事ができるお方なのです。