盲人との出会い (1〜3節)
ある安息日、イエスと弟子たちはエルサレムの神殿の辺りの道端で一人の盲人の男性が物乞いをしているのを見つける場面からこの章が開かれます。この男性が生まれつきの盲人であった事を弟子たちは知っていた事から、この男性がこの場所で普段から物乞いをしていた事がわかります。しかしイエスはこの時に初めて彼を癒すことに踏み切られるのでした。
弟子たちは、本人が聞こえるであろう距離で彼に対して無神経な質問をイエスに問いかけます。「先生、彼が盲目に生まれついたのは、誰が罪を犯したからですか? このひとですか。その両親ですか。」(2節)この男性の親が大きな罪を犯して子供にその罰が来たか、あるいは男性自身が生まれる前のどこかの時点で大きな罪を犯したと言う、無茶がある説は、当時のイスラエルでは珍しくない考え方でした。男性は嫌な思いをしたでしょうか? それとも慣れっこだったかも知れません。何れにせよ、イエスはこの弟子たちによる迷信交じりの神学的な質問よりもこの男性を癒す事と、これから彼を通して露わになる神の栄光にフォーカスを置かれていた様です。
「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神の技がこの人に現れるためです。」3節
この人に現れる神の技とはもちろん目が癒されるという衝撃的な奇跡の事だと思ってしまうのですが、奇跡はそれだけでは終わりません。その出来事に連なってこの男性がその直後から段階を踏んで、迫害を受けながら神の真実を掴んでいき、魂の救いまでにいたる永遠の実を結ぶ事態の方を重じた言葉だったのでしょう。
「昼」と「夜」(4〜5節)
4節でイエスは、神に与えられた使命を行動できる時、つまり「昼の間」に働かなければ、そのタイミングを逃してしまい、指示された事が出来なくなる「夜」が来る事を語られます。御子イエスにとってはこの地上を肉体を持って歩まれる期間が父なる神の栄光を表す「世の光」(*) となる時だったと言う事でしょう。十字架で死なれる時にはご自身も居なくなられ、弟子たちも力を失います。その時をイエスご自身にとっての「夜」だと言っておられたのです。
(*)ヨハネ1:4、8:12
五感を通して、世の光であられるイエスの言動を経験する事ができた場所と時代に生きた人たちにとってそれは大きなインパクトがあった筈です。その中ででも多くの人々は「光よりも闇を愛し」てしまいましたが、(*) 光を愛した人たちが居たからこそ現代イエスの教えが記録され、聖書や教会や人々の証の中、そして何よりも聖霊の働きを通して、今でも世の光であられるのです。なのでイエスが肉体を持ってこの世を歩まれている間に神の栄光を現す事は重要だった事は言うまでもありません。
(*)ヨハネ3:19
目の癒し(6〜14節)
この日、このタイミングを持ってイエスはこの男性の目を癒すプロセスに入られます。盲目の人の目をイエスが癒されるのはこの時の他に二回の出来事が福音書の記録されているのですが、(*) どの場合も独特な方法で視力を与えるという奇跡をなされています。一人ひとりの魂をご存知であられる主イエスは、私たちを皆ひっ包めて扱う事をせず、その人物に一番合ったやり方で接してくださるお方なのです。
(*)マルコ8:22〜26、ルカ18:35〜42
イエスは唾で泥を作ってその人の目に塗った後、シロアムと言う名の池に行ってそれを洗う様に彼に命じます。そう言った事をされてもこの男性は怒らずに素直に従いました。イエスの声に愛と権威を感じ取ったかの様です。とにかく言われた通りにその池に出向き(それなりに町の造りを認識できていたか、誰かに連れて行ってもらえたのかも知れません)、そこで目を洗った途端、彼の目は見える様になったのです。
見える様になったこの男性の視線のしっかりした顔、喜びの表情や自由な行動も、見えなかった時に比べてガラリと変化する事は想像できますね。彼を知っていた人たちが本当に彼なのか分からなくなる程でした。そしてこの時から彼が周囲に何が起きたかを説明し出します。ただ彼は自分を癒した方に関しては、「イエス」と言う名である事以外は何も知りませんでした。この時点で彼はイエスが何者であるかを理解していませんでしたが、周囲とのやりとりの過程の中で理解を重ねていくのが分かります。
周囲の人たちは、ひとまず彼をパリサイ人たちのところに連れて行きます。おそらく彼らはパリサイ人たちに、この男性に何が起きたかを分析してもらおうとしたのかも知れません。
訊問(15〜19節)
ここでも男性は同じ説明を繰り返しますが、まずはパリサイ人たちの間で分裂がおきます。安息日に人を癒すと言う「仕事」をしたとして(5章16〜30の学びを参照)、彼らの一部はイエスが神から出たものでないと定義づけます。その一方でもう一部のパリサイ人たちは、イエスが罪人であるならこんな大きな奇跡は行えないと議論します。まともな思考のパリサイ人もいたと言う事がここでも分かります。
意見が分裂している中、否定する指導者たちにとってもっと都合が悪かった事は、この男性自身がイエスが神から来ている事を認める事だったのでしょう。癒された人物が、イエスが神の力によって自分を癒してくださったと認識して周囲に言い触らす事でイエスを信じる人が増えるのは、彼らにとって望ましい事ではなかったからです。しかし、彼らの心配は的中し、イエスを何者とするかという彼らの問いに男性は「あの方は預言者です」答えます。男性の中で答えが形付いてきた様です。
この答えは指導者たちが聞きたいものではなかったので、彼らはこの男性の信憑性を却下し、彼が以前は盲目であった事実さえも否定しようと、今度は彼の親を呼び出します。この男性を、答える能力のない人物として扱う事で彼の言葉をも退けようとしたのでしょう。現代で言う「キャンセルカルチャー」の動きでしょうか?
両親の逃げ道 (20〜23節)
男性の両親にとって、息子が目が開かれて家に戻ってきた事は一大事だった事は間違いありません。しかし実のところこの時点ではすでに、イエスをキリストだと認める人物は宗教的に村八分の身にさらてしまう言論弾圧が始まっていたので*、イエスを認める発言は指導者たちの怒りを引き起こす事になるのは目に見えていた事でした。この両親はこの「危険な真実」に関わる事を拒み、「確かに彼は盲目に生まれたけど、どうやって見える様になったかは知らない。彼は充分に大人なので彼に聞いてください」と言う内容を交わします。息子の身に起きた奇跡の真相を追うよりも、こんな形で「危険」とみなした状態を逃れる事を選んだのです。私たち人間は、真理と言うものに対してこの様な選択を意外にも頻繁に取り勝ちなのではないでしょうか?
適用
この世の中には、真理に関わらないで中立の立場を生きる事の方が都合が良い状況がはびこっているのではないでしょうか? 自分を欺かずに神の真理を追求する事は、あらゆる形で代価を払う事が伴います。でもそれは、永遠の命や魂の成長につながる事で、その代価を遥かに超えた価値のあるものなのです。
マタイ13:44、16:26と共に。
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