あなたの教会では大抵礼拝の最初に会衆賛美がありますか?現代風の楽曲や聖歌・讃美歌、あるいは教会独自の賛美の曲や聖書の詩篇を賛美する教会もあるでしょう。アカペラ(伴奏なし)だったり、オルガンやピアノの伴奏だけだったり、あるいはギターやドラムといったバンドだったり、聖歌隊もあり、賛美リーダーとコーラスなど様々な形があるでしょう。私も昔からギターでリードしたり、賛美チームを率いてリードしたこともあります。教会のクワイヤで奉仕したり、今は数週間ごとにベース担当で教会のバンドの一員です。
今日の想うことはステージ側からの目線でシェアします。
今年のある土曜日のことでした。教会のバンドの練習が週明けにあるので曲の練習をしてました。自分のスタイルはどちらかというと自己流で使う曲のベースラインのコピーなどはあまりしないのですが、新しい曲があればYoutubeで聴いて感じを掴むようにしています。すると、あるビデオが目に止まりました。「教会のミュージシャンを知らず知らずのうちにダメにするもの」というちょっと興味深いタイトルのものです。アメリカのワーシップリーダーのチャンネルでした。原題には「サイレント・キラー」なんて書いてあって早速見ました。
その中で彼が語ったのは教会のミュージシャンには自己満足、自己中心、自己欺瞞、虚栄心、嫉妬心というキラーにやられることが多いので注意するべきである、という内容でした。これは特にステージに立って演奏したり賛美するものにとって本当に陥りやすいわなだと思います。自分が他の人より上手なのになんでもっと認められないのかという気持ちになってしまう。人の演奏や歌い方に対して批判的な思いが礼拝の中で出てしまう。それが目に見えない形でどんどん信仰心に穴をあけ、心を蝕んでゆくのです。
彼はある一つのエピソードを紹介してそのビデオを結びました。彼はある教会に招かれ礼拝賛美をリードしました。お気に入りの素晴らしいピアノのある教会で熱意をこめて賛美したのです。その教会では礼拝の最後にオープンマイクの時があり、誰でもシェアすることができました。一人の婦人が証しをしました。彼女はその朝自殺しようと考えていたというのです。死ぬ前に神様との関係を復活させたいと思い教会に来たのです。そこで礼拝の賛美に触れると彼女に希望が湧いてきて、今は生きていこうと思った、という証しでした。彼は、礼拝での賛美をリードするということはサービス、つまり奉仕であり、自分はイエスに仕えていることを再認識しなければならない、と語りました。
このビデオは心に留まりました。
翌朝の教会の礼拝の最後にリーダーのジョンは、「今から静かにピアノで賛美します。皆さんはその場でどうか祈り求めてください。この曲は人生の辛い時期を歩む時のことを歌っています。あなたが今辛いところを通っているならどうか祈りのチームの方と祈ってください。」と会衆を導きました。賛美はサービス・奉仕だ、とここでも想わされました。
教会礼拝においてずさんな準備やいい加減な賛美の構成はもちろんいけないでしょう。しかし、卓越した技術や洗練された、上手な歌い回し、みんなが感心するような音楽力に心を奪われていくと肝心のサービス、すなわちイエスに仕え、会衆が聖霊に導かれるリードをすることに差し支える罪の罠が待っています。
ステージに上がる時、ここにいる会衆の中に、今から賛美する曲を通して、聖霊によって導かれ、その人を神と回復させ、いのちへと移る人がいるんだ、と心を引き締めています。