創世記13:5-18

5 アブラムといっしょに行ったロトもまた、羊の群れや牛の群れ、天幕を所有していた。6 その地は彼らがいっしょに住むのに十分ではなかった。彼らの持ち物が多すぎたので、彼らがいっしょに住むことができなかったのである。7 そのうえ、アブラムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちとの間に、争いが起こった。またそのころ、その地にはカナン人とペリジ人が住んでいた。8 そこで、アブラムはロトに言った。「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。9 全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」

10 ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、主がソドムとゴモラを滅ぼす以前であったので、その地はツォアルのほうに至るまで、主の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。11 それで、ロトはそのヨルダンの低地全体を選び取り、その後、東のほうに移動した。こうして彼らは互いに別れた。12 アブラムはカナンの地に住んだが、ロトは低地の町々に住んで、ソドムの近くまで天幕を張った。13 ところが、ソドムの人々はよこしまな者で、主に対しては非常な罪人であった。

14 ロトがアブラムと別れて後、主はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。15 わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。16 わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。17 立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」18 そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに主のための祭壇を築いた。

二つの「目を上げて」

アブラハムの信仰を今回の場面から学ぶ際に、二つの「目を上げて」に注目しつつ学んでください。一つはアブラハムの甥、ロトの視線、そしてもう一つはアブラハムが神の命令に従って上げた視線です。マルチンルターの言う信仰、すなわち、「自分自身を神に投げ出す」信仰には視線をどう持つかが決めてだからです。

危機に瀕して

またもやアブラハムに困難が迫ってきます。前回では、アブラハムは困難に直面した際に自力に頼り、神に身を投げ出すのではなく、自分の能力と知恵に頼りました。飢饉が起きると恐れから、短絡的にエジプトへ進みました。そこでは自己保身のためにサラを妻ではなく妹であると嘘をついたのです。

今日の箇所では、アブラハムのグループとロトのグループが対立しています。彼らがエジプトから追放されて、主のもとに戻り生活を行った土地は十分な場所ではなかったのです。狭いところで争いが発生してしまいました。アブラハムは今回はどのような信仰の道を進むのでしょうか?

手放すこと

「その地は彼らがいっしょに住むのに十分ではなかった。彼らの持ち物が多すぎたので、彼らがいっしょに住むことができなかったのである。そのうえ、アブラムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちとの間に、争いが起こった。(6-7節)」

この危機に瀕して、アブラハムはまさしくマルチンルターの語る、「神に身を投げ出す」神を信頼して歩む信仰を示しました。

三つの「手放すこと」がここでは見られます。

  1. 自分の権利:アブラハムは家族のかしらですから、ロトに対して自分が権利を主張できたことでしょう。しかし、この権利を手放しました。神に信頼したのです。神の前には自分は権利を主張できません。神と正しく繋がっているかが大事です。 
  2. いつでもベストを欲すること:ロトが肥沃な良い土壌の場所を選んだ後は、アブラハムには硬いあまり喜べない土地が残されました。アブラハムはベストでなくても良い、と欲求を手放したのです。常に良いものをと追い求めることは、結局何にも満足できないと言う落とし穴に落ちてしまいます。また、良いものを、と望む時、それは自分の信仰をも妥協するような状況になるかもしれません。ロトは自分の土地のすぐお隣のソドムとゴモラの悪影響を受け、その罪深いライフスタイルを許容するばかりか取り入れてしまったのですから。旧約聖書研究者のJoyce Baldwin はこう語ります。「ロトは良い生活を送るということが精神的、道義的、そして霊的な力に悪影響を及ぼすと言うことに疎かったのです。“Lot did not take into account of the power of the good life to reduce our mental, moral and spiritual vigor“」 Joyce Baldwin OT Scholoar
  3. 後悔:アブラハムは過去を振り返って、ああだったら、こうだったら、という後悔を手放しました。全てを神の手に委ねるのです。

ではどうすれば手放せるのか?

冒頭に二つの「目を上げて」に注目してくださいと書きました。一つはロトの視線、一つは神がアブラハムに示した目線です。ロトは自分の肉体的な視点だけで見たのです。しかし、アブラハムは単に眼を使って見たのではなく、彼のうちに育ってきている神への信仰の目を使って見ていたのです。

アブラハムはエジプトでのトラブルののち、最初に神に捧げた祭壇に戻って神を礼拝しました。神を見上げることが信仰の目の始まりです。

「信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです。」ヘブル11:1

ヘブル11:1

「イエスから目を離さないでいなさい。」

ヘブル12:2

ダレルジョンソンはこう今回の箇所の説教を締めくくっています。「歩む道のりの質がいいかどうかは何を見ているのかと言うことに直結している」“The quality of the journey is directly related to the clarity of the vision.” Darrell Johnson

イエスの次の言葉に心を止めましょう。

「それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」

マタイ16:24-26