小さいころしばしば「そんなものにさわったらだめだ。 手が汚れるよ」と言われたことを覚えています。 私の育ったころは(もう何十年も昔ですが) 家の周辺には田んぼや川、どぶや池、空き地は草ぼうぼう、 という感じで、どこへ行ってもすぐ手や足はどろどろになったり、 服は汚れたものでした。

きれいな手で汚いものを触ると手が汚れる、 ということが幼いころから当たり前のことだったのです。

ところが、聖書にこんな記事が書かれています。 イエス様の行動を見ると、 この子供のころからの原理がくつがえっているのです。

ルカ7章11-16

11 それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。 弟子たちと大ぜいの群れがいっしょに行った。12 イエスが町の門に近づかれると、 やもめとなった母親のひとり息子が、 死んでかつぎ出されたところであった。 町の人たちが大ぜいその母親につき添っていた。13 主はその母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい」 と言われた。14 そして近寄って棺にに手をかけられると、 かついでいた人たちが立ち止まったので、「青年よ。 あなたに言う、起きなさい」と言われた。15 すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めたので、 イエスは彼を母親に返された。16 人々は恐れを抱き、「大預言者が私たちのうちに現れた」とか、「 神がその民を顧みてくださった」などと言って、神をあがめた。

この箇所もです

マタイ8章1-3

1 イエスが山から降りて来られると、多くの群集がイエスに従った。 2 すると、ツァラアトに冒された人がみもとに来て、 ひれ伏して言った。「主よ。お心一つで、 私をきよくしていただけます。」3 イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。 きよくなれ。」と言われた。すると、 すぐに彼のツァラアトはきよめられた。

当時のユダヤ人の風習や律法の教えでいけば、死人や病人に触る、 ということは忌み嫌われた行動で、 死や病という汚れが自分にもたらされると考えられていたからです 。無意識に触ったにしても、結果律法では、「私に近づかないで!汚れているんだ!離れろ!」 と叫びながら道を歩くはめになるのです。

しかし、イエス様は棺桶にさわり死人をよみがえらせ、 皮膚病の者にさわり病を清め癒したのです。 これはいのちが死に打ち勝って、 いのちが回復したことを示しているのではないでしょうか。 「いのちが伝染した」、と言ったらおかしな感じですが、まさしくそんな風にこれらの聖書を読んで感じました。

イエス様が世の光であるとおっしゃいました。 光がこの世の闇を駆逐し、光で満たしてくれているのです。 今もイエス様は光として私たちに触れて、いやし、 命をあたえてくれています。ヨハネによる福音書にこう書かれているのです。

ヨハネによる福音書1章1~5節

初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2 この方は、初めに神とともにおられた。
3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

 

世の光、と聞くと思い出す曲があります。それは、Tim Hughes の Here I am to worship です。

こちらのリンクからもユーチューブが見られます

​抄訳

世の光のあなたが暗闇の​世界に足を踏み入れてくれて
私の目を開いてくれました
わたしにはあなたの美しさが見えるようになって
あなたを心から愛せるようにして下さいました
あなたと共に過ごせる人生がある、という希望が持てるようにして下さいました

あなたはとこしえからとこしえまで統べ治める王なのです
高くあがめます
天高く栄光をもつあなたを
でもあなたは身をかがめ、ご自身で創造されたこの地にやってきてくださった
愛のゆえにあなたは身を卑しくされたのです

​ですからわたしはあがめます。御前にひれ伏します
あなたこそ我が神と告白するのです
なんと美しい、尊い、すばらしいお方でしょう
あなたがあの十字架で私の罪のためにどれだけの代価を払わねばならなかったか
それは私には想像がつきません​

 

Light of the world, you stepped down into darkness, opened my eyes, let me see
Beauty that made this heart adore you, hope of a life spent with you.

King of all days, oh, so highly exalted, glorious in heaven above
Humbly you came to the earth you created, all for love’s sake became poor.

So here I am to worship, here I am to bow down
Here I am to say that you’re my God.
And you’re altogether lovely, altogether worthy, altogether wonderful to me.

And I’ll never know how much it cost to see my sin upon that cross.