ルカによる福音書 7:1-10

ルカは、7章でイエスの神の愛ー「へセド」と、それに関わる人々のことを次の6つのセクションにおいて記していると思います。イエスに触れられたものたちは造り変えられたのです。

  1. (1-10節)  異邦人・ローマ兵士(敵)→ 権威についての強い確信〜イスラエルにすら見られない信仰〜イエスの驚き
  2. (11-17節) 未亡人で息子を無くした母(死)→ イエスのあわれみ、厳しい生涯を送る母、いのちの回復
  3. (18-23節) バプテスマのヨハネ(イスラエル)→ 救い主についての混乱した考え (その1)
  4. (24-35節) 世の人々 (世俗)→救い主についての混乱した考え(その2)
  5. (36-50節)シモン(宗教家)→ 罪人を宗教論で裁き、救いと赦しが見えない
  6. (36-50節) 売春婦(罪人)→ 資格がないと分かりながら、イエスに救いと赦しを乞う


今回は#1百人隊長の記事から学びます

1 イエスは、耳を傾けている民衆にこれらのことばをみな話し終えられると、カペナウムに入られた。2 ところが、ある百人隊長に重んじられているひとりのしもべが、病気で死にかけていた。3 百人隊長は、イエスのことを聞き、みもとにユダヤ人の長老たちを送って、しもべを助けに来てくださるようお願いした。4 イエスのもとに来たその人たちは、熱心にお願いして言った。「この人は、あなたにそうしていただく資格のある人です。5 この人は、私たちの国民を愛し、私たちのために会堂を建ててくれた人です。」6 イエスは、彼らといっしょに行かれた。そして、百人隊長の家からあまり遠くない所に来られたとき、百人隊長は友人たちに使いに出して、イエスに伝えた。「主よ。わざわざおいでくださいませんように。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。7 ですから、私のほうからお伺うことさえ失礼と存じました。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます。8 と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ』と言えば、そのとおりにいたします。9 これを聞いて、イエスは驚かれ、ついて来ていた群集のほうに向いて言われた。「あなたがたに言いますが、このようなりっぱな信仰は、イスラエルの中にも見たことがありません。」10 使いに来た人たちが家に帰ってみると、しもべはよくなっていた。

ルカ7:1-10

イエスの驚き

イエス・キリストはこの世を治める主なる神ですか?という質問にあなただったらどう答えるでしょうか? ルカはこの質問の答えを、当時のユダヤ人達にも、異邦人達にもはっきりとこの記事を通して語り伝えています。

ローマ兵士は当時のイスラエルの諸地方に配備されていました。カペラナウムにもローマ兵が駐在していたのです。通常は地元の民を軽蔑し、暴挙に出る兵士が多い中、ルカはこの百人隊長は地元のユダヤ人達を敬い、会堂に献金するなどしていたというのです。イエス・キリストのことを会堂のユダヤ人達から聞いていたとしても不思議ではありません。カペラナウムはイエスの本拠地だったのですから。

驚くべきなのは、(ルカの福音書は次々に「驚き」が出てきます)イエスが驚いた、ということです。ユダヤの敵ローマを代表する百人隊長の信仰に驚いたのです。マタイの福音書では、イエスが、「まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。」と目を見張って告げたのです。(マタイ8:10)


百人隊長

百人隊長については、こんなことが分かります

神を敬う百人隊長

  • しもべへの思いやり
  • 敵国とも言えるユダヤ人への配慮
  • 会堂(礼拝の場所)への敬意と献金

神を怖れる百人隊長

  • イエスが力ある方であると権威を認める
  • 神の律法・異邦人であることの制限を守ろうとする

迷わない百人隊長

  • 権威を100%信頼し、従い実行する

百人隊長の信仰

では、その信仰はいったいどんな信仰で、私たちも同じ信仰を持てるのでしょうか?

NT Wright は次のように語ります。

「彼に見られる信仰は、神についての概念を正しいと信じるとか、あるいは宗教論の習得をするとか、というものではありません。もっと単純で、素直に信じることです。イエスがこうなれ、と言うとそうなる、と言うことを信じるのです。自分の兵士の目から見て、イエスは病いや健康について権威をお持ちだ、と認めています。ですから、イエスが癒されよ、と言えば癒されるのです。これほどまで単純明快な信仰があるでしょうか?」

「さらに、彼には適切な宗教的な背景がありませんでした。でも、ユダヤの信仰のまさに中核のものをつかんでいたのです。イスラエルの神こそ唯一の神であり、全天地の全権を持っている、と言う中核です。そして、驚くべきことに、この百人隊長はこの唯一無二の神が人として、ナザレのイエス、としてこの地におられる、と理解していたのです。ルカは、異邦人達が神の民ユダヤの生まれ育ちや宗教背景がなくとも、癒しと救いのめぐみにあずかれるんだと言うことを書き記しているのです。」(Luke for Everyone, N.T. Wright) 

This faith isn’t an abstract belief  about God, or the learning of dogmas. It is the simple, clear belief that when  Jesus commands that something be done, it will be done. He regards Jesus like  a military officer, with authority over sickness and health. If Jesus says that  someone is to get well, they will. What could be simpler?

or all his lack of appropriate religious back-  ground, he had grasped the very centre of the Jewish faith: that the one true  God, the God of Israel, was the sovereign one, the Lord of heaven and earth.  And he had grasped it in its shocking new form: this one true God was personally  present and active in Jesus of Nazareth. Luke presents this Gentile as a model for  all those who will come in by faith from outside God’s ancient people, to share  the blessings of healing and salvation. (NT Wright)

Luke for Everyone, N. T. Wright

百人隊長は異邦人として、自分にはユダヤの神の力を持つイエスには家に招き入れることすら出来ない、何の資格もない、とわかっていながら、このお方なら何でも出来る、という権威を認めそれを求めたのです。

イエス・キリストはこの世を治める主なる神ですか?

冒頭にこう問いかけました。この問いに宗教論からではなく、また自分の文化背景や教育、現在置かれている文化、環境からの論点ではなく、素直に、はいイエスは全天地の造り主である、と認め、告白しましょう。聖書にこう告白されています。私たちは、イエスを全権の主と認め、パウロがコロサイの教会に書いたように、イエスの中に根ざし、建てられ、教えられたとおり信仰を堅くし、感謝にあふれる歩みをしたいと願います。

3 このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。4 私がこう言うのは、だれもまことしやかな議論によって、あなたがたをあやまちに導くことのないためです。5 私は、肉体においては離れていても、霊においてはあなたがたといっしょにいて、あなたがたの秩序とキリストに対する堅い信仰とを見て喜んでいます。

6 あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。7 キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。

8 あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。それは人の言い伝えによるもの、この世の幼稚な教えによるものであって、キリストによるものではありません。

9 キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。10 そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。

コロサイ書2:3-10

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