お知らせ
このブログシリーズは、リージェントカレッジのリフレームコース及び、CA Church で開催された文化と信仰のコースを基にして作成した日本語でのバイブルスタディーを基盤にしています。リージェントカレッジのリフレームコースの本編の紹介、ストリーミング及びダウンロード出来るビデオコースはこのリンクからアクセスしてください。
早く天国へ?
私たちの人生は複雑です。信仰を持って生きるには即さない環境や文化の中だったり、難しい人間関係があったり、本当に人生は苦労だらけだ、と思えるのです。この世は単に天国に行くまでなんとか耐え忍ぶべき時間なのでしょうか?天国に行くことが人生の目標なのでしょうか?しかし、イエスの復活はそのような考えを払拭します。復活は私たちの現在の人生に、どのように生きるべきかはっきりとした道を示すのです。
イエスの復活は将来の神の新天地を約束し、保証します。
「救われる」という言葉の意味は、天国行きの切符をもらった、という短絡的な意味ではなく、ますます人間として人間らしく生きる事が出来るように解放され、神様がこの世をあがなう、そのあがないのわざの一端を担って生きる、豊かな人生を送ることを意味するのです。
これまでの学びで、聖書のイスラエルのストーリーはイエスにおいて成就したことを見ました。イエスが、そのストーリーの頂点であり、旧約聖書の約束の成就 (ルカ24:27)、神の真実の似姿、本来のイスラエル人と言えます。そして、イエスはその人格、行動、言葉を通して人類を贖う方なのです。
イエスは救い主、そして主であり、私たちの人生、普通の日常生活、私たちをとりまく文化に意味をもたらしてくださる方です。 イエスの福音は、単に自分が個人的に救われることだけを意味するのではありません。自分が生まれ変わり、新しいいのちを与えられ、造り変えられた世界の中で生きていくように呼びかけられる事でもあります。
ドイツの古代ユダヤ教、キリスト教の権威である故ピンカス・ラピド博士は、次のように述べています。
「イースターの日曜にイエスが復活した、という事に対しては、私は長年サドカイ派のもの達のように懐疑的でした。しかし、今ではそうではありません。次のように、よくよく考えてみた結果、考えを変えたのです。 当時の農民、羊飼い、漁師達が彼らの主を裏切り、否定し、非情にも見捨てたわけですが、そんな彼らがとたんに自信に満ちた宣教の中心となり、救いを確信し、イースター以前よりましてイースター以後その働きが拡大していったんですね。こんな改革的な変化は、幻覚やまぼろしなどといったものでは説明がつきません。」
スティーブ・ガーバー師は次のように語ります。
「だれしもが、未来神学を、未来の世界はどんなものか、尋ね求めています。未来について自分がどう信じるか、が、現在をどう生きるか、に影響します。ですから、新天地について語ること、そして新天地の意味を現在に取り入れることが大事なんです。」
復活の影響
今回の学びでは、「キリストが復活された」、ということがどんな意味を持つのか見て行きます。一言で言うなら、復活は私たちの人生のあらゆる点において影響を与えるのです。
ビデオ1 [ビンセントの証し(前半)]
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ビンセントは、仕事先の問題の解決の見通しがたたず、クリスチャンとして思い悩み、「まるでゾンビが歩いているみたいでした。」といいます。
黙示録21:1-4
1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。3 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
黙示録 21:1-4
ビデオ2 [Rikk Watts師メッセージ(前半)]
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古代における復活とは、ユダヤ人にとっての復活とは?
古代社会においては復活という考え方はありませんでした。ユダヤ人だけが復活を信じていたのですが、それは復活が単独で起きる事象ではなく、ある大きな出来事が起きる時、その大きな出来事を構成する幾つかの点のうちの一つとして理解されていたのです。
- ローマ帝国の崩壊
- イスラエルの君臨
- 捕囚の民が全て帰還
- イスラエルの復興
- 堕落したイスラエル指導者の駆逐
- ダビデの家系の王による統治
- 全被造物が新たにされ、造り替えられること
- 全ての民の復活
復活によって示された事とは?
- 神様がイエスを全肯定した
- 神様が人類を全肯定した
- 神様が被造物を全肯定した
天と地について
- 「御国が地に来ますように(主の祈り)」 御こころが天のごとく地にも成されますように
- 「被造物は贖いを待ち望んでうめいている。(ローマ8:19-22)」被造物は掃討されるべきものではない。
- 人類は神の王国で祭司として、そして地を治めるように導かれている。黙示録5:10
- 新しいエルサレムは天から地に訪れる。神と天が地を訪れるという壮大な出来事である。
すなわち、復活とは神様から私たちへの最初の手付金・デポジットのようなものです。必ず起きる、と神様が約束したものです。神様は、来る世について真剣な考えがある、と示してくれています。なぜなら、イエスになさったことを私たちにもしてくれるからです。復活により、朽ちていく被造物はもはや朽ちないように解放されのです。
ビデオ3 [Rikk Watts師メッセージ(後半)]
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ライフ!
- 福音はいのち、絶えることの無い神のいのちです。
- 自分たちの生活を振り返って下さい。職場、教会、近隣、家族、友人達の間で私たちは「いのち」を感じさせているでしょうか?
- 死は最後の言葉ではなくなりました。いのち、が最後の言葉です。
神様はどんなお方でしょうか?
- 聖である、ということが決まりを守る、という事を意味するのではなく、神のいのちを他者にもたらしているかどうか、であったとしたらどうでしょうか?私たちと関わることで、もっといのちに溢れるように感じる事が聖なることだとしたらどうでしょうか?
- 私たちは天の御国の市民として、やがて来る栄光の王国を待ち望みつつ日々暮らしています。
- 私たちは来る世の先駆け、しるしなのです。いのちという神様からの約束を人々に示す、明るく輝く星なのです。
なぜこのような生き方は難しいのでしょうか?
- 天の御国の市民とはどんなことを意味するか理解していない
- ストーリーが生き方を左右する、ということを分かっていない。自分の内にどんなストーリーがあるかによって、行動が決まってくる。
- 間違ったストーリーに生きてしまっている。
- イスラエルのストーリーに生きるべきである。私たちは新しいアブラハムとして、世の恵みになるように召されている。
- 神様のストーリーに浸り、自分の一番深いところまで染み透るようにする。反射的にする行動が神様のご性質を反映するに至るまで。
- 聖霊無しでは不可能。
- 天の御国を見据え、心を満たすと、この地で良い行いも可能である。
ビデオ4 [ビンセントの証し(後半)]&ディスカッション:
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考えてみませんか?
未来の新天地の約束は今日のあなたにどんな違いをもたらして下さっていますか?証をしたビンセントにはどんな違いがあったでしょうか。私達にとってはどうでしょうか?