「新約聖書イントロ」は当NiBS(日本語BibleStudy.com)のシリーズです。Eugene Peterson 先生のThe Messageに書かれている先生の聖書の各本のイントロを毎月最初に一つづつ紹介していきます。聖書を読んでみたい、でも一体この本に何が書いてあるの?と思ったことはありませんか?そんな問いかけへの答えに少しでもお役に立てれば幸いです。紹介する順番は実際の新約聖書の並び方とは異なります。日本語訳は筆者の拙訳です。英語のオリジナルはブログ下段に掲載させていただきました。
宗教色があまり強いとよくありません、なんて言うと変わっているな、と思われてしまうでしょう。でも、神について色々ごちゃごちゃするのはだめです。信仰やら従順が有り余るのも困ります。愛や礼拝が多いのもだめです。神様に気を利かせて、良い意味で、色々うまくとりまとめようとするのは、逆に神様が私たちにして下さろうとしていることを妨げてしまうことがあります。まず第一で、中心となるべきことは、いつでもどこでも神様がしてくれたこと、今なされているわざ、そしてこれから成し遂げて下さることなのです。イエスにあって、神のみわざが具体的に現されています。私たちが第一にするべき中心的なことは、イエスにおいて現されている神様のみわざに応じて神様に従っていくことです。信仰の行動をとることです。
しかし、多くの場合、どうしたものか、我慢でき無くなってしまい、自分のことを重要なものとしてしまい、わずかながらの知恵によって物事を改善しようとしたりします。付け足したり、補なったり、飾ったりするのです。イエスが純粋であり単純であることを基にして発展していくのではなく、純粋を濁らせ、単純さをごちゃごちゃにしたりします。物事にいちいちうるさい宗教家やいつも心配ばかりしている宗教家になってしまいます。本来歩むべき道に障害物を置くことになっています。
そんな時、このヘブル人への手紙を読み、祈り求めるべきです。この書簡はそんな宗教家色の強いクリスチャンや、イエスに付け足しをしたがるクリスチャンのために書かれているのですから。
この書簡ではイエス・プラス・天使、イエス・プラス・モーセ、イエス・プラス・祭司、が取り上げられています。現代でいえば、イエス・プラス・政治、イエス・プラス・教育、あるいはイエス・プラス・ブッダ、といったところでしょうか。この書簡はそういう付け足しやハイフンで繋げられた事柄を取り除くのです。焦点はイエスにおける神様のみわざへと再びもっとはっきり、くっきりと当てられるのです。信仰を行うことで私たちは解放されるのです。神様の道の邪魔にならずに神様の道に歩む唯一の行動が信仰を行うことですから。
It seems odd to have to say so, but too much religion is a bad thing. We can’t get too much of God, can’t get too much faith and obedience, can’t get too much love and worship. But religion—the well-intentioned efforts we make to “get it all together” for God—can very well get in the way of what God is doing for us. The main and central action is everywhere and always what God has done, is doing, and will do for us. Jesus is the revelation of that action. Our main and central task is to live in responsive obedience to God’s action revealed in Jesus. Our part in the action is the act of faith.
But more often than not we become impatiently self-important along the way and decide to improve matters with our two cents’ worth. We add on, we supplement, we embellish. But instead of improving on the purity and simplicity of Jesus, we dilute the purity, clutter the simplicity. We become fussily religious, or anxiously religious. We get in the way.
That’s when it’s time to read and pray our way through the letter to the Hebrews again, written for “too religious” Christians, for “Jesus-and” Christians.
In the letter, it is Jesus-and-angels, or Jesus-and-Moses, or Jesus-and-priesthood. In our time it is more likely to be Jesus-and-politics, or Jesus-and-education, or even Jesus-and-Buddha. This letter deletes the hyphens, the add-ons. The focus becomes clear and sharp again: God’s action in Jesus. And we are free once more for the act of faith, the one human action in which we don’t get in the way but on the Way.
Introduction to Hebrews, The Message, Eugene Peterson