「新約聖書イントロ」は当NiBS(日本語BibleStudy.com)のシリーズです。Eugene Peterson 先生のThe Messageに書かれている先生の聖書の各本のイントロを毎月最初に一つづつ紹介していきます。聖書を読んでみたい、でも一体この本に何が書いてあるの?と思ったことはありませんか?そんな問いかけへの答えに少しでもお役に立てれば幸いです。紹介する順番は実際の新約聖書の並び方とは異なります。日本語訳は筆者の拙訳です。英語のオリジナルはブログ下段に掲載させていただきました。


ピリピ人への手紙は、パウロの書いた書簡のうちでももっとも嬉しさに満ちたものです。その喜びにつられて誰もがつい微笑んでしまいます。たった10数節読むだけで、私たちもその喜びを感じ取れるでしょう。踊るような言葉の数々や、喜びの声は私たちの心に入り込んできます。

しかし、嬉しいと感じる、という言葉は辞書を引いて理解できる言葉ではありません。事実、クリスチャン人生の質を考えるとどれもが教科書を通して学べるようなものでは無いのです。弟子入りして学び取る、というようなことが必要になります。それは何年も何年も専念して築き上げた技を持つ方の近くにいて、その技が一体何であるかを一巨一投足を通して示してもらうことです。言葉で教えてくれる時もあるでしょうが、大抵は弟子が師匠と密に過ごすことによって日々技を磨いていくことなのです。師匠から、見逃しやすいが絶対不可欠のタイミング、リズム、手際の良さを学び取ることなのです。

パウロがピリピに住むクリスチャン達に向けて書いた書を読む時、ちょうどそのような師匠と過ごしているように思えるのです。パウロは私たちが嬉しくなるように、と語るのでもありませんし、どうしたら幸福になるかとも語っていません。彼はしかしどこをどう見ても幸せにしています。彼の置かれた状況は喜びに至るものではありません。牢獄からこの書を書いているのです。彼の働きは常に競争相手からの攻撃を受けました。20余年に渡ってキリストのために苦労を重ねて各地を巡り歩きました。もう疲れていたでしょう。そろそろ何かくつろげればと思ったのではないのでしょうか。

しかし、救い主イエスの生涯と比べると、パウロが牢獄で体験している苦境も偶発的なものなのです。なぜならイエスのいのちは、歴史上のある時点で起きた出来事であるばかりか、それはイエスを受け入れる者達の人生に溢れかえり、ありとあらゆる場所で続いているからです。キリストは、他にも色々あるでしょうが、神様は封じ込まれたり、隠されたりされるようなお方ではない、ということを現しているのです。溢れかえる、というキリストのいのちの質がクリスチャンにとっての喜びの理由なのです。なぜなら、喜びは溢れるばかりのいのちなのです。誰一人として封じ込めることの出来ない、溢れ出るものだからです。


This is Paul’s happiest letter. And the happiness is infectious. Before we’ve read a dozen lines, we begin to feel the joy ourselves—the dance of words and the exclamations of delight have a way of getting inside us.

But happiness is not a word we can understand by looking it up in the dictionary. In fact, none of the qualities of the Christian life can be learned out of a book. Something more like apprenticeship is required, being around someone who out of years of devoted discipline shows us, by his or her entire behavior, what it is. Moments of verbal instruction will certainly occur, but mostly an apprentice acquires skill by daily and intimate association with a “master,” picking up subtle but absolutely essential things, such as timing and rhythm and “touch.”

When we read what Paul wrote to the Christian believers in the city of Philippi, we find ourselves in the company of just such a master. Paul doesn’t tell us that we can be happy, or how to be happy. He simply and unmistakably is happy. None of his circumstances contribute to his joy: He wrote from a jail cell, his work was under attack by competitors, and after twenty years or so of hard traveling in the service of Jesus, he was tired and would have welcomed some relief.

But circumstances are incidental compared to the life of Jesus, the Messiah, that Paul experiences from the inside. For it is a life that not only happened at a certain point in history, but continues to happen, spilling out into the lives of those who receive him, and then continues to spill out all over the place. Christ is, among much else, the revelation that God cannot be contained or hoarded. It is this “spilling out” quality of Christ’s life that accounts for the happiness of Christians, for joy is life in excess, the overflow of what cannot be contained within any one person.

Introduction to the book of Philippians, The Message, Eugene Peterson