先日カナダの総選挙が行われて、リベラル党の党首、マーク・カーニー氏が新たな首相となりました。リベラルに対抗する保守党は予想を下回る結果でした。日本でも夏に参議院選挙があると聞いています。リーダーが代わるのでしょうか?それともそのままになるのでしょうか。国のリーダーやリーダーの属する党に対しては国の意見が分かれます。

政治のニュースやコメントは実に膨大な量があります。議論や批判はオンラインで盛んに行われ、気持ちが揺さぶられたり、不安感に襲われたりします。

パウロはローマ書13章をこう切り出しています。

「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。」

ローマ書 13:1-2

「でも!」って言いたくなりませんか?

国を治める、あるいは自分の地域を治めるリーダーたち、彼らの属する団体の理念や信条、掲げている政策の方向性などは必ずしも自分の信念、信仰と相容れないことがあります。選挙で応援しても自分の推しの候補者が選ばれず、自分が反対する候補者が当選したりします。クリスチャンの応答はどうあるべきでしょうか?

パウロがこの書を書かれた当時はローマ帝国の支配下にあったのです。ローマ皇帝は自分のことを神の子と呼んだり、主と呼んだりしてそれを人々に強いていたのです。街の至る所でそれが顕著に表されていました。使う貨幣にも皇帝の肖像がありました。この箇所をどう理解するべきでしょうか?パウロは何を伝えているのでしょうか。

ローマ13章の講解を担当したブラッド牧師は説教の最初に、「聖書は一点集中で理解するべきではありません。ローマ書の13章は12章から続いているのです。自分のからだを生きた捧げ物として捧げる相手は神様です。私たちの一番上のリーダーはイエス様です。それを忘れてはいけません。」と語りました。そこからこの箇所を考えるとローマ書13章は12章の「愛せよ」という神の命令がテーマ続いているのだとブラッド牧師は言います。30分の説教をここに要約するのは不可能ですが、愛の市民として生きるための術はいくつかメモしました。

  • 神の権威を認める (v1) | 神こそナンバーワンです。
  • 神の市民である (ピリピ 2:20)|私たちは天に属する市民であるとパウロは教えています。
  • 正しいことをするべきである (ペテロ第一 2:13-17)|正しいこと、ローマ13では税金について語られていますが、正しいことをする理由はそれがコミュニティーを建て上げるからです。世俗の権威なんて無視!という行動はコミュニティーをないがしろにすること、つまり愛を忘れた行動になるのです。
  • 政府の望む必要最低限ではなくそれを上回る善を行う (v8-10)|イエスが全てを投げ打って私たちを愛したのですから、ギリギリの最低限だけ守ればいいというのは的を得ていません。
  • 愛の行動をとる (ローマ12章)| 最終的に考えるべきは隣人を愛するかどうかです。神の権威を認め、従い、神を愛するならば、隣人を愛するはずです。

神はランダムに自分を今この時この場所においたのではありません。全ては神の権威の導きです(使徒 17:28a)。クリスチャンとして求めるべきことは自分のコミュニティー、国がキリスト教国になることではありません。もちろんクリスチャンのリーダーが建て上げられることはすばらしいですが、国が立法によって人々をクリスチャンと制定することほどイエスの教えと離れていることはないからです。政治は世の中を変える力を持っていますが、人を造り変え、そこから地域を造り変え、人間が人として生きる最高の道を築くのは一人ひとりの聖霊の宿るクリスチャンが、神の権威を認め、イエスに従い、イエスの愛に倣って生きることから始まるのです。

ブラッド牧師は一つ警告をつけ加えました。それは政府や世の権勢が人間の尊厳を捻じ曲げようとしたり、ないがしろにしようとした時はそれに立ち向かう必要もあるだろう、ということでした。神の似姿に創造された人間の尊厳は守らねばなりません。そしてそれは国頼りでも世の権威頼りでも達成できないでしょう。過去の歴史を見ても一人ひとりの信者が愛に根差し働きかけてそれに対抗したのですから。