クリスチャンはよくこんな経験をします。それは、ある時突然それまでは気づいていなかった人や状況にハッと気付くことです。まるで目は開いていたのに見えていなかったことがあったかのようです。
先週CAチャーチではミッションウイークエンドを開催しました。深い協力関係を持つメキシコで開拓・宣教をしている先生方を招いて宣教報告を交えた礼拝を持ちました。ゲストのトマス師は73歳で今も現役で福音が述べ伝えられていないメキシコの奥地での宣教活動に熱心です。
そんな先生がどうしてそもそも宣教の道へと進んだのですか、というインタビューにこう回答されていました。
ある時メキシコのある村で葬儀に出くわしました。目の前を亡くなった方が運ばれて行きました。どうしたのですか、と尋ねるとこの方は餓死したんだ、というのです。自分は牧師をしていながら同じエリアにいる方がそんなふうに亡くなったことにショックを受けました。神様に自分も何かしたい、と祈りました。するとイエスのことばが浮かんだのです。
「あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べ物を与え、わたしが渇いていたときに、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったときに、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。」マタイ 25:35-36
これが始まりだったそうです。彼の目は開き、心にイエスが語ったのでした。以後様々なメキシコ奥地での原住民への宣教を始めました。
私たちの教会も様々なプロジェクトにお手伝いをして来ました。もうかれこれ20年以上のことになります。奥地にある村へは何時間もかけて歩いて出向いていました。現在でも道なき道を歩んで原住民のところに福音を伝え、物資供給をしています。荒地にソーラーパネル付きの学校と寄宿舎を建設することも出来ました。敵対心を持ち、反抗していた部族がキリストに立ち返ったり、新任の牧師夫婦を拒絶していた村が今では村の歳費で教会を建てたり私たちも神様のはたらかれていることを目の当たりにしてきました。
一人の心を砕かれた宣教師がイエスの言葉を聞き、目を開いて宣教を始めたことが全ての始まりだったのです。
もう何十年も昔ですが、クリスチャン歌手の Keith Green のライブで”Open Your Eyes”という曲の紹介でこう語っているのをテープで聞きました。
「私やあなたたちのキリスト信者のこの世代は全世界のこの世代の人々のたましいに責任があります。彼らに対して私たちは責任があるのです。世界の宣教においてのニーズのために日々祈る責任があります。神様に「今度はお金を寄付するのではなく私が身を乗り出します」とお願いしてください。小切手にサインするのはいとも簡単ですが、神様は天国であなたの小切手をお金に換えることはできません。神様はあなたを望んでいます。”This generation of believers that you and me are a part of, we are responsible for this generation of souls, all over the world. We’re responsible for them. We’re responsible to pray daily for the needs of ministries around the world, and ask God “how about me not sending my money this time, how about me going?” It’s so easy to write checks, it’s so easy. But God can’t cash out of state checks in Heaven. He needs you!”」
イエスは今日もこう語り続けています。
「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」マタイ 25:40
突然目が開いて、ハッと気づいたらどうか心を開いて、キリストの手足となって行動をすることが出来ますように。
