読む前の要点:

  • 創世記を読んだことはありますか?あるとすれば、その印象はどんなものですか?
  • 進化論と違って、聖書の言うとおり、神が六日で天地を創造したのであるなら、現代の地球の齢はいくつ位だとおもいますか?
  • 恐竜達が人間と共存していたなら、どんな世界だったとおもいますか?

エデンを出てから

まだ新しかったこの世界を想像した事はありますか? 神はこの世界を、そして何よりも人間を愛する対象として創ってくださいました。創られて間もなく、人は罪を犯し、エデンの園から追放されますが、神は人間を愛する事を止めませんでした。そして神は二人に、人類を罪とそこからくる永遠の滅びから救ってくださる為に救い主 (キリスト) を送ってくださる事を約束してくださいました。 (創世記3:15、 マタイ1:21)  こうして神は父祖時代、人類を救う道を計画した上で、神を求める人々の心と暮らしにとことんまで深く関わってくださっている事が、聖書の中で幾度も読み取る事ができます。創世記に出て来るアダムとエバ、カイン、セツ、エノク、ノア、アブラハム、ロト、アビメレク王、ハガル、イサク、ヤコブ、ヨセフ、又はヨブ記(時代はアブラハムと同じ頃)に出て来るヨブ等の話に来るまで、神がどうやって人々に関わってこられていたかを読む事ができます。現代では聖霊や聖書の言葉を通してが主な神からのコミニケーションであるのに対して、父祖時代、神は人々と直接的に語りかけたり、御使い(天使)を送る、夢の中で語るなどして人を御自身に導いておられたのが分かります。

(創世記1:26~10章、11:27~50章、ヨブ記)

アダムとエバがエデンの園を出てから (とびら⑥ 神からの独立) 、二人の間の長男のカインが弟のアベルを殺害する事件が起きます。 それはおそらく、アダムが100-120歳ぐらいの時の出来事でした。父祖時代には人々の齢は何百年の単位で、何百歳になっても子孫を生む事ができていて、現代とはかなり異なった現実だった事が創世記の中で映し出されています。なので、この事件が起きた頃には、アダムとエバにはカインやアベル以外にも多くの子供や孫が居た事が想像できます。この事件の後、カインは神によってその土地から追放され、別の土地で神を捨てた社会を築きます。それと並んで、アダムとエバの間に新しくセツと言う名の息子が生まれ、彼は神を崇める社会を築きます。(創世記4章)

大洪水 

それから何百年も経って、やがてセツの子孫達もカインの子孫達に影響されて神を捨ててしまったようです。最終的にはノアと言う人物以外には神を求める人間が居なくなってしまいます。もはや、人類の心がこれ以上悪くなりようがないとされる所まで来たところで* 神は世界を大洪水で一掃する決断をされます。もしそうでなければ、ゆくゆくはノアの子孫達も誰一人神を求める人物は残らず、イエスキリストが救い主として来られるのにふさわしくない世界になっていた事でしょう

*創世記6:5

神はノアに箱舟を造るように命じられます。神の細かい指導が託された箱舟の建設は長年かけて続き、その間、周囲の人達はノアの言葉を信じて、悔い改めて、箱舟に乗り込むチャンスは充分与えられていたのでした。しかし、誰一人として信じる事も悔い改める事もなく、とうとうノアと彼の妻、ノアの三人の息子達のセム、ハム、ヤペテと彼らの妻達以外を残して人類は、全知を覆った大洪水によって滅びました。その何ヶ月か後に、ノア一家と箱舟に乗った各種の生き物達は箱舟からでて来る事ができ、セム、ハム、ヤペテと彼らの妻達から新たに人類が増え始めます。     (創世記6章ー10章)

バベルの塔 (創世記11:1~9)

その後、人間達が築いた社会は再び神に逆い「天に届こう」と団結してバベルの塔の建設を試みます。無論、塔を建てて神に届く事などある訳がないのですが、神は彼らの心の高ぶりを裁かれ、それまでは、一つの言葉で話していた人類を瞬間的にあらゆる言葉にわけてしまわれました。会話ができなくなれば団結して塔の建設を続ける事は不可能な事です。人類はそれぞれ同じ言葉を話す人達と共に別々の場所に住む様になりました。

遅かれ早かれ、原罪を持った人間だけで動かす社会は必ず道徳的にも社会的にも崩れてしまうのは時間の問題だと言っても過言ではないでしょう。ノアの時の大洪水もバベルの塔での出来事も、神を捨てた人間社会が招いた裁きでしたが、旧約聖書の中には同じ様なパターンで社会が堕落し壊れてしまう記事を他にも幾つか読む事ができます。

(創19:1~29、創15:16並びヨシュア記5:13~6章、第二列王記25章、等)

現代も多くの国々で、同じ様な事態になっている事は、ここで言うまでもないでしょう。しかし、クリスチャンとして注意する事は、― 個人の信仰を迫害しようとする場合は例外ですが(使徒5:29)― 例え堕落した不完全な世界であっても、個人が政府にできるかぎり忠実でいる事を聖書は勧めていると言う事です。*

*(ローマ書13:5、エレミヤ29:7)

アブラハム

さて、神を知らない人間社会にイエスが救い主(とびら⑦ 神が取った手段)として現れたとしても、彼を信じる地盤も根拠も人々にはなかったことでしょう。それ故、神は新しい方法で人類に対応されます。それは、神が示す方法で人々が神に近づく事でした。神はイスラエルの民族を発足されるため、アブラハム(始めの名前はアブラム)と言う人物を選び出されました。神はアブラハムを祝福して、彼から無数の子孫を造り出す事、「カナン」と呼ばれていた土地を彼らの領域として与える事、そして彼らを偉大な「神に選ばれた国民」とする事を約束されました。*

(*創世記12:1~3、15:5 レビ記20:24 参照)

神殿時代に入って神の水準が律法を通して与えられるは、その後400年余りが経ってから(モーセが登場してから –  出エジプト記~申命記)ですが、一般的に言える事は、神の水準が与えられるまでの時代は、それぞれが手探りで神を求め、自身の罪を意識してへりくだっていたのであれば、後に起きるキリストの十字架を通した贖い(とびら⑧ 神が取った手段)がその人にも値していたと理解できます。

気になる事柄

創世記の世界を学ぼうとすると、かなりの想像力を要するものです。 例えば、進化論を教えられてきた世代の人達にとって、「神が六日の間に世界を創った」と言われてもすんなりと飲み込めない人は少なくはないでしょう。実際のところ、クリスチャンの学者達の間でもこの「六日間」の定義に関しては意見が分かれます。例えば第二ペテロ3:8の言葉を基に、創造の時の神にとっての「六日間」は人間にとっては何千年、何万年だったと言う意見を持つ人達もいます。その逆に、神は万能であり不可能な事は何もないので、文字通りの六日間でも充分に有り得えると考える人達もいます。

もう一つの事柄は、恐竜たち...あらゆる恐竜の骨や卵の化石が見つかっている中、恐竜達が生きていた事は否定できません。あの恐竜たちは人間と共存していたと考えられています。ヨブ記の40:15~41章全部の中に、神が、「人と並べて造った」と語る二種類の生き物に関して描写している場所があります。40:15にでてくる生き物は日本語では「河馬」と書かれていますが、(英:Behemoth)、後に続く描写が映し出している生き物は明らかに河馬よりも遥かに大きな生き物です(例えば、チタノサウルス)。41章には、水の中に住む、竜を表している様なレビヤタン(Leviathan)と言う生き物に関しても書かれています。恐竜達の多くはノアの箱舟に入れる事が困難な大きさと力を持っていた筈ですが、聖書には神が全ての生き物のつがい達を入れる様に命じられたと書かれているので、ノアはどのように取り扱ったのでしょうか? この疑問に関しては、おそらくノアはまだ幼い小さめの恐竜を箱舟に連れ込んだであろうと言う説があります。洪水の後、あらゆる理由で恐竜達は徐徐に全滅していったと考えられます。

理解の仕方

創世記は、聖書の中の66冊の本の中で最も謎めいた書物の一つだと言えます。おとぎ話の様に感じられる話がいくつもあります。しかし、現代とはかけ離れている世界だからと言って、真実ではないと決めてしまうとしたら、間違いではないでしょうか? 逆の考え方をするならば、多くのおとぎ話は創世記の時代の世界からの出来事を基に、時をかけて形が変わったりしながら伝説となったものもあるのではないでしょうか?

近代の先進国世界に住んでいる事は情報が豊富であるかの様に思えて、実は「箱入り息子/娘」の様に人々を育んでしまう危険性もあります。多くの人は文化が定めた物事の理解の仕方や考え方しか受け入れられなくなった狭い視野の中で生きているのかも知れません。しかし神は、神を信じ付き従う人の心と知性を育てて下さると約束されています。

「わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたの知らない、理解を超えた大いなる事をあなたに告げよう。」

エレミヤ書33:3

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