悲しみ、苦しみ、忙しさ、過度な期待などが身体全体を包んで押しつぶしてくるような気持ちになったことは誰でもあることでしょう。
最近ある方から祈りを求めるメールが教会に来ました。オンラインや祈りのリクエストカードは教会のリーダー達に転送される仕組みになっています。
この方には小さいお子さんが二人おります。教会でも活発に活動しています。ご主人はクリスチャンではなく、彼女の教会での忙しい奉仕活動や彼女の信仰についての理解はあまりないようです。彼女は、祈りのリクエストの中で、ご主人とあまりうまくいっていないことが重荷であること、仕事や家のこと、子供のことでいつも次から次へとこなさねばならないことが山ほどあり、心が疲れ果ててしまっていることを書いておりました。彼女の願いは、なんとか聖霊によって自分がクリスチャンとして良い模範でいられるようにという内容でした。
彼女のメールの英語の原文では、I am feeling overwhelmed with work and our endless to do list at home, school, work and personal life.と書いてあったのです。
「overwhelmed 」という単語は自分ではどうにもならない量のものが自分に向かって押し寄せて来て、自分が飲み込まれてしまうようなイメージがあります。旧約聖書詩篇61にダビデは、「私の心が衰え果てるとき」と書いている箇所があります。それがこのOverwhelmed の言葉です。
神よ。私の叫びを聞き、私の祈りを心に留めてください。 私の心が衰え果てるとき、私は地の果てから、あなたに呼ばわります。どうか、私の及びがたいほど高い岩の上に、私を導いてください。 まことに、あなたは私の避け所、敵に対して強いやぐらです。 私は、あなたの幕屋に、いつまでも住み、御翼の陰に、身を避けたいのです。セラ
詩篇61:1-4
この衰え果てる、という言葉のヘブライ語の語源的には、「覆い被さる、衰え果てさせる、気を失わせる、ふうらつかせる」、という意味をもっています。圧倒されるとも訳されています。
ダビデの心は圧倒され、ふらつき、衰え果てたのです。まるで神から遠く離れてしまっているように思えていたのでしょう。自分は「地の果てから」神に叫んで祈ったと書いてあります。
ダビデは屈強な兵士たちが怖気づいて、戦いを挑めなかったたペリシテ人の大男、ゴリアテ、に向かって行き、彼を対した経験がありました。
「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエル人の戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。きょう、主はおまえを私の手に渡される。私はおまえを打って、おまえの頭を胴体から離し、きょう、ペリシテ人の陣営のしかばねを、空の鳥、地の獣に与える。すべての国は、イスラエルに神がおられることを知るであろう。この全集団も、主が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。この戦いは主の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される。」
サムエル第一 17:45-47
ダビデは「万軍の主の御名によって」「神がおられることを知る」「この戦いは主の戦いだ」とゴリアテに、ペリシテ人に宣告したのです。
ダビデが追っ手達から命からがら逃げ回り、苦境におり、心が衰え果てた時、その昔、巨人ゴリアテに尻込みしていた屈強なイスラエルの兵士たちや自分の兄達のことを思い出したでしょうか?その時に神から与えられた平安と力を思い出したでしょうか? 今の弱い自分を、「高い岩」つまり万軍の主の元にの導いて下さいと願ったのです。
「岩」はしばしば聖書で神の力強さを表しています。ダビデが3節で「私の避け所、強いやぐら」と神を求めていることからも、ダビデは自分を神のそばに導いてほしい、と願っていることがわかります。また、神から遠い地の果てにいる自分には目に見えないことがあるでしょう。それが心を挫けさせてしまいます。しかし神の近くにおり、高い岩の上から、今まで見えていなかった神の恵みと力に気づき、心が強められるのです。
イエスはこう弟子達をこう励ましました。
それから弟子たちに言われた。「だから、わたしはあなたがたに言います。いのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのことで何を着ようかと心配したりするのはやめなさい。… あなたがたのうちのだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。… 何を食べたらよいか、何を飲んだらよいか、と捜し求めることをやめ、気をもむことをやめなさい。… 何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えられて与えられます。… 小さな群れよ。恐れることはない。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。
ルカ12:22, 25, 29, 31-32
冒頭で紹介した祈りのリクエストに対して、どう祈ったらいいだろうか、と考えたとき、「どうか彼女がもっともっと上手に家事をやりくりできて、ご主人に対してもっと愛情を示し、福音を伝える手段を与え、気持ちがポジティブに持てますように」と祈るよりも、「どうか主があわれみによって、彼女を強め、彼女がますますあなたを追い求め、高い岩の上に導いてくださいますように」と祈りたいと感じました。