「ブルース・オールマイティー」と言うコメディを見たことがあるでしょうか?ジム・ケリー主演のこの映画では、神様に文句をいい続けていた青年に神様が全知全能の力を一週間与えたことから、てんやわんやの事態になって行きます。その映画に、世界中の人からの祈りのお願い事が聞こえ始めてきたブルースが何とか上手に対応しようとして、「ああそうか!」思いつくシーンがあります。そうだ、ポストイットに書いて整理整頓して対応しよう!とか、また祈りの課題をメールしてもらってそれに返事を書けばいい、と考えて、コンピュータの前に座って応対したりするのですが、到底追いつきません。ジム・ケリーのユーモア溢れる演技に大笑いします。

ユーチューブに丁度そのあたりのシーンが出ているのもがあったので掲載します。

ポストイットのシーンは2:09から、その後Eメールのシーンへと続きます

ある週の月曜日、仕事を始めた時、この映画の事を思い出すくらい、タスクが山積みになっていて、どこから手をつけていいやら、と憂鬱な月曜の朝でした。自分の職責上タスク処理は当然沢山あるのですが、その週は一つ片付ける前に新しく課題が発生する、と言うような状態でした。

毎週のタスクの一つに教会の方々から寄せられる祈祷課題を取りまとめて、祈りのチームに送るのですが、そこでも、そのリストを見ているだけで、あまりに沢山の悩み、苦しみ、不安、チャレンジなどがあって、自分もそのリストに沿って祈ろうとしてもなんか買い物リストを読んでいるようにも感じてちょっとめげていました。

そんな時、教会員のある老婦人から電話が来ました。Dさんです。彼女は今近隣の高齢者施設に入居しているのですが、常日頃から同じ施設に住む方々や、自分のかかりつけのヘアドレッサー、家族の面々、自分の体の不自由な部分についてなど、祈祷課題を挙げてくれる方です。

その日はDさんは少し動揺しているようで、涙交じりの感じの話し方でした。彼女の祈りのリクエストは彼女のお孫さん(と言っても成人の結婚されている方です)のためでした。そのお孫さんの娘さん、つまりDさんのひいまごですが、そのティーンエイジャーの娘さんが麻薬の濫用で突然亡くなった、と言うのです。

Dさんは皆んなに祈ってもらっている、と知ることは励ましなの、とおっしゃっていました。最近では神経痛がひどいことが多くて、聖書も手に持って開けないのでつらい、とこぼされていました。「でも、何があってもイエス様に祈れるのよ。」と涙声で話されていました。

私たちの主は「ブルース」のように私たちの祈りをポストイットに貼ってこなしていこうと言うような神様ではありません。祈りを聞いて、他にも沢山することがあるのに、と苛立ったり、戸惑ったりしません。Dさんが長年の信仰生活で培ったように、いつも、何があっても祈りに耳を傾けて、すぐそばにいつもいてくださる方ですね。

私のタスク管理は全然状況は変わりませんでした。相変わらずやるべきことは山積みでしたが、私の憂鬱な月曜日は励ましに満ちた、前に進んでいける日に変わったのです。

Dさんの電話には後日談があります。数日後、また電話がありました。今度は彼女の別のお孫さん(成人の方です)の義理のお母さんが脳卒中で倒れた、と言うことです。その時は、Dさんは、何でこんなに辛いことが重なるのかしら、といいながらも、電話口で、「よく聞いてね」といいながら、詩篇23篇をゆっくりと読んでくれました。中でも、「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。」の節を読みながら、「そうなの。イエス様が一緒なのね。」とおっしゃってくれました。苦しい時、辛い時、誰が自分と一緒にいてくれるか、が人生の歩みを大きく変えると思いました。

「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。

たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。

あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。

わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。

詩篇23篇 口語訳聖書