「即興性(アドリブ)、リズム感、流れるように滑らかなこと」と聞いて、ああ音楽のことだな、と思う方は多いのではありませんか?私もその一人です。

私は趣味でギターやベースを弾きます。内外でフォローしている音楽関係のユーチューバー達も何人もいます。特に演奏技術を向上させるにはどうしたらいいか、とか音楽を楽しく解説してくれる動画には興味深々なんです。

自分の演奏はまだまだ未熟で、ギクシャクした、つっかえながらの、面白く無いフレージングばかりです。ああ、上手くなって、、自分のアイディアを即座に出すことができる様になり、リズムと流れる様に滑らかな節回しで演奏できる様になれたらなぁとため息をつきます。

楽器やスポーツ、クラフト作りや日曜大工など技術が向上するとその作品の質が上がることは間違いありません。

今回のタイトルの言葉は、しかし、その様なユーチューバーの言葉ではありませんでした。この表現は、今年読み進めている Eugene Peterson の Praying the Message of Jesusというでデボーショナルの前書きにあった言葉なんです。こう書いてあります。(日本語訳は筆者拙訳です)

“The practice of prayer is the primary way by which the life of Jesus comes to permeate our entire lives so that we walk spontaneously and speak rhythmically in the fluidity and fluency of holiness.” 
「まず何よりも、祈りを実践することによって、イエスのいのちが私たちの人生隅々まで浸透していくのです。そうすると、聖さの流れる様な、なめらかさにあって、私たちの歩みが導きに対して即座に呼応するようになり、私たちの口がリズミカルに語るようになるのです。」

Eugene Peterson, Praying the Message of Jesus

祈りの実践とリズミカル、アドリブ、流動性や滑らかさという言葉がこんなふうに組み合わされてるのは初めて見ました。

この前書きでさらに、ピーターソン先生は、祈りはクリスチャンが生きる上で、育まれ、築き上げられ、啓示を受け、知識を増し加えられるための最も基本的な言葉である、と言います。祈りの実践はテクニックとして学ぶべきものではなく、学術的に精査されるべき素材でもなく、祈りの実践は神様に呼応して生きる生き方だと語ります。

祈りをまず上達させれば神様にますます近づけて、神様の声が聞こえる様になる、という図式ではありません。まず神様に話しかけていくという実践、これが祈りの実践です。それを繰り返していくのです。まるで小さな子供がそうやって言葉を習うようにです。ピーターソン先生は、そうやって実践することこそが、実はイエスのいのちが身体中にしみわたる秘訣だと語るのです。すると、神様の呼びかける声にギクシャクとした言い訳を述べるのではなく、「リズミカルに」素直に従える様になるのです。語る言葉も、聖さが、ぎこちなかったり、場違いの発言ではなく、流れる様に滑らかな言葉として語ることができるようになる、とピーターソン先生は励ましてくれたのでした。

当ウエブサイトの行く年来る年には、「Step 3: 感謝と賛美を持って神様に体当たりです。」と掲載させてもらいました。ぜひ引き続き神様に祈り続けてください。

「私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、主よ。」

詩篇 19:14