CAチャーチでは旧約聖書からの学びを続けています。先日、サムエル第一から、祈りについてメッセージがありました。牧師は全部で8つのポイントをハンナの祈り(サムエル1章・2章)から語りました。そこから想わされたことをシェアします。
サムエル記第一は、サムエルの両親のストーリーから始まります。サムエルの父エルカナには二人の妻がいました。一人はハンナ、もう一人はペニンナと言い、ハンナには子供が授かりませんでしたが、ペニンナには子供たちがいました。エルカナがハンナの方をより愛していたので、ペニンナは嫉妬し、ハンナに嫌がらせをするようになったのです。毎年宮への訪問するときには必ずペニンナは特に色々嫌がらせをして、ハンナは苛立たせられていたのでした。文脈からだとこれはもう何年も続いて来ているようです。
まず耳を傾けよう
「毎年、このようにして、彼女が主の宮に上って行くたびに、ペニンナは彼女をいらだたせた。そのためハンナは泣いて、食事をしようともしなかった。それで夫エルカナは彼女に言った。「ハンナ。なぜ、泣くのか。どうして、食べないのか。どうして、ふさいでいるのか。あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないのか。」」
サムエル記第一 1:7-8
紛争解決やコミュニケーションのトレーニングではよく取り沙汰されるポイントですが、何よりもまず相手の言葉に耳を傾けるのが第一です。
エルカナのように、とにかく自分の意見や助言、そして進言をしてしまっていませんか?問題に直面して祈る時、神様に自分の方針や具体的な方策を「報告」して、それらに神様の祝福だけを求めていませんか?もっとひどくなると(私は結構これが弱点です)特に神様に祈らなくてもあれやこれは自分で対応出来るからとりあえずどんどん問題に対処して片付けてゆく、と言うような行動をとっていないでしょうか。
ユージーン・ピーターソンは、祈りの中心地はまず神様の言葉に耳を傾け、そこから学び、人生に反映させる信者たちの集まりの中から生まれていくのだ、と語ります。
「祈りは神様のみ言葉に対する応答でなければならないのです。神を礼拝する教会において、神のみ言葉が読まれ、説教され、集う信者たちが共に聖礼典を祝う、そういう中から祈りが育まれ、実践されるのです。祈りの中心地なのです。そこから、今度は部屋の中で、あるいは山歩きをしたりして、自分の神様との一対一での祈りが続けられるのです。Prayer has to be a response to what God has said. The worshiping congregation—hearing the Word read and preached, and celebrating it in the sacraments—is the place where I learn how to pray and where I practice prayer. It is a center from which I pray. From it I go to my closet or to the mountains and continue to pray.
Eugene Peterson, “The Contemplative Pastor”
本音で祈ろう
神様に対して本音で祈りましょう。包み隠す必要はありません。
ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますならば、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」ハンナが主の前で長く祈っている間、エリはその口もとを見守っていた。ハンナは心のうちで祈っていたので、くちびるが動くだけで、その声は聞こえなかった。それでエリは彼女が酔っているのではないかと思った。エリは彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」ハンナは答えて言った。「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私はつのる憂いといらだちのため、今まで祈っていたのです。」
サムエル記第一 1:10-16
あきらめずに祈り続けよう
祈りには神様から3つの応答があると言われています。「よし」「ダメだ」「まだだ」の3つですが、最後の「まだだ」という答えは中々聞こえてこないことが多いです。祈ったけれど神様がうんともすんとも言ってくれない、と思えるのです。
「ハンナが主の前で長く祈っている間。。。」
サムエル記第一1:12a
ルカの18章でイエスは弟子たちにしつこいやもめのたとえ話を通して、いかに神様は必ず民の祈りの声に応えてくれるか、と説いています。
いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。。。。まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。
ルカ18:1, 7
自分の状況に見合った方法で祈ろう
ハンナが主の前で長く祈っている間、エリはその口もとを見守っていた。ハンナは心のうちで祈っていたので、くちびるが動くだけで、その声は聞こえなかった。それでエリは彼女が酔っているのではないかと思った。エリは彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」 ハンナは答えて言った。「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私はつのる憂いといらだちのため、今まで祈っていたのです。」
サムエル記第一 1:12-16
祈りの方法には決まりはありません。誰かの型にはまる必要は無いのです。ある人は目を閉じ、頭をさげ、ひざまづいて祈るでしょう。また別の人は目を天に向け、手をあげ祈るでしょう。静かな音楽を聴きながら祈る人もいれば、音楽があると気が散る人もいるでしょう。声に出して祈ることもあれば、静かに心の中で祈ったりもします。自分の事情にかなった方法で祈れば良いのです。大事なのは神様にフォーカスを置いて祈る環境や状況を作り出すことです。
私は静かな場所で祈るとかえって色々なことが頭に浮かんできて集中できなくなります。かと言って静かに音楽が流れているとその曲のメロディー、ベースラインやコード進行とかが気になってダメです。雑踏の中、歩きながら、電車の中、車の中、が自分にとっては祈りの「小部屋」なんです。
神様を信じて祈ろう
「エリは答えて言った。「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」彼女は、「はしためが、あなたのご好意にあずかることができますように」と言った。それからこの女は帰って食事をした。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。」
サムエル記第一 1:17-18
ハンナは祈りが聞かれたことを知り、信じたのです。信じることも信頼も(信仰ですね)神様からの賜物です。しかし、信じることで彼女には神様からの励ましと慰め、そして不思議な力が与えられたのですね。
マイケル・カードの”By Faith”という曲の折り返しにこう歌われています。信仰が慰め、頭で理解出来ないこともわかるようにしてくれるのです。それは、信仰が、救い主キリストが今、この時この場所に私と共に歩んでいてくれる、という現実を示してくれるからです。
このリンクのプレイリストからお聴き下さい!(Google Play Music)
信仰が教えてくれる
助けてくれる
心を落ち着かせ、恐れを消し去ってくれる
獅子の口を封じ込め
受けた傷跡や流した涙も納得が行くようになる
希望を見つめ耐え忍ぶ
心には何もやましいことがなく
この罪ある荒野の中を歩むときでも
救いの創始者が一緒にいてくれるからFaith understands and offers
Michael Card – “By Faith”
It assures and calms our fears
It can shut the mouths of lions
And make sense of scars and tears
We persevere in hope
And with conscience clean and clear
We walk this fallen wilderness
With Salvation’s Pioneer
祈りっぱなしではなく自分の果たすべきことを行う
学校の試験が近いので、神様に「どうか知恵と力を!」と祈って、信じて、後は何もせずに試験を待つ、というのはナンセンスですね。祈りを通じて神様は何をすべきかはっきりと示してくれるのですから。
神様のタイミングに委ねる
日が改まって、ハンナはみごもり、男の子を産んだ。そして「私がこの子を主に願ったから」と言って、その名をサムエルと呼んだ。
サムエル記第一 1:20
私たちには目に見える世界も、目に見えない世界も全てお見通しではありません。全能全権の神様が善きおかただと信頼し、神様のタイミングに委ねる姿勢を取るよう、聖書は語ります。
感謝する
サムエル記2章はハンナの喜び、神への感謝の歌で始まります。1章を通じて学んできたハンナの祈りの姿勢を考えると、このように感謝の姿勢につながるのは、自然な流れに感じます。ただ、この感謝の歌は、単に「子供を授けてくれてありがとう」というだけではありませんでした。彼女の歌は、「主は、はむかう者を打ち砕き、その者に、天から雷鳴を響かせられます。主は地の果て果てまでさばき、ご自分の王に力を授け、主に油そそがれた者の角を高く上げられます。」と締めくくられています。神様の応えて下さった祈りの課題に対してありがとう、ということから始まり、神様に対する自分の信仰告白になっているんですね。ハンナの心にはそれまで刻まれてきた神様のご性質、素晴らしさが溢れてきているのが分かります。そしてそれを歌っているのです。これはまさしく聖霊が祈りの心を与えてくれたと思います。私たちも祈りに応えられたときには感謝をしましょう。そこから聖霊が神様のことをもっと深く思い起こさせてくれます。
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