日本語BibleStudyの2023年の最初の週は、ユージーン・ピーターソンの12章からなる「詩篇:心の祈り」から私が学んだこと紹介します。各章毎に先生がピックアップした詩篇を読み、そこから何を読み取り、何を神様が語り、どうやってそれに応答するべきか一緒に考えて行動に移して行きたいと願っています。

詩篇を読むにあたって(イントロ)

祈りを捧げる時、神の前で自分を取り繕ってしまいませんか?神に受け入れられるような、格好をつけた自分の姿を見てもらいたいと努力したりしませんか。しかし、詩篇を読んでわかることは、神の前で「こんな自分だったらいいな」という自分の思いに基づいて祈るのではなく、ありのままの自分で祈らねばならないのです。

憎しみ、という感情も自分の持つ一つのありのままの状態です。これまで誰かを憎んだことはありませんか?どうしてですか?詩篇137篇はそのような心を神に吐き出しているかのようです。神には私たちの憎しみの心を扱うことが可能でしょうか?

詩篇137

1 バビロンの川のほとり、そこで、私たちはすわり、シオンを思い出して泣いた。
2 その柳の木々に私たちは立琴を掛けた。
3 それは、私たちを捕らえ移した者たちが、そこで、私たちに歌を求め、私たちを苦しめる者たちが、興を求めて、「シオンの歌を一つ歌え」と言ったからだ。
4 私たちがどうして、異国の地にあって主の歌を歌えようか。
5 エルサレムよ。もしも、私がおまえを忘れたら、私の右手がその巧みさを忘れるように。
6 もしも、私がおまえを思い出さず、私がエルサレムを最上の喜びにもまさってたたえないなら、私の舌が上あごについてしまうように。
7 主よ。エルサレムの日に、「破壊せよ、破壊せよ、その基までも」と言ったエドムの子らを思い出してください。
8 バビロンの娘よ。荒れ果てた者よ。おまえの私に対する仕打ちを、おまえに仕返しする人は、なんと幸いなことよ。
9 おまえの子どもたちを捕らえ、岩に打ちつける人は、なんと幸いなことよ。

何が書かれており、何を神様はあなたに語っていますか?

  • 1〜6節と7〜9節を比べてください。トーンはどのように異なっているでしょうか
  • この詩篇はイスラエルの民がバビロンに捕囚されていた頃の歌です。自分のコントロールのない場所に無理やり連れて行かれ、もう戻る希望も無い状況でした。そのような体験をしたことや気持ちになったことがありますか?
  • 3節に描かれている苦痛と似たような体験をしたことがありますか?どう共鳴できますか?
  • 4〜6節に描かれている感情をどう理解しますか?自分にもそのような時がありましたか?このような感情をどうとらえるべきでしょうか?
  • そもそもイスラエルはどうしてバビロンに連れて行かれるハメに陥ったのでしょうか?そのことが彼らが体験している感情にどう関わりを持っているでしょうか。
  • 現代においてさまざまな国や国民、グループが当時のイスラエルのように攻撃され、征服され、痛めつけられています。彼らの立場を想像し、そのような状況で祈りはどのように織りなされるでしょうか?
  • 7-9節から伺える筆者の感情はどんなものでしょうか?
  • 神に自分の傷ついた気持ちやを伝えたり、神をハレルヤと賛美することはある意味簡単かもしれません。しかし、率直に暗く潜んでいる憎しみの感情を神に打ち明けるのは難しいかもしれません。あなたはどうでしょうか?
  • マタイ6:44でイエスは、「敵を愛し、あなた方を迫害するもの達のために祈りなさい」と教えます。一体どのようにしてそのような者たちを愛し、彼らのために祈れるでしょうか?
  • 自己憐憫(1-6節)や復讐の心に満ちた憎しみ(7-9節)という感情をしばしば私たちは心のどこかに押さえ込み、隠してしまいます。神への祈りはこういう感情を隠して自分をよく見せる行為ではありません。そうではなく、祈りでこれらを神の前に明るみに出すことで神から癒しを与えられるのです。
  • あなたにはどんな暗い感情がくすぶっているでしょうか。それを神に癒してもらいましょう。神の前にそれらを明るみに出し、言葉にして祈るのです。あなたの心と思いの全てを知っておられる神に祈り求めましょう。

あなたは神様にどう答え、実践に移しますか?