詩篇を読むにあたって(イントロ)

涙を流すのは神から与えられた生理的な恵みです。感情や霊的な体験を表す表に現れるものです。でも涙が流れる時、それをどうとらえるべきかは難しいでしょう。例えば、涙にひたりきりになると、自分てなんてかわいそうなんだ、と自己憐憫につながるでしょう。涙をこらえてばかりいると自分の感情を押し殺してしまい、感情が切り離されてしまいます。

どんな時に本当に、心から涙したことがあったでしょうか?涙を祈ることはすなわち主の悲しみと自分の悲しみを重ね合わせることです。すると何が悲しみの根底にあり、どこからその解決が与えられるのか理解出来るのです。

詩篇6

「指揮者のために、八弦の立琴に合わせて、ダビデの賛歌
主よ。御怒りで私を責めないでください。激しい憤りで私を懲らしめないでください。
主よ。私をあわれんでください。私は衰えております。主よ。私をいやしてください。私の骨はおののいています。
私のたましいはただ、恐れおののいています。主よ。いつまでですか。あなたは。
帰って来てください。主よ。私のたましいを助け出してください。あなたの恵みのゆえに、私をお救いください。
死にあっては、あなたを覚えることはありません。よみにあっては、だれが、あなたをほめたたえるでしょう。
私は私の嘆きで疲れ果て、私の涙で、夜ごとに私の寝床を漂わせ、私のふしどを押し流します。
私の目は、いらだちで衰え、私のすべての敵のために弱まりました。
不法を行う者ども。みな私から離れて行け。主は私の泣く声を聞かれたのだ。
主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる。
私の敵は、みな恥を見、ただ、恐れおののきますように。彼らは退き、恥を見ますように。またたくまに。

詩篇6篇

何が書かれており、何を神様はあなたに語っていますか?

  • どんな感情が表されていますか?
  • 神の怒り、は理解しにくいでしょう。神の怒りを体験したことがありますか?
  • 最初の節と最後の節を比べて見て下さい。ここから分かることは何でしょうか?涙は神が流させるのでしょうか?それとも神の敵でしょうか?
  • 「いつまでですか?」という問いかけは詩篇に数多く見られます。あなたも同じように神に問いかけていますか?それはどんな状況においてですか?
  • 4節の三つの動詞「帰って下さい」「助けて下さい」「救って下さい」から詩編筆者のどんな思いが伝わってくるでしょうか?
  • 6-7節において感情はどのように様々な形で表現されていますか?
  • この詩篇を通して、涙の流れる理由を挙げてみて下さい。涙は得てして何か上手くいっていない、例えば鬱な状態、不幸せな気持ち、苛立ちなど、が理由だと考えられ、出来るだけ避けねばならないもので涙は止めねばならないものように考えられていますが、本当にその通りでしょうか?涙することは自分に何かまともなものが内にあることの表れと考えられませんか?この詩篇からそれを裏打ちする表現はありませんか?
  • 神の行いを覚えること、そして讃えることは悲しみおいてどんな助けになるでしょうか?
  • 8-9節の「泣く声」「切なる願い」「祈り」は三つの異なる行動を表すのでしょうか?それとも一つの行動について三つの表現がされているのでしょうか?

あなたは神様にどう答え、実践に移しますか?

詩篇6は悲しみを体験している人に神に祈るボキャブラリーを与えてくれるでしょう。神はどんなに荒々しくともあなたが体験している感情を全て受けとめてくれることを心に留めて下さい。