詩篇を読むにあたって(イントロ)
現代社会は死を否定したり、死を考えることを拒んでいるようです。しかし、最期の時を迎える準備を整えることは大事なことです。自分の死を考えたことがありますか?あなたにとって誰の、またはどんな死が影響を与えたでしょうか?詩篇90篇はクリスチャンにとっての死を語り、その助けになっています。
詩篇90
神の人モーセの祈り
1 主よ。あなたは代々にわたって私たちの住まいです。2 山々が生まれる前から、あなたが地と世界とを生み出す前から、まことに、とこしえからとこしえまであなたは神です。
3 あなたは人をちりに帰らせて言われます。「人の子らよ、帰れ。」4 まことに、あなたの目には、千年も、きのうのように過ぎ去り、夜回りのひとときのようです。5 あなたが人を押し流すと、彼らは、眠りにおちます。朝、彼らは移ろう草のようです。6 朝は、花を咲かせているが、また移ろい、夕べには、しおれて枯れます。
7 まことに、私たちはあなたの御怒りによって消えうせ、あなたの激しい憤りにおじ惑います。8 あなたは私たちの不義を御前に、私たちの秘めごとを御顔の光の中に置かれます。9 まことに、私たちのすべての日はあなたの激しい怒りの中に沈み行き、私たちは自分の齢をひと息のように終わらせます。10 私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。11 だれが御怒りの力を知っているでしょう。だれがあなたの激しい怒りを知っているでしょう。その恐れにふさわしく。12 それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。
13 帰って来てください。主よ。いつまでこのようなのですか。あなたのしもべらを、あわれんでください。14 どうか、朝には、あなたの恵みで私たちを満ち足らせ、私たちのすべての日に、喜び歌い、楽しむようにしてください。15 あなたが私たちを悩まされた日々と、私たちがわざわいに会った年々に応じて、私たちを楽しませてください。16 あなたのみわざをあなたのしもべらに、あなたの威光を彼らの子らに見せてください。17 私たちの神、主のご慈愛が私たちの上にありますように。そして、私たちの手のわざを確かなものにしてください。どうか、私たちの手のわざを確かなものにしてください。
何が書かれており、何を神様はあなたに語っていますか?
- 神は何通りにも描かれています。どのように詩篇作者は神を表現していますか?
- 死が私たちの人生に限りを与え、そしてどんな生き方をするか諭してくれています。目は神に向けられるのです。1-2節では詩篇作者は神をどのように考えられていますか?
- 3節は、次の創世記の箇所がもとになっています。創世記 2:7, 3:17-19 「 神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。」「17 また、人に仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」」自分の命に限りがあることは生き方にどう影響を与えますか?
- 7-11節ではどうして神が怒ると言うのでしょうか?そして神の怒りは自分の人生にどう影響を与えると詩篇作者は語っていますか?
- 神の怒りとヨハネの福音書 (3:16 など)にある「神は愛」という見地はどう組み合わさるのでしょうか?
- 12節の「自分の日を正しく数える」とはどういう意味でしょうか?
- この詩篇の祈りは死に焦点を合わせていますが、正確にはそれを超えて神にもっとくっきりと焦点を合わせています。14-17節では自分が余生に出来ることというよりも、神が自分の人生においてなされるみわざを描いています。具体的に何が挙げられていますか?出てくる動詞に着目してください。
- この詩篇を読み、御言葉に浸る時、自分にも最期の時がくることを祈りに覚えてください。キリストの死に心を馳せましょう。
- 自分の葬儀の際にどのようにキリストにある自分の人生が語られるでしょうか?どのように語ってもらいたいと願いますか?いくつか例を具体的に上げてみて下さい。