詩篇を読むにあたって(イントロ)

 どんな祈りも最終的には神への賛美と変わるのです。どんなに苦しみの中にても、疑問で心がいっぱいになっていてもその祈りは賛美となるのです。賛美は究極の祈りなのです。他のタイプや種類の祈りが賛美に劣っていると言うことではありません。祈りは突き詰めて行くとその先には賛美がある、と言う意味なのです。

詩篇150

1 ハレルヤ。神の聖所で、神をほめたたえよう。御力の大空で、神をほめたたえよう。
2 その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ。そのすぐれた偉大さのゆえに、神をほめたたえよ。
3 角笛を吹き鳴らして、神をほめたたえよ。十弦の琴と立琴をかなでて、神をほめたたえよ。
4 タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。
5 音の高いシンバルで、神をほめたたえよ。鳴り響くシンバルで、神をほめたたえよ。
6 息のあるものはみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ。 

何が書かれており、何を神様はあなたに語っていますか?

  • 「ほめたたえよう」と言う言葉が何回出てきていますか。このことは詩篇作者のどんな気持ちを表しているでしょうか。あなたも同じように賛美の言葉で溢れたことがありますか。
  • 「神の聖所」、「御力の大空」とはどんな意味があると思いますか。
  • なぜ神をほめたたえるのでしょうか。
  • 3-5節ではどのようにほめたたえるか描写されています。どんな光景が心に浮かびますか。自分の賛美の方法とどんなところが同じでしょうか、また違うでしょうか。
  • 誰がほめたたえるべきだと言っていますか
  • この詩篇の最初の言葉と最後の言葉は原語では「ハレルヤ」です。自分の生活を振り返って、自分の人生は「ハレルヤ」で始まり「ハレルヤ」で締めくくられていると思いますか?聖アウグスティヌスは「クリスチャンは頭のてっぺんからつま先までハレルヤであるべきだ」と言ったそうです。あなたのクリスチャン人生はどうでしょうか。どうしたらそういうクリスチャンとしての歩みになるでしょうか。そうなりたいと願いますか。

あなたは神様にどう答え、実践に移しますか?

今年一年色々な詩篇と対面して来ました。それは言うまでもなく自分の心の中を見る機会であり、詩篇を通して神との対話のためのボキャブラリーを積み上げることでもありました。あなたの神との交わりがさらに深まりますように。

バックナンバーリスト (リンク)

「ぼやけた焦点」詩篇1

「恐怖」詩篇2

「苦境」詩篇3

「創造」詩篇8

「罪」詩篇51

「救い」詩篇103

「恐れ」詩篇23

「憎しみ」詩篇137

「涙」詩篇6

「疑い」詩篇73

「死」詩篇90

「賛美」詩篇150 (当投稿)