「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことをしっているのですから。」

コリント第一 15:58

聖書を読む時には文脈が大事です。「ですから」というキーワードは見逃せません。上掲のパウロの言葉を考えるには、「ですから」が指している15章の内容を知る必要がありそうです。

パウロはコリント第一の手紙の15章では、キリストの復活について、死者の復活について、そしてキリストの再臨について細々と語っています。そしてその説明の最後に、「ですから」とこの15章をしめくくったのです。

「いつも主のわざに励むこと」「今の労苦がむだでない」ということと、復活や再臨がどうかかわるのでしょうか?ちょっとピンと来にくいのではないでしょうか。

どうせ未来には死者は復活し、体が新しくされ、イエスが再臨して全ては新しくなるのだったら、どうして今あくせくと励まねばならないのでしょうか? 朽ちてゆく体が行う行動よりも、霊的な精進が大事なのでは、と考えたりしませんか?また、ある人たちが、その体を何とかして健やかに、若々しく保とうと惜しみない努力をしているのを見て、益々色々な活動に対して否定的になるかもしれません。

しかしパウロは、私たちが今この体を使って行う働きは重要であると説きます。神はキリストを信じる者たちの働きに対して素晴らしい未来を用意しているからです。今の活動は、神の世界において(「主にあって」)将来につながっていると教えています。

神学者で牧師のN.T.Wrightは、その著書、Surprised By Hope の中でその点についてこう説明しています。

「絵を描いたり、聖書からメッセージを語ったり、賛美したり、裁縫したり、祈ったり、教えたり、病院を建設したり、井戸を掘ったり、正しいことを追求する活動をしたり、詩をしたためたり、困っている人たちに救いの手を差し伸べたり、隣人を自分のように愛したりすること、そういうあなたが現在行っていることは、神の未来へと続いていくのです。あなたがあれこれする事は、私たちがこの世を去るときまで、単に、今の時代がそれほど野蛮なものではないようにしたいから、あるいは、もう少しがまんしやすいようになったら良いと思ってやっているだけ事ではないのです。あなたの現在の行動は神の御国を建てあげる一役を担っているからです。
What you do in the present—by painting, preaching, singing, sewing, praying, teaching, building hospitals, digging wells, campaigning for justice, writing poems, caring for the needy, loving your neighbor as yourself—will last into God’s future. These activities are not simply ways of making the present life a little less beastly, a little more bearable, until the day when we leave it behind altogether (as the hymn so mistakenly puts it, “Until that day when all the blest to endless rest are called away”). They are part of what we may call building for God’s kingdom.

N. T. Wright, “Surprised by Hope”